「ねえ、おねえちゃんって、まだ帰ってないの?」
「え」
軽く聞いた鈴世の言葉に、その場にいた全員の空気が、固まった。
冬休み。俊と蘭世ほか江藤家の面々は、とあるスキー場に来ていた。
他のスポーツは完璧なのに、なぜかスキーだけは相性が合わない俊に
得意そうに講義していた蘭世。
『足はねえ……ハの字で……ほら、簡単でしょ?』
『……う……。わあ!!』
面白いようにすってんころりんと転がる俊をみて、数少ない自分の優位を楽しみ
満面の笑みの蘭世。
『う〜ん……上級者ゲレンデデビューは無理かなあ……』
ちょっとコツを掴めば簡単だと思って、当初の予定はすぐ二人で滑りに行くつもりだったのだ。
『るせえ! 早く行け!!』
『はいはい♪』
ひらひらと手を振って、そこで、別れた。
と言うか、追えなかった。
雪明りでぼんやりと白く光っているとはいえ、もう、外は真っ暗。
「上級者ゲレンデ……こっちか」
俊は不慣れな板使いでリフトに乗る。
きっと、ラストの運営……。帰りは絶対自力で滑らなければ。
「……ソリでも借りてくりゃよかったかな……」
一人ごちる。
いや、助けに行くのにソリってのも……ビジュアル的に最悪だ。
このときはこんな気楽なことを考えていた。
とりあえず、リフトから降りて、頂上。
「くそ……どっちだ……」
吹雪はだんだんひどくなる。不慣れな上にこの状況では、どう進むべきか見当も付かない。
滑った跡など、とっくに降り積もる雪がかき消してしまった。
「…………っ」
俊は左手に持っていたストックをぱっと離す。
静かに音もなく倒れたその方向に向かって滑り出した。
『そういえば、見てないな……。真壁くん、知らないかね?』
『いや……上級者ゲレンデにいく、とそれっきりで……』
あいつ……。
『まあ……!! 外はもう吹雪よ……。どうしましょう』
望里の言葉も椎羅の言葉も耳に入らない。
『……おれが、いきます』
『え!? でも、真壁くん、君、スキーは……』
『大丈夫です。何とか……します』
おれの責任だ。何で、一人にした……!?
その気持ちだけが俊の頭の中をぐるぐると回っていた。
『じゃ、じゃあ、こちらではレスキューを手配しておくから……すまない。よろしく頼むよ』
『はい』
きちんと返事できたかどうか。俊はダッシュでゲレンデに降りていた。
もうどのくらい滑ったのだろうか。
多分直線距離にしてみればたいしたことないゲレンデなのだろうに、
ぐるぐると滑ってしまって、自分がどこに向かっているのかすら不明。
「……あ」
きょろきょろしながら滑っていく俊の目の端に、久しぶりの灯りが飛び込んできた。
……小屋……? きっと、誰かがいる。
―――それに気をとられて、俊は目の前に立っていた大木に激突した。
「!!」
痛え…………。
しばらくそこに横になってしまう。
くそ……ミイラ取りがミイラになってどうする……。
俊はやっと立ち上がり、目の前の小屋に向かい、扉を叩く。
「……あ……」
中に座り込んでいたのは、今までうろうろ探していた相手そのもの。
「!!! おまえ……なにやって……!」
「ご、ごごごごめんなさい!!!」
「そう……。あのあと、3回くらい往復したの……。
で、4度目……かな。管理してるところから、危険だよって放送はいってたんだけど。
……もう一回くらいなら大丈夫って調子に乗ってきてみたら……こんなになっちゃって……」
「で、ここにずっといたのか」
「ん……」
「そっか」
ちいさなストーブ一つあっても、あまり意味のない、妙に広い小屋。
ほんのりと暖をくれるストーブの前に二人はくっついて座っている。
「ごめん……なさい……」
蘭世は俊の腕に静かに触れる。
「いいって」
俊は蘭世の肩を強く引き寄せた。
「…………」
「? おまえ……震えてないか?」
「ん……ちょっと……寒い……」
この小屋にいたのでは無理もない。
無我夢中で滑ってきた自分の方が、運動していただけまだマシ。
「ほれ」
俊は自分のウエアを脱ぎ、蘭世に掛ける。
「……駄目……だよ。真壁くん……こそ……」
そう自分を気遣う台詞を忘れない唇はすでに血の気が引いて、紫色。
だんだんと熱が奪われていくのが見て取れる。
「……ちゃ……んと……着てて……」
「おい、江藤?」
「…………」
不自然に白い頬。くったりと、言葉を発するのもつらそうな横顔。
「……くそ……」
俊は蘭世のウエアのファスナーをおろす。
……まか……べくん……?
