もともとそういったイベントものには疎くて
この時期になると、なんだか主要道路が混んでるな、とか
その程度の認識しか持っていなかったから
今日、自分を誘った相手が目の前に登場したその瞬間
いつものように、Tシャツとジーンズでやってきた俊は、自分の鈍さを呪った
「ど、どう……かな……」
消え入りそうな声で、真っ赤な頬
少し引きつった笑顔を浮かべながら
おずおずと蘭世は俊の顔を覗き込む
紺色の地に、濃い紅色の牡丹が誇らしげに咲き乱れたその浴衣は
浴衣だけを見れば、一見、自己主張が激しく派手な印象を受けるのに
蘭世自身が元々兼ね備えた清楚さのお陰なのか
上品に、凛として、目に映える
アップにした髪はランダムにまとめられ、バランスよく遊ばせた毛先がかわいらしく
けれども項に残った後れ毛も、控えめながらにその視線を誘って
しばらく、口を開けて眺めてしまっていたかもしれない
そんな不安に駆られながらも、俊はようやく声を絞り出す
「……悪くない」
「そ、そう、かな? よかった……!」
心底ほっとしたように微笑む蘭世の笑顔が
いつもよりも更に眩しく思えて俊は
わざとぶっきらぼうにその手を取る
「ほれ、行くぞ」
──────あ。ちょっとまずい……かも……
家を出た1分後くらいから感じていた違和感がだんだんと大きくなって
一歩一歩踏み出すたびに響く確かな痛みとして感じられ始めたのはつい先刻のこと
射的に輪投げに金魚掬い
水風船をたわんで、ふわふわの綿菓子をつまみ、色とりどりの鼈甲飴に目を奪われながら
騙し騙しやってきたのだけれど
じんじんと、擦れるたびにしびれる指が少しずつ、何となく、湿り気を帯びてきて
立ち並ぶ屋台の明かりを頼りに、ふと覗き込むと
真っ赤に染まった足の先
「…………!!」
どうしよう、どうしよう、どうしよう
でも、とにかく真壁くんには知られたく、ない
だって今、こんなに楽しそうなのに、わたしも楽しいのに
「そろそろ花火が始まるみたいだな
あっちの方が、よく見えそうだし、行ってみるか」
「! あ、う……うん! そうだね♪」
唐突にこちらを向いて誘う俊に、二重の意味で驚きながら
蘭世は再び、めいっぱいの笑顔を作る
──────だって、今、知られたら
強くやさしく手を引くその力に
いつもなら、何の抵抗もなくついていけるのに
転がる砂利につまづいた、ほんの少しの衝動で、痛みは倍に広がる
思わず歪んだその表情に、いくら鈍い(ときに故意的)俊とはいえ
気がつかない筈もなく
「……おい……?」
「え、あ! ご、ごめんなさい、なんでも、な……っ、痛っっ!」
堪え切れず零してしまった、悲鳴にも似た声に
視線を下へと滑らせた俊は
界隈に響き渡るほどの大声で怒鳴りつける
「なんでさっさと言わねえんだ、バカ!!」
今か今かと花火を待つ人だかりから少し遠ざかり
背の低い草の生え揃った河川敷にミニタオルを敷いて
俊は抱きかかえた蘭世の腰をそっと下ろす
そろりと注意深く下駄を脱がせると
ずっと我慢していた患部は、痛々しく赤く染まった肉が見えるほどで
相当な痛みだったのであろうことが想像できる
「……大丈夫か?」
「ん……。ちょっと痛い……けど……」
それより……と、俊の手におさまった下駄を受け取りじっと見て
蘭世はしゅん、と肩を落とす
「下駄、駄目になっちゃった……下ろしたてだったのになぁ……」
血は、ところどころに細やかな刺繍の施された鼻緒や下駄台まで点々とこびりついていて
確かに、ただでさえ繊細な扱いを要する下駄についたそんな汚れを落とすのは
普通なら、不可能かもしれないけれど
「……それくらいなら、落とせるけど」
「え! ホントに!?」
即座に、期待を込めて輝く蘭世の顔
赤に染まった部分に手を添えると、すうっとそれは消えていき
見る見るうちに、蘭世の表情に笑顔が戻る
「すごーい! 真壁くん、こんなことまでできるんだ! 洗濯機いらずね!」
「……いや……洗濯くらいは普通に済ませたい……。ほれ、次。足出せ」
「あ。うん……ごめんなさい……」
動きに沿って自然に開く浴衣の合わせ目を押さえながら蘭世は
俊の手元へとその足を伸ばす
その瞬間、蘭世のはるか前方・俊のはるか後方で、にぎやかな歓声が沸き起こり
爆発音とともに、空が一気に明るくなる
「あ、打ち上げ、始まった」
「え。……あ……」
「……すごい、綺麗……」
次から次と先を争い空に開く色鮮やかな花々
蘭世は痛みも忘れて
その美しさを食い入るように見つめる
「…………」
その姿は、薄暗がりの中
観衆の声とともに広がる光に照らされて
悪戯な光は、闇に溶け込む浴衣の紺と露わになった脚の白さとの対比までも
同時に映し出して
思わず息を飲み込んだ喉元が
ごくり、と妙に大きく音を立てる
「え!? ……っひゃ……な、何……」
先刻、下駄の汚れを落とした手は
傷ひとつない滑らかな踵に添えられて
癒しを求める足指には
ねっとりと、舌が這う
「何って」
「! だ、だって、血も出てるしずっと歩いてたから汚いし……!」
「かまわねえよ」
「かまわないって……! そ、それにほら、誰かに見られたら……!」
「…みんな花火に夢中だって。おまえもちゃんと見てろよ。楽しみにしてたんだろ?」
心持ち、踵を引き上げられたせいで自然と開いた指の又を
なぞるように舌が蠢く
はだける浴衣の裾を押さえるのに手一杯で抵抗できない蘭世の脚の間に
するりと、もう一方の手が入り込んで
逆撫でするように脹脛から腿根を辿り
人差し指と薬指で、器用に開いたその扉から
鍵状に曲げた中指を忍ばせる
恍惚の表情を浮かべながら丹念にそこだけを攻め入る、時を急くような、順を追わない侵入が
却って官能的に胸の奥に響いて
花火を愛でる余裕など、あり続けるわけもなく
「──────ぁ」
思わず上げた声は
花火の放つ音に紛れて、他の誰にも聴こえない
花火の灯りに照らされたその表情は
一心に花火を見上げる人々の目にとまる筈もなく
ただひとり、俊だけのもので
口端を歪めた微笑を満足げに浮かべ
背中で響く音と歓声を耳に、文字通り二人だけの空間へ飛ぶべきか
それとも、誰もこちらに意識を向けない大勢の背後に在り続けるべきかを思いながらも
今この瞬間にこみ上げる衝動を抑え切れずに
鼻先を擦りながら俊は、少しずつ、奥へと進む
花火はそしらぬ振りをして
次々と、打ち上がり
闇夜を照らし、二人を照らす