城から続く小路を、ふたり一定の距離をおいて並んで歩く
「……少し風は強いが、気持ちいいくらいに晴れているな」
「え、あ……ええ……。わたしがお城に来たときもすごくいい天気で…………」
「外を歩いたのは久しぶりのことだ
最近はずっと、時間が空いたときには本を読むなどして過ごしていたからな」
「は、はあ……」
本を読む
昔だったら絶対に発せられないような言葉にとまどいながら、曖昧に応える
そういえば、ふたり並んで歩くのも、久しぶりのこと
魔界へ足を踏み入れること自体少なくなっていて
最後に足を運んだのは……あの日、意識を失った彼を運んだときで
ふたりでこの路を歩いたのは、そう、もう遠い昔のよう
結婚式にお呼ばれした帰りだったから、あの日も、慣れない踵の高い靴
少し足が疲れてきたかな、そう思い始めるタイミングの場所にそこはあって…………
「このへんで良いだろう」
「…………!」
ついたところは、恋人たちの森
あのときの自分たちが、鮮やかに蘇る
わたしは日頃あまり着慣れないドレスにちょっとだけ浮かれて
見慣れない正装にとてもどきどきしながら
足に絡むマントをイライラとよけるあのひとをちょっとだけからかって
人の式だというのにずっと余韻に浸ったままのわたしを
少しだけ冷静に眺めたそのあとに
わたしの目が一気に醒めるような言葉を口にして
「……何を、考えている?」
「ひゃあっ!?」
その場に立ち尽くしてしまった蘭世を突然真正面から覗き込み、彼が問う
「……急に、黙り込んでしまったので……」
「え…………あ、えっと……。は、花が綺麗だな、って…………」
しどろもどろの返事
だって、あのときの約束にも似た呟きを思い出していたなんて、言えな…………
「…………そのときも、花は今のように咲いていたのか?」
「!!」
「あのとき何があったか」を、このひとは知っている
思い出してくれたとは思えない
と、いうことは…………
「わ、わたしの……心を……」
『読んでいるの?』そう続けようとした蘭世の言葉は
目の前にあるもうひとつの瞳の、寂しげな色に押し留められる
「……おまえとの思い出を……」
「…………え」
「……おまえの知る『過去の私』を思い出せない『今の私』は
おまえにとって、何の存在価値もないのだろうか」
「!」
一陣の風が、ざあっと、ふたりの間を通り過ぎていく
「おまえにとって……いや多分これは私の周りの皆がそうだと思うのだが……
今の私が、真壁俊ではないただの他人にしか思えないように
今の私にとって過去の私=真壁俊は他人に等しいものでしかない」
「…………あ……」
考えたこともなかった、葛藤
確かに、周りの人間が受け入れきれていないのだから
その張本人はそれよりも遥かに強く重くのしかかるものがある筈なのに
この人があなたの恋人です
この人があなたの親です
ここがあなたの家です
そんな、自分という存在をとりまく事象というものは、誰かの言葉だけで受け入れるものではなくて
自分自身で考え、思い、納得するもの
その根幹となる自分自身というものを作り上げてきた拠りどころのひとつ──記憶──が欠けてしまったのだから
「そして……自分を通して他人でしかない存在ばかりを思い募られるのは
とても、とても空しいものだ……」
ずきん、と突き刺さる
今の彼を目の前にして、ずっと、そして今も自分は何を思ってきたのか……
目の前の彼がどんな心境で在るのかなど思いを馳せることもなく
ただ過去を思い自分を思いこれからを憂いていただけ
けれど、その想いは…………
「……ああ、いや、そのこと自体を責めたいわけではない
心の奥でどう思っているか、の問題であって
それを表面上に出さないよう努めてくれていることも理解しているつもりだ
だが……」
言葉を継ぐことのできなくなってしまった蘭世を
真正面から見据えながら、彼は続ける
「今の私で在り続けることは許されないことなのか?
