その日は家族が皆出かけているから、たまには江藤家で一緒に過ごそう
キッチンの設備も俊のアパートとは違ってしっかりしているし
いつもよりちょっぴり本格的なお料理もごちそうできるかも
───そんな約束のあった今日この日、夕方になって突然
蘭世の態度は一変した
理由を尋ねても、『何でもない、でも逢えない』その一点張り
いつもよりも心なしか少しだけ遠く聞こえる電話の向こうで深々と謝る姿が見て取れるよう
とはいえ
理由もなくただごめんなさい、だけでは納得できる筈もなく
いつもはろくに回らない舌を駆使してあの手この手で追及すると
謝ることはできても、嘘はつけない蘭世の口から
おそるおそるといった感じに、真相が滑り落ちる
その台詞は、俊を走らせるには余りあるほどの理由で
「なんでさっさと言わねえんだ、バカ!!」
電話を叩き切り、とるものもとりあえず俊は江藤家へと猛ダッシュする
「──────38度3分」
「……う……」
体温が高すぎる自覚があったとしても、改めて言葉にされると結構こたえるもので
蘭世は、腰を掛けたベッドの、捲り上げた布団の裾を弄りながら
ため息混じりにうめく
「……いつぐらいから、こうだったんだ?」
「うん……。あれ、おかしいかな? って思ったのは昨日の夕方くらい……」
「夕方……?」
「あ」
しまった、というように一瞬蘭世の身が固くなる
「……って、おまえ……。昨日も弁当届けてくれてただろう
その頃から具合悪かったってことか?」
「え、あ、ううん! あ、あのときは全然大丈夫だったの! ホントよ!
真壁くんちの郵便受けにお弁当届けて、帰ってきた頃くらい、からで……」
「……ったく………」
やっぱり嘘がつけない蘭世の口調は、端から端までしどろもどろで
心を読まずとも、本当のことが面白いように見てとれる
叱るべきなのか、喜ぶべきなのか、諌めるべきなのか微妙な状況に
でもやっぱり緩む頬を抑えながら俊は蘭世の額に軽くデコピンする
「……え……えへ」
「……あんまり変なとこで、無茶すんなよ。────それと」
「?」
「………」
「………」
「こういうときは『ごめんなさい』じゃなくて『助けて』だろ」
「……! う、うん……!」
少しばかりの沈黙の後、低い声をさらに低くしてぼそりとつぶやいた俊は
ガラでもない自分自身に、ゴホンと咳払い
確かにここ最近、暑かったり、かと思えば極端に涼しくなったりと
夏の終わり特有の気候が続いていて
特に不摂生をするでもなく、普通に過ごしているだけでも体調を崩しそうな日々だった
夏風邪はなんとかがひく───そんな迷信を跳ね返すくらい
俊の周りの、トレーニングを重ねる猛者ですらぱたりぱたりと倒れていたから
それなりに気を配っていたとはいえ、灯台下暗しとは正にこのこと
いくばかりの責任を感じながら
以前からの約束があったからだとはいえ、今日はトレーニングを早めに切り上げておいてよかったなと
俊はひそかに胸をなでおろした
「────あっ! ご、ごめんね、お茶も淹れないで……ちょっと待ってて!」
「え? おい、お茶なんてどうでも……」
「〜〜〜〜〜っっ」
部屋に着くなり熱を計らせ、珍しく喋りっぱなしだったため
喉が渇いていたといえば渇いていたのだが
それを感じ取り、元気よく立ち上がった蘭世は
案の定というか何というか、次の瞬間、へたりと床に崩れ落ちる
「───おいっ! 大丈夫か?」
「あ……はははっ。ちょっと……ダメみたい……デス」
「……お茶はいいから、ちょっと寝ろ、おまえ」
軽いその身体を抱き上げて、再びベッドに腰掛けさせる
38度の数値はダテじゃなく、掌から伝わってくる体温はじんわりと熱くて
「……ん……そう…させてもらっちゃおう、かなぁ……。あ、でも真壁くんは……?」
「……もうちょっと経ったら、起こす。メシ食うだろ。それに、問題なければ、泊めてもらうけど」
