ピンクなきみにブルーなぼく
試着で履いたスパイクの紐を結び顔を上げたら、ちょうど店内に入ってきたばかりの人影が、見知った……というかいつも見ていたい顔だった。あわててスパイクを棚に戻し、とるものもとりあえずそちらを追いかける。背後から不穏な気配を感じたからなのか、ばたばた追ってくる足音に単に驚いただけなのか、彼は訝しげにゆっくりとこちらを振り向き、正体に気づくと、にこにこと体を向き直した
「若林くん!」
「岬もなにか買いに来たのか」
「うん、スニーカーをね。今履いているのがちょっとくたびれてきたから」
「おれはスパイクの下見。一緒に見ようぜ。スニーカーは確かあっち」
南葛市にある大きめのスポーツショップは、ここと、大通りを挟んだところにもう一軒。その二択で、なんの申し合わせもせずこちらの店を選ぶなんて、これってもしかして運命ってやつじゃね? と、頬が勝手に綻ぶ。実のところ、大通りの信号待ちを嫌っただけなのかもしれないが、それはそれで、でかした信号!
と、心なしか歩調もウキウキ軽やかになる源三をよそに、岬は、指差し確認および完璧なエスコートをされているにも関わらず、なにやら不安げにあたりを見回し始めた
「……ここって、若林くんが使ってるお店なの?」
「ああ、よく来る」
「…………」
「? どうした?」
「あの……。もしかして、すごいお店だったりする? ぼく、そんなにお金持ってきてないんだけど、大丈夫かな……」
ぼそぼそと口籠もりながら、たぶん大事な軍資金が入っているのであろうバッグを抱きしめているのが、妙におかしかった。いやいや棚の値札ポップを見れば、わかるだろ、なんとなく
「何いってんだ。フツーだよ、フツー」
「ほんとに?」
「嘘ついてどうするんだ。……まあ、石崎とか修哲のやつらも誤解してるっぽいけど、金持ちなのはあくまで親であって、おれの小遣いは普通の額だぜ?多分」
隠すことでもないのでそのままズバリの金額を教えると、岬は意外そうな顔をして、ぼくと同じだ、と呟いた。とはいえ
「……まあ、見上さんみたいなすごいコーチをつけてもらったりとか、小遣いじゃないところで贅沢させてもらってはいるけど……」
これじゃ誤解されても仕方ないな。鼻の頭をかきながら苦笑するしかなく、ようやくほっとしたのか岬もあはは、と笑った
「若林くんがいま履いてるのってここのメーカー? いつもカッコいいの履いてるなって思ってたんだ」
色とりどりのスニーカーが並ぶ棚を見渡し、そのうちひとつを手に取りながら岬が尋ねる。買うつもりがないながらもつらつらと眺めた中で、なんとなく源三が心惹かれたデザインのそれを手にするあたり、好みは似ているのかもしれない
「これか?……そう、帽子と同じ」
「そうなんだ。いいよね、そのスニーカー」
まさにふたりが並んで立っているのが同メーカーの棚の前。機能的な部分は勿論のこと、ポイントを抑えて配置されているロゴの絶妙な自己主張加減が気に入り、気がつけば、スニーカー以外にも用具はほぼすべて、このメーカーのもので揃えていた
「これもいいんだけど……。その、青いのがあったら、欲しいなあ」
「青? ……確か、薄い青のやつならあった気がするけど……一世代前のやつだからなあ……」
悩ましげな顔で手にしていた靴を棚に戻しながら岬は呟いた
そういえばこの靴が発売されたのは、自分が岬と出会うよりもだいぶ前のこと。赤・青・黒のカラーラインナップ、いずれもいいデザインだが、青は、なんとなく自分にはそぐわないような気がして、やめたことを思い出した
発売時点でそこそこ人気を博したモデルではあったが、未だ店頭に並んでいるのかどうかには疑問が残る。案の定、『いま現在売りたい新商品』を鎮座させているのであろうこの棚には見当たらず。ひとしきりあたりを見回したあとようやくピンと来て、店内中央に設置されている、メーカー不問で山積みされた陳列棚に向かうと、そのど真ん中に、目的のそれがあった
「おっ」
「やったー! しかもちょっとお安くなってる!!」
駆け寄った岬が、珍しく感情をあらわにぴょんぴょん跳ねた
サンプル展示品の下に積まれた箱から自分のサイズのものをひっぱり出し、いそいそと試し履きをして、フロアに響くソールの音を楽しみながら、鏡に映る足元ににっこりする
なんだか貴重な光景を見せられているような気がする。いつも穏やかに落ち着いた岬も、本当に嬉しいときにはこんな、年相応のはしゃぎかたをするんだな。床に捨て置かれたバッグの番をしながら、源三はその一連の流れを微笑ましく眺めていた
それに気づくと、ばつが悪そうに岬はその細い肩を竦める
「ご、ごめんね、ぼくひとりで盛り上がっちゃって……」
「いや……こっちはいいから、気が済むまで試しとけよ」
「うん、もう大満足! なんだ、けど……」
「ん?」
「あの、ものすごくいまさらなんだけど……。これ、おそろいになっちゃうけど、いいかな?」
「……あ、ああ、ああ~~! そ、そんなの気にするなよ。気に入ったんなら」
「うん! ありがとう」
「…………」
自分の持つ平常心をありったけ掻き集めたつもりだが、裏返った声にならなかった自信はない。―――いいに決まってんだろ!! むしろ一刻も早く決済してこい!!
