大人たちは
いいえ、「親の教育が行き届いた」子供たちも、物心ついたときからわたしへの態度は違っていた
自分だけでは何一つ満足にできないわたしに媚びへつらい、表面だけの笑顔
もちろん、そんな者たちに心を開いてくださいと頼む気など起きなかったから
わたしも「島の王の娘」としての態度を微塵も崩すことはなかった

けれども、一人だけ
南国の陽気の中に居ながら堅く凍えてしまっていたわたしの心を熔かしてくれた人
その人が、わたしを待っている。約束の崖で

「ドナ!」

……ああ、あなたが呼ぶわたしの名は
心に体になんてやさしく染みてくるんだろう……

「…………」

わたしはほかの誰にも見せることない心からの微笑みを返す
やさしく抱きしめてくれる腕
臆病なわたしを包んでいて
最後の瞬間まであなたの前では笑顔でいたい
わたしは彼の背に回した腕に力を込めた







その日。父親─島の王に呼ばれたドナが向かった先には二人存在していた
一人は父、もう一人は……

「おお、ドナ! ……モグ、こちらは、紹介するまでもないが
わしの娘、ドナじゃ。……ドナ」

部屋の入り口で立ちすくんだドナを王が手招きする
『モグ』と呼ばれた男はドナの身体の線をなぞるように、不躾なまでにじろじろと見つめた
招かれるままに足を進めるが、舐めるような視線が不愉快だった

「ドナ、こちらはモグ。おまえの婚約者じゃ」
「……!?」

一瞬、何も理解することができず、ドナの足が止まる

「突然のように思えるであろうが、おまえももう婿をむかえてもよい歳じゃ
モグはこう見えて、すばらしい術を使いこなす者。この島の王にふさわしい
そしてわしは大分歳をとってしまった。……わしを早く安心させておくれ」

……婚約者!? 誰の? 
…………わたしの!?

ぞわぞわと
ドナの胸の奥で何かが騒ぎ出す。……痛い……

「ドナ殿」

小柄な彼が握手を求めるかのように手を差し出す
にやりと笑う口元からのぞく白い歯が、肌の色と対照的で妙に腹立たしい

「一週間後を楽しみにしております」
「!? 一週間って……お父様!?」

ドナは自分の手を背に隠し、王のほうを向きなおす

「そう、式は一週間後を予定しておる。ちょうど日がよいのでな」
「…………!!」

目の前が真っ暗になった

「お父様、わたしは……。わたしには……!!」
「……ルカとか言う男のことが気になるのか?
奴は駄目だ。……ドナ、おまえと結婚するということはすなわちこの島の王となること
奴の身分、技量からいってもその資格すらないことくらい、お前とて判っているだろう?」
「なんてことを……お父様!!」
「王」

父親にくってかかろうとしたドナと王の間にするりとモグが入り込む

「わたしは、ドナ様ほどお美しい方に全く『過去』がないとは思わないですし
気にもいたしません。今があればそれでよいのですから
ねえ、ドナ様」

自分に酔いしれたような表情が癇に障る
再び差し出された手を払いのけ、ドナは外に飛び出した

「ドナ!!」
「……王、よいのですよ」

ヘラヘラと笑う男とおろおろと立ち尽くす男を残し
ドナは夢中で駆けていく。目指すはただ一人







ドナはその人の家の前に立っていた。しばらくずっと
どうしても顔が見たくて

でも。会ったとして、何を話すというのだろう

『あなたでは駄目だからと婚約者を決められてしまいました』……?

「………………」

戻ろうか……きびすを返した瞬間、その人の声がドナを引きとめた

「……ドナ? ドナかい?」
「!」
「どうしたんだ? こんな時間に」
「ルカこそ……」
「ああ、僕は、水を汲みに行こうかと」

彼は手元のバケツを軽く振る
そう、彼は、遠い水場へ自分の足で汲みに行き、そして何往復もする人なのだ

特に術ももっていない、身分も低い。お父様の言うとおり……

───でも、それでも
ぽろぽろとドナの目から涙がこぼれ落ちる

「!? ド……ドナ!? どうしたんだ!?」
「ルカ!!」

がこん。バケツが地に落ちる音と同時に、二つの影が一つに重なる

「ドナ……?」
「…………っ」

何も言えずルカの胸に顔を押し付け、背に回した腕に力を込める
何がなんだかよくわからないまま、ルカもドナの背にやさしく腕を回し、優しく髪を撫でた

「……落ち着いたかい?」
「…………」

ルカはドナの目元をやさしくぬぐった

「何があった? ……僕でよければ、話してごらん」
「…………」

本当に? 
話して、その後で、あなたは……

「ん?」

わたしを奪ってくれるの?