「問題、なんて……」
そう言って蘭世は、心底、ほっとしたように微笑む
迷惑を掛けたくないとか、色々思うところはあっても
病気の時、なんとなく心細くなるのは皆同じ
「ありがとう……」
「……別に……。ほれ、横になれ」
「あ、うん………あ」
「ん?」
布団をかけようとした俊の手を留め、蘭世の視線が部屋を泳ぎ、止まる
その先には、椅子の上に畳んで置かれた替えのパジャマ
「あ、あのねっっ」
「ん」
「ホントは、電話が終わったらすぐ着替えるつもりだったの
でも……そんな暇もないくらい、真壁くんてばすんごい早く着いちゃった、から……」
「……ああ…………」
「あ、汗くさいでしょ、わたし……ごめんなさい……」
確かに
抱き上げた掌に伝わってきたのは
高い熱と、寝ている間にかいたのであろう汗で心もちしっとりとした布地の感触
いくら本寝ではないのだとしても、眠る前に着替えた方が良さそうなのは明確で
「……ちょっと待ってろ」
「へ?」
俊は蘭世を一人残し、階下へと降りていく
「入るぞ」
「あ、はい……!」
3分もしないうちに、控えめなノックが響く
入ってきた俊の手元には、湯気の立つ洗面器と白いタオル
「??」
「……タオルとか、勝手に借りた。来客用とかだったら申し訳ないけど」
「ううん、大丈夫……だと思う、けど……、あの」
「あちち」
ベッドの脇にあるサイドテーブルに洗面器を下ろし、俊は中の湯にタオルを浸す
ぎゅっと絞って一度開くと、几帳面に畳んで、掌でぱんぱんと叩き温度を確かめる
頭に乗せるとしたら普通、冷やしたタオルよね……何に使うんだろう…… と
ぼうっと眺めている蘭世の方を振り向き、俊はおもむろに言い放つ
「とりあえず、脱げ」
「……ええっ!?」
既に中身は何度も見られているとはいえ、条件反射で蘭世はその身をすくめる
脱ぐ脱がないで言えば結果は同じなのだが、ここまで直球的な要求は初めてのこと
俊は俊で、言った後で自分の言葉の取りように気づき、慌てて補足する
「バ……バカ、勘違いすんな! 着替えるんだったら、かいてた汗、拭いとかねえとまずいだろ!
だから……!」
「え、あ、あ、ああ〜……!」
ようやく俊の意図するところを感じ取り、蘭世はほっと一息
「あ、あのでも、汗拭くくらいなら、自分でもできる、から……」
「背中」
「───あ」
確かに、自分の背中を自分で拭くのは、きつい、けど
でも、そんなことまで真壁くんにしてもらうのはどうかと思うし
でも、ここまで用意してくれてるのに、お断りするのもそれはそれで
意識しすぎだと思うし、なにより真壁くんの厚意を無駄にすることになるし
いや、でもやっぱり恥ずかしいし……
この時点で既に2分は経過
ああでもない、こうでもないとぶつぶつ呟く蘭世を見下ろしながら
俊は再び、声を荒げて言い放つ
「〜〜〜ごちゃごちゃ考えてねえで、さっさと脱げって! タオルが冷える!
そんなにこっ恥ずかしいんだったら、むこう向いてるから!」
「うひゃあっっ! は、はい……!」
その声にびくんと肩を震わせて、蘭世はさささっと壁の方を向き直り
パジャマの釦をひとつずつ外していく
意識しちゃいけない───そう頭では思いながらも少しずつ倍増する心臓の音
焦りながらの指先は、急ぐつもりがいつもより不器用でもどかしい
「……お、お願いし……ます……」
するりと上着を除け髪の毛を一つにまとめて押さえながらようやく蘭世は声を絞り出す
『勘違いすんな』──────この言葉で
そういう意図じゃないということなのだと、自分自身にも言い聞かせたつもりだったのに
約束どおり蘭世が服を脱ぎ去るまで反対側を向いていた身を、そちらに向き直した瞬間
早くもそんな意志が崩れ去ろうとするのを俊は感じた
なぜか正座で俊を待つ白い背中
よし、奴は無防備だ─────では、なくて!
