とくん、とくん
耳に伝わってくる、規則的に繰り返されるそのやさしい音を
心安らぐものとして聴くことができるようになったのは
いつからだっただろう
この部屋に初めて足を踏み入れたころは
自分の心臓の音がうるさすぎて
それを聞き取る余裕もなかったのに
やわらかな沈黙に満ちた部屋に、カーテンを引く音が響いて
ふたつの身体が重なり合ったまま、ゆっくりと崩れ落ちる
彼は、彼女の存在を確かめるかのようにぎゅっと抱きしめていた腕を緩め
長い髪を寄せ、首筋に唇をそっと落とした
夜、ふと目が覚めたときにも
わたしを包み込むように抱きしめたまま眠るあなたの心臓の音が伝わってくる
寝ている間もずっと護ってくれているのだと
確かに感じることができるから
わたしは、いつしか怖い夢を見ることがなくなった
起きている間も十分幸せなのに
夢の中でまでこんなに幸せでいいのかな、なんて
ぜいたくな悩みかな………
大切な呪文を唱えるかのように
彼は彼女の、下の名前を小さく繰り返す
いつもは決して口にされることのないその名は、闇の中に甘くこぼれ落ちて
彼女をやさしく包む
背に回した腕に力を込め、彼女は静かに微笑んだ
こうして深く息を吸い込むと
おひさまと汗と、ちょっぴり埃が混ざったような、あなたの匂いがして
なんだか力が湧いてくる
──────心にたくさんの花が咲く
わたしがあなたから、こっそりこんなに元気をもらっていること
あなたは多分知らないわよね
ひとつひとつ丁寧に衣服を取られ、ふたつの身体が白く浮き立つ
何も今夜が初めてのことというわけでもないけれど、目にするたびに艶を増すその美しさに息を呑まされ
しばらくぼうっと眺めていた彼はふと我に返り
ガラス細工を扱うかのように、そろそろと指を伝わせる。──────次いで、唇を
そんなに大切にしてくれなくても、わたしはきっと大丈夫よ
だから、もっと深く、奧まで触れて
わたしをつくるひとつひとつは、みんなあなたのものなのだから
すべてをつよく抱きしめて
あなたのすべてをわたしに教えて
相変わらず言葉は少ないけれど
あなたがそこにいるだけでわたしは
強くなれる
やさしくなれる
雨が打ち、風が吹き荒れ、桜が散っても
わたしのなかに咲いているこの花が枯れることはないから
──────だから、もっと
「………ま、かべくん……………」
「え。………ぅ」
消え入りそうな声でその名を呼ぶ
驚いたようにこちらを振り向いた彼の頬に手を添え、彼女はその唇に自分の唇を重ねた
とくん、とくん 高鳴る響きとともに
とろけてまじりあうふたつの心と
すこしずつ熱を帯びてゆくひとつの影
月夜の桜は、ほのかに頬を染める
* * * * *
“安らぐ場所”をアップした時点で
この話の大枠はでき上がっていたのですが
“桜が散っても”とか言ってる間にこっちではすでに散っちゃったよ…!(涙)
蘭世ちゃんの一人称語りはむずいです