銀色の道
遠くから自分の名を呼ぶ声に振り返ったその顔は、めずらしく動揺を隠しきれていなかった
岬が引っ越すことを知ったのはだいぶ前のこと。岬の父が留守がちになってしまうのを理由に、家族ぐるみのおつきあいをしていたのが功を奏した。また旅に出ることを挨拶にきた、親同士の話でとどめようとしていたところに、全力で食いつくことができたから
その後、岬から直接聞くことができたことはといえば、転校するという事実のみ。具体的な日時、ましてや今日が出発の日だなどと、微塵も伝えてこないことから、見送りやら何やらを彼が嫌がっていることをうっすらと感じてはいたけれど、それでも来ずにはいられなかった
「ごめん。どうしても最後に会っておきたかったから、ちょっとだけ時間もらえるよう、おじさんにお願いしたんだ」
「あっ! そういうこと……かあ」
と、岬は微妙な顔をして、傍らの父の顔をちらりと見た。列車の時刻にはまだだいぶ余裕があるのに、やたらと急いで家を出たのだという。苦笑しながら岬の父は、おれの肩と岬の肩をそれぞれ、ぽん、と叩いて駅舎へひとり歩いていった
その背中を目で送る岬の顔をそろりと見やると、一瞬間をおいたあと、いつもの穏やかな笑顔をこちらに向けた
「……誰にも会いたくないって気持ちもわかってたんだけど……ほんとにごめんな」
「ううん。かえって気を遣わせちゃってごめんね。来てくれてありがとう」
その「気を遣わせて」は、今ここにいることと、別れの辛さを考慮したうえで誰とも会わずに去ろうとする気持ちを汲みつつ逡巡したこと、どちらに係る言葉なのだろうかと、ぼんやり考える
降り積もる雪が岬の足跡をあとからあとから隠していく。それはとても寂しいけれど、決して岬のせいではない
「あのさ」
「ん?」
「みんな、すごく好きなんだよ、岬のこと」
誰にでも平等で優しく穏やかな人柄はもちろんのこと、ずば抜けたセンスに裏付けされたプレイにみな魅了された。且つ、さりげない的確なアシストのおかげで、サッカーの楽しさを改めて教えてもらったチームメイトは多い……いや、おれを含め全員がそうだろう
「……うん」
「なんていうか、こう……別れるときのさみしい気持ちもひっくるめて、好きっていうか。だから、さみしくなるのは岬のせいじゃなくて、おれらが勝手にさみしくなってるだけっていうか」
「…………」
そもそも。いま目の前で神妙な顔をしておれの言葉に頷いている岬が、転校を繰り返している・またすぐに旅立つということは、始めから分かっていたこと。確かに、旅立ちの時がこんな早くにやってくるというのは予想外ではあったが、短さなど問題にならないほど、濃密な時間を皆で共有したではないか。それを、なんの傷も負わずになかったことにするのは、土台無理な相談なのだ
「だから、岬がおれたちに気を遣う必要は、ぜんぜんないと思うんだ。もちろんおれたちも……気を遣わなくていい……と、思いたいっていうか」
「…………」
「お互い変に気を遣わないで、一緒にさみしくなった方が嬉しい……あ、あれ? ……ごめん、わけわかんねえこと言ってるな、おれ」
「ううん。うれしいよ。ありがとう」
言いたいことはなんとか伝わった……のか? 若干の不安はあるものの、岬が再びほほえんだので、ひとまずほっと胸をなでおろす。ーーーのと同時に。暗がりの道端から、雪を蹴散らしながら何かが飛び出してきた
「そうだぞ! さみしさなんか、チームワークで乗り切ろうぜ!」
「えっ」
「なにぃ!?」
ポーズと口調を揃いで決めつつそう言い放ったのは、ふらのの仲間たち。いや、待て待て待て何故ここにいるんだ、一人も欠けずに揃いも揃って。昨日の練習帰りの道程でも、おれはもちろんのこと誰も、岬の転校について話題に挙げる者はいなかったというのに
「な、なんでおまえら……ここに」
「なんでって……そりゃないよなあ」
「ホントだぜ! さっきキャプテンの家におつかい頼まれて行ったらさ~。ひとりで抜けがけして岬の見送りに行ったっておばさんに聞いて~。みんなに電話しまくったら、速攻集まって」
「……何やってんだよもう……。誰にも言うなって言ってきたのに」
思わず膝から崩れ落ちそうになるのをどうにかこらえ、家の方角を睨みつける。あんな話をした直後にこれでは、岬はどう思っているのか……と、そちらを向き直すものの、おまえら邪魔すんな見えねえよ!! すでに岬を取り囲み、握手だのハグだのが始まっている。これまでのあらすじを説明する間も惜しいらしく、手が空いた者から変わるがわる言葉尻を追ってきた
「とはいえ、みんな色々考えちゃってさ」
「とりあえず、遠くから見送るだけにしようかってことになったんだけど」
「着いてみたら、キャプテンがいい感じに話を進めてて~」
「行くならいまだ! って思って」
「出て来ちゃった」
……あ、そう……。あのこっ恥ずかしい演説を、みんなまるっと最初から聞いていたわけですかそうですか……
「こんなとこで喋ってないでさ、駅行こうぜ駅!」
「おれ、父ちゃんから小遣いもらってきたんだ! みんなであったかいものでも飲めってさ! 駅の自販でコンポタ買おうぜ」
「うおーー! 松田の父ちゃん、太っ腹ー!!」
「あざまーす!!」
それを合図に、駅舎へ向かってわらわらと民族大移動。小田が特にこちらに目をやることなく、おれの背中をたたいていった。それに倣うように次々と遠慮なく叩いていく。いやだから痛いって。背中に紅葉がいくつ群生したのか、想像するだけでぞっとし始めたところで、撫でるようなソフトタッチ。その主は小声でそっと呟いた
「松山……本当にありがとう」
「…………おう」
岬は頷き、連れ立って歩く波をかきわけて進む。先頭に立ったところでぱっと振り返ると、背負ったリュックサックから細かい雪が散った
「みんなも。ありがとう。ぼく……ふらので過ごせて本当によかったよ」
雪も隠しきれないほどの足跡が残る銀色の道。ひゅるりと舞う風の中で岬が笑った