これ以上進むのは、どうにもこうにもヤバイ気がする
だって相手は仮にも病人
(───と、余計な計算をしてしまうあたりがそもそもアレなのだが)
タオルが冷める、と急かしたのは自分だけれど
折角形を整えたそれを握り締め、俊は二の足を踏む
「……あの……」
「!」
背中を晒して数秒経つというのに、何のリアクションも起こそうとしない俊に
却って不安になり蘭世は、おずおずと首だけでこちらを振り向く
「や、やっぱり自分でやった方が……」
「あ……悪い! 身体、冷える……よな」
「う、ううん、それは……大丈夫……だけど……」
「……すまん……」
もう、どうにでもなれ
半ばやけっぱちで俊は蘭世の後ろに歩み寄る
背中を向けているのだから、無理矢理前に回らないかぎり見えるわけもないのに
しっかりと胸のあたりをガードした腕
それを変に崩したりしないよう努めながら、俊はその肩を支えるように触れ
背中にタオルを当てる
「あ………。気持ち、いい……」
「……そりゃ、よかった」
二人揃って妙に悩んだのが却って良かったのか
タオルの温度は肌に心地よい温度となっていて
汗をかいてしばらく経った後に残る、なんとなくすっきりしない感覚を拭い去っていく
「でも、真壁くんって……すごいね。汗を拭いてくれるとか、普通気づかないもん
勿論、そうしたほうがいいに決まってるんだけど」
「ああ……ガキの頃、よくこんな風に、された」
「子供の、ころ?」
「日頃は元気なくせに、突然、ねじが一本外れたみてえに熱出すガキだったからな……
おふくろも、慣れたもんだった。まあ看護婦だからってのもあるけど……
そんなに風呂ばっかり入るわけにいかねえからってんで
熱いタオルでこう、がしがしっと」
「へえ……」
「ただ、あのときは確か蒸しタオルだった気がするけど
悪い……蒸しタオルの作り方が、よくわかんねえ」
「ふふ。でも、これで十分気持ちいいよ」
「……そりゃ、よかった」
平然と喋っているようで
触れるたびに着実に跳ね上がっていく心臓の音
悟られないように。そう願うのが精一杯で
一方で、少しずつ湧き上がる欲を抑えることは
目の前にそれがある以上、触れることができてしまっている以上、とても難しく
最も効果的な手段としては、目を反らすことなのかもしれないのに
惜しいと思ってしまう気持ちを止められず
「…………っ」
閉じたカーテンのほんの少しの隙間からこぼれ落ちる夕陽に優しく照らされ
薄く生えた産毛が細かく輝き、項から背中にかけてのラインを浮き彫りにして
思わず俊は息を飲み込む
「──────あ」
次の瞬間に、蘭世の背中に当てていたのはタオルではなく自分の唇
逆なでするように上り項の当たりに位置を定め
タオルがぽとりと手から落ちるのも構わずに
細いその身体を後ろからぎゅっと抱きすくめる
ベッドに座り、背中と自分の腹を密着させ唇を耳元へ移す
耳朶を甘く噛み、しっかりと組まれた腕のすきまに掌を差し入れ
そのふくらみを確かめるように、たわたわと弄ぶ
中心の突起までもが今日は熱を帯びていることがなんだか不思議で
指先を擦り合わせるようにして摘む
「……んぁ……、ま、かべく……」
少しだけ抗議の色を覗かせて蘭世は俊の名を呼ぶ
確かに、気持ちは判らなくもないけれど(というか当初の目的からして異なっているのだし)
「……悪い……やっぱり限界」
「ええっ! 〜〜〜ひゃんっっ」
言葉少なく要点のみを告げて
俊は蘭世の身体を仰向けに横たえる
抵抗する間も与えず、するするとパジャマのズボンとショーツを一気に取り去り
自身のシャツとジーンズも脱ぎ捨て、その身を跨いで座り
隠そうとする腕を優しく掴んで広げる
「や……っ……! だ、め……」
「うん?」
「だって、汗……匂い、とか……」
「ああ、汗ならおれもかいてるし……。匂いは正直気にならない」
そう言って俊は、ふたつの丘の境目を舌でなぞる
気にならない といってしまうと正確には、嘘
とはいえ、却ってそそられるなどと本音を明かしてしまえば
一も二もなく騒ぎ出すのは目に見えていて
まあ、方便ってやつだよな───俊は胸のうちで舌を出しながら
捲り上げていた布団をずるずる引っ張り、自分と蘭世の身体をすっぽりと隠す
掌全体で包み込むようにその柔らかさを堪能しながら
もう一方には、貪るように吸いつく
空いた手としっかり組んだ指先から時折伝わってくる、力の篭り具合と
それに伴い漏れ聞こえる、小さな声が嬉しくて
思わず、次へ、最後まで、進みたい衝動に駆られるけれど
ぴったり添い合わせた肌から伝わってくる熱が示すのは
やっぱり、相手は病人だということ
「…………」
今か今かと出番を待ち、今にも走り出しそうな自分自身を何とか抑えながら
俊は全ての動きを止め、頭まで被っていた布団を捲ると
上気した頬に手を添え、深く口付ける
名残惜しく隅々に舌を運ばせ唇を離すと、蘭世はようやく、薄く目を開く
「ん………」
「悪い……調子に乗りすぎた……。寝るか」
その熱を吸い取ろうとでもいうかのように
脚を絡ませ腹を密着させ、ぐっと肩を引き寄せ腕で包む
「…………んん………」
「え?」
自分の背に回された手にかすかな力を感じて
俊は蘭世の顔を覗き込む
見上げる瞳の奥に映る色と
自分の言葉に反応して、ふと、心に入り込んできた念と
胸の奥でくすぶり続ける欲求とがぴたりと重なったのは
先走りでも勘違いでも気のせいでもなく