ドナはルカの目をまっすぐに見て口を開く

「……父が……わたしに婚約者を……勝手に……」
「……!?」

ぴくり
髪を撫でるルカの手が一瞬止まる

「式は……式は、一週間後、で……」
「…………」
「相手は…………術師の…………」
「そう、か…………」

ゆっくりと、ルカはドナを自分から離した

「…………ルカ?」

ルカの動作の意図が読めず、ドナは恐る恐るルカの表情を覗き込む

「そうか……そうだね。もうそんな年頃なのかもしれないね
僕の母さんも確か若いうちに結婚したと聞くし……ましてや」

──────何?
何を言おうとしているの?

「きみはこの島の王女様なのだから」

『王女』───生まれたときからドナのすべてを縛ってきた単語
慣れていたはずなのに、一番言われたくなかった人からのその単語は
ドナの心をざくりと突き刺した

「お父上……王のお眼鏡にかなった人ならば、きっとうまくいくよ。この島も、君も……」

突き刺されて、心が砕ける。音を立てて崩れていく……

「…………」
「……送ろうか。夜も遅いし」
「…………」
「ドナ?」
「…………ひとりで、帰れるわ」
「でも」

と、腕に伸ばされた手をドナは振り払った

「さわらないで!」
「ドナ…………」
「どうして? どうしてそんな風に笑うの!?
どうして。……わたし一人で舞い上がっていただけだったの?
あなたにとってわたしは『王女』それだけだったの?」

再び大粒の涙が瞳からあふれる

「…………」
「……わたしはそんな言葉を求めていたんじゃない!!」

身体を反転させドナは駆け出した

最悪…………!!
こんな形で終わってしまうなんて
正直、父がルカを許さないであろうことは判っていた。けれど
当の本人に、あんなにあっさりと肯定されてしまうなんて
───ずっと恋してたのに

「…………」

がこん
残されたルカは力任せにバケツを蹴飛ばした







あのまま、いつの間にか寝てしまっていたらしい
ドナはベッドからむっくりと起き上がり、腫れてしまった目を冷やす
冷たい水が気持ち良い。───もう、どうでもいい。何もかも

それから。ドナは空虚な時間をすごした
自分自身さえも空っぽな気がする
父の見立てた衣装を合わせ、異常なまでに喜ぶそぶりを見せる周りを見ながら、ふんわりと微笑む
感情が手伝ってくれなくても笑える。子供の頃から慣れっこだ
『王女』なのだから
まだ少し胸は痛むけれど
それでもいつかきっと乗り越えられる
───『王女』なのだから







「王女様、どちらへ?」
「ん……ちょっと、散歩」

気がつくと式はもう三日後
自分が結婚するわけでもないのに浮かれムードの面々と
自分が結婚するというのに全てをどこか他人事のように眺めている自分の矛盾が息苦しくてドナはふらっと浜に歩いた
昼間なのに、誰もいない。聞こえてくるのは波の音だけ
足先を水につけてみる。陽にあたってすこし火照った肌に心地よい

『この貝あげるよ、ドナ』
「…………!」

遠い昔聞いた声が胸に響く
そう、ここは二人でいつも遊んでいた浜辺

『僕、きっと大人になったらドナをお嫁さんにするよ』
『うん! きっとね!』

幼い頃の約束もここだった
無邪気にそんな台詞を言い合えたあの頃が懐かしい

「…………っ」

涙なんてもう出ないと思ってたのに






「ドナ様」
「!」

不意に呼びかけられ振り向くと、今もこれからも最も顔をあわせたくない男が立っていた
給仕係には行き先は告げていないというのに

「なかなかよい浜辺ですね」
「……後を尾けてきたというのですか」

ドナの問いかけには答えず、モグはじりじりとドナとの間合いを詰めてくる
体中を走る嫌悪感を隠しもせずドナはじりじりと後ずさる

「…………っ」
「本当によい浜辺だ」
「近づかないで……人を呼びますよ」
「人を呼ぶ?」

フフン、と鼻で笑い、モグは何か呪文を唱えた
ドナの腕に、足に小さな痺れが生じる

「!」

───体が、動かない……!!

