その日も俊はトレーニングに夢中だった。ふと時計をみると深夜。
思い出したかのように俊は家路につく。
鍵を開けると、部屋に灯り。入り口に背を向け、彼女が正座して待っていた。

「……ただいま」

肩のあたりが声に反応するが、こちらを見ない。

「どうして、連絡くれないの……? 今日もこないだもその前も、わたしがここにいるの知ってて……」
「……悪い……待たせっきりにしちまって」

荷物をおいて俊はそちらに向かう。

「そんなんじゃなくて……」
「?」
「外に出るとわたしのことなんて考えてもくれないんでしょう?
いつもいつも、やきもきしてるのはわたしばかり!
実は事故に遭ったんじゃないかとか、倒れちゃったのかな、とか、それ以外だって……」
「…………」
「言わなくても判ってる、とか思ってる?」
「……何を」
「真壁くんは、そう思ってるかもしれないけど!
言ってくれなきゃ駄目なときってあるの! 信じてるだけじゃ足りないときもあるの!」

はらはらと零れ落ちる涙。きっと少し前にも泣いていたのだろう。
握り締めたハンカチが湿っている。

「…………」

俊は無言で立ち上がり、着替え始める。
いつもなら、震える肩を優しく抱き寄せるはずなのだが。

「……おれたち、結局のところ、合わないのかもな」
「…………!!」

一瞬、目を見開きこっちをみる。
俊の頭から足先まで視線を運ばせ、一つため息をつく。

「……そう……だね……」

彼女はそのまま静かに出て行った。
それっきり、見事なまでに音沙汰がない。





正直、彼女の特技の「不安がり」が、鬱陶しくなかった、と言うと嘘になる。
けれど、あの台詞は我ながら魔がさしたとしか思えない。
俊だって、彼女が自分のことを本当に心から大事に思ってくれていることくらい知っているから。
そう。
「離れていても心はひとつ」じゃないけれど
いちいち言葉にしなくても、どこかつながっていると信じていた。
好きとか愛してるとか、そんな単語じゃ表せない何かで。
それが、甘えだったということなのだろうか。

あの日からほぼ一年たとうとしている。
俊の戦績―「公」の場では変わらず順調だったが、
それは、実力は勿論だが、空虚になった「わたし」を忘れるためにのめり込んだから。
早咲きの天才ボクサーと呼ばれはじめたのはこの頃。
家に帰っても眠るだけの日々が続く。
乾いていく心に潤いを与えつづけてくれていた彼女を思い出すばかり。
同窓会の葉書が届いたのは、そんな週末だった。





通常だったら、そんな馴れ合いに興味無しだから、一笑に付して目も通さず処分、のところなのだが、
俊はひとつの期待を胸に、その会場にいた。
一学年、都内のホテルを借り切っての同窓会。
入場する時に、割り振られた部屋のキーを渡される。
それをポケットにしまい、俊は会場を見回した。

