(仮)おいしいプリン

いつも、ひとり遠くを見ているその目が気になっていた

皆と仲が悪い訳ではない。むしろ、ざわついたその場の空気を均すような一言をさらりと投げかける、穏やかな調整役。自ら中心となって主張することはないものの、その転校回数ゆえの情報量から、自然と話の輪の中心となることが多いのだが、その場に必要な意見を淡々と述べたあと輪の中心を他者に譲り、さりげなく一歩引いたところでにこにこと微笑んでいることが多い。―――からの、遠い目
自分への尊敬の(というよりはむしろ崇拝に近い)念から、終始敬語の修哲メンバーや、天真爛漫を体で示す如く人懐っこい大空翼、猿のくせに犬のように吠える石崎了のそれとは全く違って、彼の自分 への接しかたは、極めて自然体。それはある意味新鮮だった
また、一定の距離感を保ち、気遣いはすれど強引に踏み込んでは来ない、所謂大人な対応。日頃から、同年代よりも年長者に囲まれている自分にはなんとなく分かるが、他の皆はそんな、薄い膜で覆われたような彼の振る舞いに、気づいているのか。いや多分気づいていないだろう。そんな、ある意味優越感も相俟って、なんとなく、いつも、目を引く。遠くではなく、こちらを見て欲しい、とも
ただそれを言葉にするのはとてもおかしなことに思えて、常に心に引っ掛かったままのもやもや。考えないようにすればするほど、足元をとらわれドツボにはまっている気が、する





「あれっ」
「あっ」

SCの練習後は、時間的なもの もあり、帰る方向が同じ面子は一緒に帰るのが自然な流れだった。自分は、屋敷の地理的配置上、他の面子よりひとつ前の曲がり角で集団を抜け、他の面子は、その先にある十字路で解散となる。それを見届けるつもりではなかったのだが、なんとなくぼうっと眺めていると、それまで辿ってきた道をなぜか戻ってくる――すなわち、自分のいる方へ、小走りで駆けてくる彼がいた
目が合うと、一瞬の、気まずそうな表情。それを即座に打ち消して、いつもの微笑みに戻る

「どうした岬、なんか忘れ物でもしたのか」
「ううん。ちょっと」
「?」
「お買い物をね、忘れちゃってて」
「買い物?」

こんな時間に自ら買い物なんて。そう言いかけた口を慌てて噤んだ
そういえば彼の家庭は。父 親は、全国を旅しながら四季折々の風景を描く画家と聞いている。母親のことは、本人から直接聞いたわけではないが、いないと誰かが言っていた、ような……? たしか彼と初めて会った対抗戦の日、自ら転入手続きをしに来ていたとか、どうとか

「今日、父さんが画家さんの会合? に出掛けてて、留守なんだ。ああ、あそこのスーパーまだやってるかなあ」
「……どうだろう。まあ行ってみようぜ」
「えっ」

なんで君まで。メモを片手に怪訝な表情をしたことや、スーパーを出てからもなおついてくることに何か物言いたげな表情をしたことにもしっかり気づいていたけれど、日の落ちた道程の薄暗さのせいで気づかなかったふりをした





「若林くん、ほんとに帰らなくて大丈夫なの」
「ああ、電話したから。……それはそうと、食べろよ」
「う、うん……」

カレーのやさしい匂いが鼻先をくすぐる
相手の親がいないこと をいいことに食事時に押しかけるなんて、無作法にも程があることは自覚している。自分の分まで用意しようとするのを固辞した上で、鍋を温め直すのを何度も猛烈に促すと、帰るつもりは無いという意思だけは伝わったのか、それとも諦めたのか、ようやく彼は箸を進め始めた。

ふと目線を逸らす。それから、ぐるりと一周。彼と彼の父と、二人で住むには広めの間取りに思えるのは、必要最低限の家具しか設えられていないせいか。目につくのは、いま二人で向かいあって座っている卓袱台と、部屋の隅にはこぢんまりとした文机。彼が宿題をするのは後者か、あるいはそれは彼の父が事務処理をするためのもので、より大きめのこの卓袱台に、テキストやらドリルやらを広げるのか。……色々勝手な想像 をするよりも、目の前にいる本人に尋ねればいい話ではあるのだが

文字通り衝動的になぜついてきてしまったのか。それは正直自分でもわからない。強いていえば、ひとりになって欲しくなかったというか
けれどそもそもの話として、ひとりにしたくないと思うこと自体、彼に対して失礼な話ではなかったか。スーパーの店員とのやりとりや、配膳の手つきの慣れた感じからして、彼にとっては、この時間帯にひとりでいるのは、何も今日に始まったことではなく、ごく当たり前の日常のひとつなのだろう。うちはうち、よそはよそ。彼には彼の家のルールがあって、他でもない彼がそれを遵守している以上、自分が口を出す権利はない