ニヤニヤと醜い笑みを浮かべながらモグは、こわばらせた表情を浮かべるドナの目の前に立った

「……こんな人気のないところで叫んだところで、誰も気づきはしませんよ
……おや」
「…………!」

モグは指をドナの腕から腋にかけてなぞらせる

「震えていますね、ドナ様。どうなさったのです? 
……貴方とわたしは、あと三日後には晴れて夫婦になる仲だというのに」
「……ひっ」

モグの左腕に巻かれた蛇がゆっくりと身を伸ばし、ドナの右腕に絡みつく

「……美しい……」
「……い……やっ……」

腰のあたりまで身を這わせながら、嫌悪感と恐怖に震えるドナの表情を確かめるように
蛇は一度頭をドナの真正面に据えてから胸元へと入り込んだ
ぬるぬるとした感触が、胸から腹、腰、下腹部をうごめきながら降りていく
らせん状に絡みながら

「…………!!」

術は解かれていたが、声を出すことも動くこともできず立っているだけで精一杯のドナの足元から
蛇が主のもとへ戻っていった

「三日後の夜には」
「……?」
「一糸まとわぬその身体にこの蛇を絡ませた貴方の姿が見たいものですね」

ドナは砂を掴み、力いっぱい投げつけた

「汚らわしい!!」
身体だけでなく、思い出のこの場所まで汚された気がした





その晩、どうしても食欲が沸かず、ドナは晩餐にも顔を出さずに自室に篭っていた
頭の中であの男の言葉がいやらしく響く

『三日後には』
『一糸まとわぬ姿で』

普通の恋人達であれば互いの縁を喜び合うであろうその日にわたしは
あの男に身を捧げなければいけないのか
「王女だから」……そんな理由だけで……

ぞくり、とドナの背中を悪寒が走る
いや、……絶対にいや!!

「……助けて…………」

震える身を支えるように自分を抱きしめてみても、心まで支えきれるわけがない



その時
窓の外にしつらえ、茂みに引き糸を垂らした鳴子が静かに音を立てた
その糸の在り処は自分以外には一人しか知らない

「…………!」

窓に駆け寄り、目を凝らす
視線の先に見覚えのある影を見つけるや否や、ドナは駆け出した

「ドナ……!」

息を切らすドナの体を、ルカが優しく抱き止める

「……ル……」

涙が溢れて言葉が続かない







「このあいだは、すまなかった」
「ううん……」

人目を忍び城から離れ、二人は浜辺に佇んでいた
寄せては返す波の音を聞きながら、絡めた指の先から少しずつ張り詰めていた緊張の糸が緩んでいくのを感じる

「ドナに向かって言えた義理じゃないのだけれど……僕も、混乱してしまっていたので……」
「…………」
「あの時僕は、身分も術も、何一つ持っていない自分自身が途端に情けなくなってしまった
本当は君にこうして逢うことすら許されない身だということを
改めて思い知らされた気がして」
「……そんな……こと言わないで……」

言葉を続けようとするルカの唇をドナは指で塞いだ

「…………ごめん」
「わたしは……」

うっすらと涙の滲んだ瞳をルカにまっすぐ向け、つぶやく

「……わたしは、ルカじゃないと、駄目なの……」
「ドナ……」
「…………」

ゆっくりとドナはルカの胸に身を預けた
呼びかけには答えず、肩に添えた手に力を込める

「愛しているよ、ドナ。初めて会った時から。……本当に、心から」
「ルカ……」
「気持ちだけなら、誰にも負けないのだけれど」
「…………わたしもよ」

するり
衣擦れの音が低く響く

「……ドナ!!」
「ルカ! 目を逸らさないで! わたしを見て!」

暗がりの中、月の光がドナの体のラインをくっきりと浮かび上げる
目を逸らしたい筈がない
理性という衣でずっと包み込んでいた感情の奥でずっと見たいと欲していたものが
目の前にあるのだから