今の私は全否定されねばならないのか?」
いつの間にか蘭世の腕にかけられていた手に、少しだけ力がこもる
「戻るかどうかも判らない記憶を戻そうと皆が躍起になっているが、いつまで、それは続くのだ?
もし、何らかの方法で記憶が戻らないという確証が出てしまったら、今の私はどこにいけばいい?
私はずっとそれからも、過去の自分を越えることもできず、囚われたまま生きていかねばならないのか?」
そんなことはない
という言葉が、今の彼にとって一番の救いになるのだろう
けれど、そう告げることは、できない
記憶を呼び戻して欲しい
そう願っている心がある自分がそんな言葉を告げることは、誰に対しても気休めでしかないのだから
記憶が戻らない確証 そんなものが出てしまったとしたら
今の自分もどこにいけばいいのだろう
そう思っている心がある自分には、気休めの言葉をかける余裕すらないのだから
ふと小さな溜め息をもらし、彼は口端に笑みを浮かべる
嘲笑ともとれるような、もう笑うしかないと言っているかのような
「私を愛したというおまえなら、なんらかの道標を示してくれるのではないかと思ったのだ
……おまえが愛しているのは、過去の私であって
今の私ではないのだということを、こんなときだけ都合よく忘れて、な……」
「……あ……」
「……取り乱してしまって、すまない。お茶をいただこうか
持ってきてみたのはいいが、残念ながら私はおいしく淹れる作法を知らないので
淹れてくれるか?」
「…………」
掴んでいた腕を放し芝生に腰掛け、彼はバスケットからティーセットを取り出す
「……と、湯はこの中にある」
「……はい……」
香りのファースト、味のセカンド
そんな季節ごとの顔を季節ごとにふたりで楽しめたらいいね
改めて言葉にすることはなかったけれど
時を重ねたあるときふと一番この味が好きだと言ったのがオータムナル
ティーポットに彼の分、自分の分、そしてポットに住むという天使の分の茶葉を落とし、湯の入った瓶を傾ける
そのとき、再び風が二人の間を通り抜けた
「きゃ…………っ……!!」
細かな塵が目に入り込みうろたえた蘭世の手から、瓶が滑り落ちる
その瓶はひとりでに安定するはずもなく、中の湯は必然的に、落ちた場所―蘭世の脚―に広がることとなる
「! 熱……っ!」
「!? あ……! 湯が……」
「や……やだっ! ごめんなさい! せっかくのドレスが……」
目をこすりながら染みの広がる腿のあたりをつまみ蘭世は立ち上がる
「莫迦! 何言ってるんだ
そんなものはどうにでもなる、そんなことより早く脚を……」
「あ、大丈夫……です、脚は泉の水で冷やせば……それよりドレス……」
「……だから! 服などどうでもいい!」
業を煮やした彼は少し乱暴にドレスの裾をたくし上げ、赤く色を変えてしまった内腿に手を添える
「!! や……っ! 何を……」
「何って……治療を……」
慌てて脚を隠そうとする蘭世の、脚と同じくらい赤く染まった頬を見あげて、初めて彼は
蘭世がどんないでたちでそこに立っているのか
そして自分がどんな姿勢でそこに居るのかに気づく
「あ……脚は、自分で冷やします、からっ……!」
「…………」
だから、放して
そう続くであろうことを知りながら彼は、内腿に添えていた手も、もう一方の手と同様に
ドレスの裾と脚をその場に固定させるべく移動させ力を込め
内腿にはその唇を這わせる
「〜〜〜〜っ、いや…………っっ……!!」
少しずつ開かれていく脚を閉じようともがいてバランスを崩した蘭世は、そのまま後ろに倒れこむ
自然のままに伸びた芝生と彼の能力とがクッションとなりそれをやわらかく支えた
するりと移動し、彼の影が蘭世の額に重なる