それに。完全にこの部分が頭から抜け落ちてしまっていたのだが 、彼は自分のことをどう思っているのか。なんとなく彼のことを思う機会は増えたとはいえ、それはあくまで自分においての話で、ふたりで直接話す機会が多いわけでもない。客観的に見て「それなり」。実際のところはもしかしたら、薄い膜を感じ優越感に浸るなどと勘違いも甚だしく、それどころか単に自分が避けられているだけなのかもしれない。大体が、相手が食事中だとはいえ、いま現在、とりたてて話が盛り上がっているわけでもない。話をするにしても、馬鹿がつくほどのサッカー馬鹿の自分からはサッカーの話題しか出てこないし、それは昼間、皆でさんざん語り尽くしてしまった。結局のところ、順調に沈黙。あれっこれはもしかして、ひとりでいるのと何ら変わりはない……の、では……




「眉間に、すごいしわ寄ってるよ」
「!?」

不意にドアップで詰め寄られ、思わず後ずさってしまった。いったいいつから見られていたのか。こちらの動揺をものともせず、彼はいつもの笑顔で淡々と続ける

「家に帰りたくないのかな、何かあったのかなって思ってたんだけど」
「いや、そんなことは」
「そうだよね。ごはんはおうちで食べるって言い張るし」
「…………。すまん」
「え?」
「おれ今日、ちょっとおかしい」
「おかしくはないけど……うーん」
「…………」
「……はい、おやつ。ごはんはおなかいっぱいになっちゃうけど、これくらいなら大丈夫だよね?」

ひとり悶々としている間に、デザートタイムに突入していたらしい。彼は冷蔵庫から取り出したプリンをふたつ、卓袱台に置いた。そういえば先刻、プリンをなぜか三つ買っていたのは、そういうわけだ。全く疑問に思わなかった自分をぶん殴りたくなる
食事を固辞することには成功したが、デザートとなると、気遣いもまた仕切り直しになるのが重ね重ね申し訳なかった

「いや……、おれはいいよ」
「えっ、嫌いだった?」
「嫌いじゃないけど」
「じゃあ食べようよ」
「いや、いい」
「だってさっきおなか鳴ってたよ」
「まじか」
「ううんごめん、ウソ」
「~~~~っ」
「おいしいよ?」

と、彼は蓋をめくった。容器の端でそれを止め、自らひとすくい食べてみせるのは、彼なりの気遣いだろう。嫌いではないし、むしろ好き。それでも、手を出すのは流石に憚られた。日持ちしないものというわけでもないし、封を切らないでおいて、彼でももしかしたら彼の父でも、次の機会に食べてくれればいいのだし

―――なのに、思わぬ追撃が来た

「じゃあ、ひと口だけでも。口つけちゃったあとでごめんだけど。はい、あーん」
「!?」

と、スプーンをこちらに向ける

それをいただくためではなく、意表を突かれたせいで開けっぱなしになってしまった口元から、プリンがつるりと入り込む。スプーンが彼のもとへ戻っていくのとほぼ同時に、口中にもったりとした甘さを残しつつ降りていくそれを許容しながら、ごくりと喉が鳴ったのを確認すると、満足げな顔をして彼は、再びひとすくい、今度は自らの口元へそれを運んだ。唇についたのを小さな 舌でぺろりと舐めとり、やたらと幸せそうに微笑む
いわゆる間接ナントカ的なことは、割と日常的に行っている。たとえば今日の昼間だって、練習の合間にスポーツドリンクを皆で回し飲みしたり、かじったおにぎりを交換したり。なのに。いま現在こんなにも動揺している自分に、もやもやの正体が自ずと示されたような気がした。いや、けれど! こんなのはまるで。……いやいやいやいや。彼も男で自分も男。そんなふうに思う対象ではないはず。とはいえ、そもそもそんなふうに思うのであろう対象――クラスの女子やら芸能人やらとはまともに接したこともないので、本当のところは分からないけれど、少なくともいま、若干身長が上回る自分をほんの少し上目遣いで見つめる彼の笑顔は、なぜか“本来の対象”よりも、やたらときらきらしている

「…………すき、だ」
「…………」
「あっ」

もやもやの正体が、率直すぎる言葉になって口からこぼれ落ちたことに気づいたのは、ほんの少しの沈黙のあと
遠くではなくこちらを見て欲しい、あわよくば、自分だけを。ずっとそう思っていたはずなのに。確実に自分だけを見ているであろういまこの瞬間に限って、そちらをまっすぐ見返すことはできなかった