「…………っ」

血が昇り、浅黒い肌がすこし赤みを帯びる
それ以上に頬を紅潮させながらドナはルカの手を取り、頬を摺り寄せた

「……わたしの全てを……見て……」
「ドナ…………!!」

堪えきれずに細い体を抱きしめる

ドナの体の線を辿るように、たどたどしくルカの唇が触れては離れる
頬に、顎に、首筋に

「…………っ」

くせの強い髪にお互い指を遊ばせながら、二人は初めて唇と唇を重ねた
舌と舌を絡める。胸が疼き、息が荒くなる
温かい掌がドナの胸に伸び、膨らみを優しく包む
少しずつ敏感になってきていた突起に擦れ、思わず声がもれる

「……は……ぁ」

自分で自分の濡れた声に驚いてしまう

「ドナ……」

それに呼応するかのように、ルカの行為に、より力が篭る
掴み上げるように乳房を揉みしだき、唇と舌は下腹部へと移動しながら
もう一方の手は自分自身の入り口を遠慮がちに、でも確実に押し広げていく

「っや…………。ルカぁ……」

恥ずかしさと、どこかに引きずり込まれそうな感覚の怖さに
思わずドナはルカの、自分を弄る腕を握る
ルカは自分の腕を握り抵抗するドナの指を丁寧に外し、一本ずつ口に含むと
もう一方の指と組み合わせ、その上からしっかりと自分の手で包んだ
そして再び、今度は舌で少しずつ零れていた蜜を舐めとる

「〜〜〜〜〜!!」

電気が流れたような甘い痺れがドナの体中を駆け巡る
腰ががくがくと震え、力が抜けていく

「ドナ」

いつの間にか目の前にルカの顔があり、こちらを覗きこんでいた

「……ちょっと……いや多分、かなり痛いだろうけど……ごめん、我慢して」
「……あ……っん……いあぁ……っっ!」

初めての、そんな箇所の異物感に、そこは激しく抵抗したが
少しずつ、奥へと侵入を許していく
それに伴い、自分の体のそんな奥にまで
相手を受け入れるための場所があるということを改めて知らされる

「……す……まない、ドナ……っ……でも……」

謝罪する言葉と裏腹に、我慢しきれずルカの動きが早まる

「あぁ……っあ、ああ……!!」
突き上げる衝動にドナが耐えられなくなるのと、ルカが己の熱を吐き出すのとは
ほぼ同時だった





次の日の朝、ドナは少し遅めの朝食をとり
微笑みを口端に乗せながら穏やかな時を過ごした
胸のうちに、誰にも悟られてはならない約束を抱えながら

そして今、誰にも疑われることなくこの地に立つことができている
ルカとふたりで



『……気持ちだけでは、この世界では駄目ということなのよね……』
『…………』

いたわるように、一定のリズムで背を優しく叩いていた
ルカの手が止まる

『…………』
『そういう……ことなのだろうね……けれど、僕は』
『ルカ』

それまでの蕩けた眼差しとは一変し、強い光を込めた瞳と口調で
ドナはルカの言葉を制する

『……わたしは。貴方と、わたしの気持ちだけでは駄目な世界なんて、要らないわ』
『…………』

ルカは指でドナの頤を優しく持ち上げ、深く口付けてから言った

『そうだね。……こんな世界、捨ててしまおうか』
『…………』
『この海岸を東に進むと、切り立った崖があるだろう?
……明日、太陽が一番高く昇った頃にふたりでそこから……』
『ルカ……』



怖くない、と言ったら嘘になる
けれど
それでもいい、と思う気持ちの方がはるかに強かった



「いいのか?」
「……ええ」

もう迷わないわ
貴方とわたしは、貴方とわたしの気持ちだけがあればそれでいい世界へ
旅立つことができるのだから
ありがとうルカ
きっと今のわたしは今までのどのわたしよりも幸せな顔をしているわ

一歩、足を踏み出す
遠くから、誰かが何かを叫んでいる……