「なんか今日おまえ、機嫌悪くねえ?」
「え」
練習後、ボール等の備品を片付ける卓に、彬水が話しかけてきた
サッカー部員全員が恐れをなすほどの鬼コーチである彬水が
いち部員に対して、ここまで打ち解けて話すことは、まずない
しかし卓に対してだけは、極めて友好的に話しかけてきて───それはひとえに
卓の妹・愛良が彬水の恋人となったことが大きく関わってくる
それ以前は、他の部員と全く違わない態度で接していたし、また、現在においても
公の場───練習中、あるいは他の部員がいる前では、以前と変わらず分け隔てなく振る舞っていた
当たり前といえば当たり前のことなのだが、彬水が、そんなけじめというかメリハリというかを
きちんとつけるところを卓はひそかに尊敬している
「機嫌って……別に全然、フツーですけど」
「そうか? いや気のせいならいいんだけど、なんか妙に殺気立ってるっつうか……
───あ」
暢気に手の中のボールを小さく投げ、受けていた彬水が
何かをひらめいたような表情をする
「わかった……。おまえ、あれだろ、昨日のこと、愛良から聞いたんだろ」
「…………っっ」
がこん
思わず取り落としてしまったボールが籠に跳ねた音が、やけに大きく響く
図星だった
昨日の日曜日、やけに遅くに帰ってきた愛良は、文字どおり満面の笑みを浮かべていて
訊いてもいないのに、話さずにはいられないといった様子で
観た映画の感想やらネタバレやら(しかも卓はまだその映画を観ていない)テーマパークのアトラクションやら
その日のおデートの内容を延々と語り続けた
相手はもちろん、いま卓の背後に立っている“鬼コーチ”
目がハートマークになりっぱなしの妹に、その鬼コーチがいかに優しくオトナなエスコートを繰り広げたかまでも
心から、嬉しそうに幸せそうにまくしたてられ
心から、うんざり
今の心境を言葉で表現するとしたら、この言葉がいちばん近い
「……シスコン……」
「はあ!?」
深く長いためいきをもらした卓の背中を眺めつつ
彬水は、おかしくてたまらないというように口端を変な角度に歪めながら言った
卓は思わずそちらを振り向く
「なんで、そうなるんですかっっ」
「いや、だって、そうだろうよ。可愛い妹をとられちまったからって、ふてくされるなんて
まだまだ青いな、おまえ」
「そ……、んなこと、ないですよ……っっ」
そう、違う
胸の奥でどろどろと重苦しく渦巻くこの気持ちは
多分、いや、確実に───嫉妬と呼ばれるものに他ならない
けれど
その対象が誰なのか、本当のことを口にすれば
きっとこのひとはそんな笑顔で自分を見てはくれなくなるだろう
くつくつとからかうように笑った彬水にくってかかる言葉とは裏腹に
語尾は細く小さな呻き声のようになってしまった
途切れた言葉をほったらかしでうつむいてしまった卓のもとへ
彬水はつかつかと歩み寄り、頭をぽりぽりとかく
「まあ、その……あれだ。そうヤキモキしねえで、あいつのこと、
おれにまかせてみてくれねえかな。心配だろうけど、さ」
「!!」
───違う。そこを心配しているわけじゃない
それじゃまるで、自分が彬水を信用していないのだと言っているようなものだ
慌てて顔を上げると、彬水は思いのほか近くまでやって来ていて
卓をまっすぐ見ながら穏やかに微笑んでいた
「おまえ、ホントいい“おにいちゃん”だなあ」
「え…………。うわ」
彬水の長めの腕が伸びて、その肩と卓の肩とをスクラムを組むようにがっちりと組んだ
二人のあいだに身長差はあまりないから
互いのこめかみのあたりがかすかに触れる
違うんです
おれは、あなたが思っているような奴なんかじゃないんです
胸の奥の淀みが、喉元まで一気にこみあげる
けれど
同時に目の前には、いくつかの失うであろうもの その大きさと重さしか見えなかった
「……そ……んなんじゃ、ないですってっっ」
「おっっ」
何もかも振り切るように、卓はその腕を肩からよける
所詮、曖昧な否定以上のことなどできよう筈もないのだ
なにもかも失うくらいなら
自分の手に落ちずとも、どこかでその存在に触れていられる
そのほうがはるかに幸せに違いないのだから
「真面目に褒めてんのに」
「はいはい、わかりましたっ」
わざと乱暴に言い放ち、卓はくるりと体を反転させ、再びボールを片付け始める
苦笑しながら彬水もそれに倣い、足元のボールを籠へと落とした
まだ、大丈夫
微塵も染み出していないであろう今のうちに、きちんとしまいこんでしまえば
籠の容量いっぱいにみっしりと詰め込まれ
バランスを取りつつしまわないと溢れ落ちそうなボール
卓はそれを上から力任せに押し込んだ
* * * * *
……やっちまった……!!
脳内に降臨された腐れ神さまのぬるめな誘惑をかわすことができませんでした……
なんかもういろんな意味ですみません
060312