展覧会の絵
「これ、岬なんだな」
「えっ」
その絵の画面左隅に描かれている少年を指さしながら若林くんは言った
父の絵は好き。けれど父の絵をずっと眺めるのはほんの少しつらい。なぜなら今までに自分がいやおうなく通り過ぎて来ざるを得なかった景色・ひと・ものを思い出すから
だからたとえば、父の絵に対する専門的な批評などもなにひとつ知らないし、父の個展の開催日程くらいは毎回把握しているけれど、実際に足を運んだことはいままで一度もなかった。いま、この場にいるのも、それをぼくが話したわけでもないのにどこから耳に入れたのか、父の個展になぜか興味を示してきた若林くん主導のこと。初めて行くことになると告げたぼくを見る若林くんも、珍しく招待券を強請ったぼくを見る父も、心底意外そうな顔をしていた
「『えっ』って。あれ? じゃあ、違うのか」
「あ、いや……ごめん。実はぼくもわからないんだ。とうさんとそんな話をしたこともないし……」
「そうか。ほとんどの絵に描かれてるから、てっきりそうなのかと」
いつもぼんやり眺めていたからとはいえ、今の今までその存在には全く気づいていなかった。確かに、ぼくの生まれた年以降に描かれた絵、すべてにその少年がいる。けれど
「で、でもほら、この絵とか! 男の子が描かれているけど、この絵を描いたころのぼくはまだ赤ちゃんだったし。あっ、ほら、あの絵は最近描いたものなんだけど、ぜんぜんちがう……よ?」
指をさした絵にも、それ以外にも。その左隅に描かれているのはいずれも、小学生くらいの背格好をした少年の後姿。それぞれの絵に添えられた説明書きに記された制作年月(尤も説明を読まずとも年月は把握しているのだが)と、自分の成長度合いとは全く異なるものだ
「いや……それはそうなんだろうけど。なんていうか……そのまんまを描くんじゃなくて、シンボル的な意味っていうか」
たしか、同じようなことをしている画家は結構いるんじゃなかったかな。……と、若林くんが例に挙げたのは、ぼくも知っている画家たちのエピソードだった。絵に浮かぶ月がその画家の妻を示しているとか、その画家特有の色が夭折した子供を示しているとか
分かる。それは理解できるんだけど、そういった心温まるエピソードと、ぼくと父との関係性とがどうにも結びつかない。若林くんの目にどう映っているのかは分からないけれど、ぼくたち親子の関係はもうすこしドライなもののように思うから
けして愛情不足を訴えたいわけではないのだけれど、ごく一般的な子供に与えられるような無償の愛というものを享受できていたかといえば、「微妙」このひとことに尽きる。もっともそれは、ある程度成長した今、幼少期の環境を客観的に思い起こしてみて初めて、胸の内でもやもやと燻ぶったことであって、当時の自分にとっては、父についていくことはごく当たり前のことだった。そしてそれは、父にとっても同様で、ぼくがついてくることはごく当たり前のことに過ぎなかったに違いない
だから、それに伴う他者との別れに胸が痛むことはあっても、度重なる転居をイコール愛情不足だと思い悩むことはなかった。そしてなにより、過去に一度選択権を与えられたとき、自分は父とともに生きることを選んだ。なので今更それをどうこう言うつもりもない
「でも、なんでそんなこと……」
「多分だけど……親父さん、岬と旅した証を残したかったんじゃないか」
「……そう、なのかな……」
今更どうこう言うつもりもないはずなのに。その少年を自分だと認めることに対してここまで予防線を張ってしまうのは、やはり拘っている証拠なんだろうな
絵のなかの少年に気づいていなかったのは本当。でも、それ以降は。自分が愛されているとは思い切れないから、思い切るため誰かに言ってほしいことを全部若林くんに言わせた。意図はなかったけど、結果的にそうなった
「……ごめんね。ありがとう」
「ん? ごめんってなんだ」
「ふふ」
「??」
気づかなくていいんだ。きみがいつもぼくが欲しい言葉をくれることなんて
今夜は久しぶりに父と思い出話をしよう。あの絵の街で通った銭湯の話や、この絵の街の屋台で食べたラーメンが美味しかったこと。辛かったばかりでなくて、幸せだった記憶もちゃんとあること。絵の中の少年を話題にすることは、まだほんの少し照れくさいけれど