逆光でその表情まで直接読み取ることはできないが、切なげに搾り出すような声調が、それを指し示す
「私が…………今のままで、手に入れることができるのは…………」
「……え……?」
「……その心を、手に入れることができないのであれば、せめて…………」
「…………!!」
ただひとつ違うのは
抵抗する蘭世を押さえつける容赦のない力
いつもいつも手加減をしてくれていたことにこんなときになって気づく
彼にとってあのひとは他人のようだというのに、あのひとと同じ表情、指の動き、舌先の温度までも今の彼は自分にとって他人のようだと思いながらも
白黒をつけられない心のせいなのか、痛みのせいで、肌がいつもより敏感になっているせいなのか
あのひとと同じ表情、指の動き、舌先の温度までをも感じ取り、濡れていく声
それに伴い失われていく、抵抗する力
「…………ん…………っ」
堪えきれず仰け反らせた首筋をなぞるように降りていく彼の舌
指を含ませ捏ねるように動かしその口許の自由を封じながら
はだけた肩から胸元へと、啄ばむようにその温度を移していく
裾から差し入れられたもう一方の手は、腰のあたりから内腿のあたりをしずかに往復し
腫れた肌を治癒しながら、違う感覚をも、やすやすと引き出す
蘭世の右脚を自らの肩に抱えあげ、膝の側部を優しく噛む
ストッキングとショーツをゆっくりと引き下げ
潤みをたたえたその扉を少しずつこじ開けていく、案外形の良い指先を
まるで自分とは別の生き物であるかのように眺め
踊る吐息にあわせるかのように奥へと突き進ませる
蘭世の身体の描くラインに鼻先をこすりつけながら辿り着いた
白く柔らかい丘の中心部に齧りつき
自然と開いた脚の付け根で次第に自己主張し始めた芽をも軽く押さえ、すこし強めに摘みあげる
がくがくと、抑えられない震えが蘭世の身体を走り、小刻みに零れ落ちる、縋るような声
それがいっそう彼の征服欲を駆り立てる
花にも似た、髪の香りを一杯に嗅ぎながら耳に舌を出し入れし、ぽってりとした耳朶を唇で挟みこむ
かかる吐息によじる身を押さえ、背中のファスナーを下ろし
露わになった白く細い身体全体に、自分の身体全体をぴったりと重ねる
柔らかくたおやかな蘭世の身体と引き締まった筋肉質な自分の身体
全く異質のものなのにそれはお互い吸いつくように密に接しあう
それまで保っていた優位を、一気に取り落とすほどの勢いで彼の全身に走る悦楽の痺れ
その瞬間、胸の奥で何かがざわめく
暗く閉ざされていた空間に少しずつ光が差し、見えずにいた周りのものがその姿を現していくような
それでも一方で強烈に突き動かされる衝動に促されるまま、彼は自分自身を蘭世の中へと侵入させる
ねっとりと包み込む感覚にすぐさま溺れそうになるのを堪えながら
彼はむちゃくちゃに腰を動かす
「あ……っんあ……っっ……ああああ…………!!」
その嬌声を、今の自分は、事実として聞いたことのないはずなのに
胸の奥に広がる光が大きくなるにつれ、次第に聞き覚えのあるものに変わっていく
しかし彼を襲う感覚の渦は大きすぎて、自分の奥に生じる変化に気づくことすらできず
全身を覆い尽くした本能に任せ踊りつづける
「…………! ま、かべく…………っっ!!」
肩に爪を立て、上げられた、悲鳴にも似たその声と、ふたりの意識が白い世界へと取り込まれるのと、彼の奥で広がりつづけた光がぱちんと弾けるのとそれらはほぼ同時だった
上がった息を整えて崩れ落ちた身を起こし、額に張り付いた前髪を除けた俊が
周りの情景と泉に映るふたりの姿とを目の当たりにし
乱れて落ちたままの衣服の一方を、それまで誰が着ていたのかを思い至り
言葉も出ないくらい赤面するのはもう少し後のこと