薄れていく意識。あれ……わたし、ほんとうに死んじゃうのかな……。
「……悪い……こうするしか……ねえよ。
あまり、見ねえように、するから……しばらく我慢しろ」
自分の脱いだウエアを下に敷き、俊は有無を言わさず蘭世を横たえた。
……何……言ってるんだろ……。真壁くん……の声が……遠い……。
中に着込んでいたフリース、Tシャツ、下着すべて努めて機械的に取り去っていく。
『初めて、生まれたままの姿を見る感動』なんて微塵も見せない。
「…………」
ゆっくりと。同じく生まれたままの姿になった俊が身体を重ねる。
ほわほわほわ。
あれ?
あったかいよ? なんで?
おふとんのなかみたいね。
天国?
部屋にはパチパチと燃えるストーブの炎の音と風の音。
それからしばらくして。気が付くと自分の上には。……俊の、身体。
「…………!?」
一気に蘭世は心拍数があがる。思わず、久しぶりに開いた目を閉じてしまう。
ぎゅっとつむった目を薄く開くと、目に入ってくるのは
ストーブの炎に弱く照らされてぼんやり浮かぶ腰のライン。
吸い付くように密着する、割とキメ細やかな肌。がっしりとした肩幅。
ゆっくりと腕を、腰を、優しくさする、大きな手。
あまり物の触れることのない内股に入り込んだ脚。初めて感じた重み。
蘭世は別の意味で震えた。
「ま……かべくん……っっ!!」
「あ、気づいたか」
普通に。通常通り。おはよう、というように俊が応える。
「……や……」
めいっぱいの力で俊の身体を押し戻そうとする腕。
「いやって……。判ってるけど、しょうがねえだろうよ」
「違……くって……」
それをいとも簡単に抑え、胸からはずす俊。
なんだか涙が出そう。ドキドキしてるのはわたしだけ?
「……平気なの?」
「何が」
「……何が、て……っっ」
咄嗟に胸を隠す。だんだん真っ赤になる頬。
現金……。さっきまであんなに冷え切ってたのに。
「何とも思わないの!? わたし……裸だよ!?
わたし、そんなに魅力ないの!? かわいくないの!?」
判ってる。さっきまではそんな余裕なんてなかった。
文字通り、死にそうに冷え切った身体を温めよう、純粋にそう思ってくれたのに。
変にわたしが緊張して無駄な力を使わないよう、気を遣ってくれてたのに。
いきなり元気になって、ワガママ言ってるだけ。ごねてるだけ。
「どうしてそんな無表情でいられるの!?」
勝手だ……。ただの子供だ、わたし……。
「…………」
じっと。
すべての動きを止めて蘭世を見据える俊。
「う……」
俊の右手がすっと蘭世の頬に伸びる。―――ぶたれる!?
……ぴと。大きい手のひらが蘭世の頬を包み込む。
「……ちょっとは、回復したみてえだな」
「……あ……」
蘭世の肩に、放っておいたウエアを掛ける。
「気に触ったんなら、謝る」
「真壁く……」
そのまま離れようとした腕に蘭世はしがみつく。
言葉が出ない。ごめんなさい、も。ありがとう、も。
一番言いたい、違うよ、の一言も。
「…………」
「…………っ」
涙だけが勝手に流れてくれる。
「くそ…………」
俊はうつむいてしまった蘭世の顔を無理矢理持ち上げて唇を重ねた。
「…………」
「……ぁ……」
「……平気、なわけ、ねえだろ……」
俊は自分の腕にしっかりとまわした腕を解き、左手を
自分自身に導き、ゆっくりと触れさせる。
「……あ……」
すっくと立ち上がり、いまにも弾けそうな、自分にはない部位。
「おれは、おまえと違って、さほど弱ってなかったんだからよ……」
「う…………」
真っ赤になった頬に再び手を添え、二回目のキス。しっとりと、絡む舌。
「……遠慮、しねえぞ、もう」
「……ん……」
こくり。蘭世はその胸に真っ赤な顔を押し付けて体の力を抜いた。
日常生活では、大分、手加減してくれてる。
初めてそう知った。
腕を掴む力が、知っている俊の力と、ぜんぜん違う。
「…………んぅ……」
思わず声が漏れる。初めて触れられた箇所……初めて舌で触れられた感触。
たどたどしく蘭世をいざなう指。初めての体験ひとつひとつが蘭世を突き上げる。
俊は蘭世の全てを手に入れようと、自分の知りうる術を矢継ぎ早に蘭世に与えていく。
すこしずつ、けど着実に準備されていく最後の砦。
俊は注意深く自分自身を埋め込んでいく。
悲鳴に近い声も締め付ける感覚も、俊にとっては至福。
優しくはするが自分の要求も通す。ゆっくりとその要求が蘭世の要求と同化するまで。
気を遣っていたわけではないと思うが、
レスキューと江藤家三人がその小屋にやってきたのは大分後のこと。
二人の世界をつくりあげゲレンデを降りてくる二人に
半ば呆れ、半ば喜び……。勘の鋭い鈴世だけ意味ありげな微笑みを見せたが、
万事、めでたしめでたし。