次の瞬間、俊の目はただひとりの人だけを映していた。
周りのざわめきも聞こえなくなり、はやる心臓。足早にそこに向かう。

「……オス」

蘭世らしいセレクトの、清楚な淡いピンクのワンピースに、ゆるくウエーブのかかった長い髪。
あのころと何一つ変わっていない出で立ちに、ほっとしながら声をかける。

「! ……お久しぶり……デス」

こつんと、何かがひっかかる。
それでも、喋らずにはいられない。

「元気か?」
「ええ……。真壁くんこそ……。テレビとか、新聞とか、すごいね」

はい、と俊の手にワイングラスを渡す。

「ふふ。いきなりチャンピオンだもん。わたしも友達に自慢しまくっちゃった。知り合いなのー、って」
「!」

その、以前とは全く違ってしまった薄い微笑みと、『知り合い』という単語が、俊を苛立たせる。

「……ちょっと来い」「え!?」

腕を掴み、そのまま会場を抜け出した。





力任せに、半ば引きずるようにして歩き、割り当てられた自分の部屋に向かう。

「ちょっ……! 真壁くん!?」

振り払おうとする手を封じながらキーを回し、暗い部屋に押し込んだ。

「……っ どうして……」

抗議の言葉を紡ぎだそうとする唇を無理やり唇で塞ぐ。
やわらかい、しっとりとした唇。
あの頃を思い出させるその感覚に、俊は酔う。

「…………」

そのまま、部屋の隅のベッドまで連れて行く。
床に膝をつかせうつ伏せに押さえ込み、ワンピースのファスナーを下げる。
背中に舌を這わせながら襟を掴んで引き下ろす。
剥き出しになった肩がびくんと震える。

「やっ……!」

なおも抵抗しようとする細い身体をいともたやすく組み伏せ、
ベッドと蘭世の間に手を差し入れて柔らかなふくらみを痛いくらい強く揉みしだく。
これじゃまるで強姦だな。自分の中の一握りの理性がつぶやくが
感情を留めようという気は毛頭無いらしい。
柔らかな髪に顔をうずめ、その香りを胸いっぱいに嗅ぐ。
シャンプーの香りと控えめな香水の香りと蘭世自身の香り。
闇とそれが混ざって、俊を興奮させる。
抑えきれない気持ちに正直に、指で、蘭世だけがもつ花を犯していく。
そこは濡れ始めているのに、きつく閉じて俊を拒む内腿。
この体勢では分が悪い。無理やり体を反転させ、ショーツとストッキングを
一気に引き下ろす。露わになったそれに吸い付き、音を立てて味わう。
届く限り、奥まで。

突然蘭世の脚の力が抜ける。

「…………?」

半開きになったカーテンからほのかにさしこむ光を頼りに顔をみると、目元には大粒の涙。

「……あ」
「どうしてぇ……?」

俊の腕から解放された腕を、蘭世は目に押し当て顔を隠す。

「どうして、こんなこと……。もう好きじゃないんでしょう……?
だったらこんなことしないで……惑わせないでよ……」
「江……」

伸ばした手を振り払い、堰を切ったように泣きじゃくる。

「……」

俊は言葉を飲み込んでしまう。
そのまま傍らに腰をかけ、蘭世の涙が落ち着くのを待った。





「……悪かった。あのころのこと」

蘭世にハンカチを預け、ぽつりぽつりと俊が語りだす。
蘭世は横になったまま、久しぶりの、その低めの声を聞いていた。

「試合に、いっぱいいっぱい、ってのもあったんだけど、ちょっと……いや、
かなりおまえに甘えてたと思う」
「…………」
「連絡だけじゃなくて、いろんな言葉をおまえが求めてるの判ってた。
……けど、上手く言葉にできなくて、逃げてた。
べらべら並べるのも嘘っぽい気がしてたってのもあるけど、……そういうのは苦手だしな。でも……」

長い髪を指に絡める。

「真……」
「愛して、いる。今でも」

目をまっすぐに見て、言う。
蘭世はその視線をはずせずにいる。

「……許してもらえないかもしれないけど、おまえをあきらめるなんて、……できねえよ」
「…………っ」

いろんな感情が一気に湧き上がってきて、再び、蘭世の目から涙を押し出す。

「泣くほど、嫌なのか……?」
「違……」

言葉だけでは足りない。蘭世は俊にしがみつく。

「……わたしだって……嫌いになんてなれなかったんだから……
変わらず、好きだったんだからね……っっ」
「…………」

俊は安堵感とこの上ない幸福感と忘れかけていた安らぎに包まれて
蘭世の背に手を回した。
改めて合わせる唇。胸が熱くなる。
もう一度確認するように顔を覗き込んでみる。
静かだけれど、さっき会ったときとは全然違う微笑み。
まだ涙の残った大きな瞳。

「……抱いて……」

蘭世はそれをゆっくり閉じ、俊の胸に再び全てを預けた。