今更も何も、言われるまでまったく気づかなかった。同じものを買うということは、すなわちそういうことだ。いいかもなにも大歓迎、全力でウエルカム。唯一困るといえば、履きつぶし気味の靴なのに、おいそれと捨てられなくなってしまったことだ。それともこっそり自分ももう一足、同じ靴を確保しておくべきか? はたまた、あわよくば更なるおそろい増加を目指し、彼の目を惹くようなデザインを提示すべく他の靴を買い漁る方がよいのか。こういうの何ていうんだっけ。二匹目のドジョウ? いや違うな
会計を終え、ほくほく顔でこちらに戻ってきた岬は、なにやら呟きながら店を出ようとする源三の袖をくいと引いた
「ねえねえ、若林くんはなにか買わないの? あ、スパイクって言ってたよね?」
「いや……今日は見に来ただけだから。また今度にする」
「え、そうなの?」
「ああ」
「…………。あ、ごめん。ちょっとまってて」
「?」
そう言いおいて、岬は隣のコンビニへ駆け込む。数分もかからずに戻ると、石崎よりも気合いの入った坊主頭の少年がパッケージに描かれた何かを手に載せてきた
「つきあってもらっちゃったから。ありがとう」
「え」
「若林くんのおかげで、いい買い物できたし!」
「そんな……。なんか、かえって気を遣わせちまって、悪いな」
つきあわされたつもりは毛頭なく、むしろ勝手について行ったというかなんというか。いい買い物というかむしろ自分にとって嬉しい選択をしてもらったというかなんというか
放っておくと余計なことを口走りそうになるのを、貰ったアイスをかじってようやく堪えた。シャリシャリと舌の上で溶けていく水色が心地よい。そういえばアイスも青いのを選ぶんだな。いつもにこにこと周りに調和する微笑みを浮かべている彼の、ささやかなこだわりを見つけたような気がする
「暑いから、とけるのもはやいね。……っと」
咲き始めの百日紅にもたれかかりながら優雅に食べていた岬が、アイスから滑り落ちそうになった雫を舌で追った。その舌の動きに気を取られていたら、食べ慣れていないがゆえ片側ばかりかじっていたせいか、残りの部分がスティックからまるごと剥がれ落ち、源三は慌ててそれを受け止める
真ん丸になった目を互いに見合わせ、ひとしきり笑ったあとで岬は、流石キーパーだね、と謎の賞賛を与えてくれた
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『おそろいになっちゃうけど、いいかな?』
自分の持つ平常心をありったけ掻き集めたつもりだが、裏返った声にならなかった自信はない
たまたま向かった店が彼の利用している店だったのはまったくの偶然だし、彼が履いていた靴を気に入っていたのも純粋な好みの問題であったけれど、じゃあ実際にそれを、色が違うとはいえ何がなんでも手に入れたくなってしまったのが、他に意図がまったくないことなのかと問われたら、答えは『否』
あからさま過ぎた、かもしれない
けれど、自分が言い出すまでおそろいになるという事実に全く気づいていなかったようだから、大丈夫だろう、多分
それにしても……。何度思い出しても変な笑いがこみ上げる。スティックから落ちそうになったアイスを見事にキャッチしたあとの彼の赤い顔。いつもどっしり落ち着いていて、自分よりもいくつか年上と言われても違和感のない彼なのに、ふとその鉄壁のガードが外れるときがあるのだ。こういうの何ていうんだっけ。キャップ萌え? キャップは帽子だから違うか。まあ帽子も好きだけど
ジャンプすると、空に届きそうなくらい軽い靴。明日からさっそく下ろして、大切に履いていこう。SCの練習がない日にも、いつかこの街を去る日が来ても、彼のことを近くに感じていられるように