やさしさに包まれたなら

『ロベルトにはきっと何か事情があったんだよ』
『うん』
『翼くんのことを嫌いになったから置いていったわけじゃないよ』
『……うん。ありがとう、岬くん』

いつもぱっと明るい笑顔をくれた親友が、無理やり絞り出した笑顔と声は、やはり仄暗いままだった
あの日、一番欲しかったものを手に入れて、同時に、一番欲しかったものを失った翼くんは、すっかり塞ぎこんでしまい、部屋から一歩も出ないという。夜も眠れていないのだろう、泣きはらしたあとのように赤い目。ぼんやりとした力のない視線に映るのはたぶん僕じゃない。言葉を尽くしたつもりだけれど、翼くんの心にまで届いたかどうかはわからない






「翼のやつ、どうだった?」
「うん……まだ、駄目そう……かな」
「だろうな」

翼くんの家からの帰り道、ぼくの足はなんとなく若林くんの家に向かっていた。そんな一連のルートを知るはずもないのに、若林くんは、ぼくにジュースを勧めながら開口一番翼くんの様子を尋ねてきた
どうやらこれまで翼くんの家を訪問したメンバーは、もれなくみんな、その帰り道に若林くんのもとへ報告がてら立ち寄っていたらしい。なんだろうこの吸引力ならぬ求心力。でもわかる気がする。自分たちでは力及ばずとも、若林くんならなんとかしてくれるんじゃないかなって思わせるなにかがあるもの

「若林くんは、なにか声かけてきたの」
「いや。……もう少し待ってみて、やばそうだったら顔出すつもりではいるけど……誰かの気持ちに寄り添うってのがどうも苦手でなあ」
「そうなの?」
「やさしく声をかけるとか、性に合わん」

意外といえば意外。でも確かに、慰めるような言葉を口にする若林くんって、あまり想像できないかもしれない

「まあ、そのうちグラウンドに連れ出してみるさ。……まさかとは思うが、あいつ、サッカーやめるとか言い出してないよな?」
「……うん。というか、それはないよ。絶対」
「だといいんだけどな。こういうとき、岬みたいにうまく言葉をかけられたらいいなって痛感するぜ」
「…………」

これには曖昧に微笑むしかない。どんな言葉をかけるよりも、無理矢理にでも身体を動かしているほうが、翼くんにとってはよほど気晴らしになるだろうと思うから。そう、ぼくと違って若林くんはずっとここにいる。今はまだそんな気になれなくても、いつかまた走り出す気になれたとき、一緒に或いは対峙して戦う、それを待つだけの時間がある
時間がないのはぼくだけ。だから、焦って月並みな言葉を重ねるしかできなかっただけ。その言葉だって、ホントのところは

「……ぼくは多分、偽善者ってやつなんだよね」
「は?」

若林くんが目を丸くしながらこちらを見返した。まあそうだよね、そういう反応になるよね

「いきなりどうした。……あ、さっきのは、口がうまいって意味じゃないぜ?」
「うん、それは分かってる。そうじゃなくて」
「?」
「翼くんに言ったことはね、全部、ぼくが誰かに言って欲しかったことなんだ」

本を読むのも善し悪しだなと思う。引越しの道中や、父の帰りを待つ、その時間つぶしには本を読むのがお手軽で良かった。もともと少ない手持ちの本はすぐに読み尽くし図書館にも通い始めて、要る知識も要らない知識も増えていった
いわゆる可愛い盛りの赤子がいるのに離婚。余程のことがない限り、親権の取得は女性の方が有利。にも関わらず、可愛い盛りの筈の赤子をあっさりと置いていった母。―――ぼくはそんなにどうでもいい存在だった?
写真に語りかけてみても、花のように美しい笑顔はぴくりとも動かないし、そういえば彼女の声すら覚えていない。こんなこと、誰にも言えない。誰にも訊けない。でも、誰かに言って欲しかった。『何か事情があったんだよ』『嫌いになったから置いていったわけじゃないよ』

「最初はね、心から翼くんを元気づけたくて言ったんだ。純粋にそれだけ。でも、だんだん……自分に言い聞かせてたっていうか」
「…………」
「……ごめん、なに言ってるんだか全然わからないよね」
「ああ、わからん。……けど、説明するつもりもないことはわかる」
「うん……ごめん」
「いいけど」

匂わせるだけ匂わせておいて、種明かしをしないなんて最低だと思う。けれど、何年もかけてぐずぐずに屈折したぼくの気持ちを説明するには、もう時間が足りない。中途半端に話したところで、きみにわかってもらえないと認めるのはとても哀しくて、だからと言って、わかったような顔をされたら、それはそれで哀しくなるんだ、きっと。『何か事情があったんだよ』『嫌いになったから置いていったわけじゃないよ』誰かにそう言って欲しいくせに、いまのきみには言って欲しくない。なんてめんどくさいヤツ。そもそも、時間が足りないのも、誰のせいでもないぼくのせいなのに

「翼のことは……そういうのは受け手がどう思うかって話だろ。岬の言葉は充分慰めになったと思うぜ」
「そうだと……いいんだけど」

確かに、翼くんはぼくとは全然違う、まっすぐ素直な子。言葉の裏の裏まで読まれる心配をすること自体、いらぬ心配なのかもしれない

「絶対そうだから心配すんな。……岬の悩みは……。一応再確認だけど、しつこく掘り下げた方がいいか?」
「ううん」
「だろうな。……まあ、プリンでも食えよ」
「ありがとう」

……なんだろう、プリンを与えておけばご機嫌になると思われているような節があるのがちょっと気になるけど。それでも、放っておいてくれるのがとてもありがたい。気持ちに寄り添うのが苦手だと言っていたけど、そういうところが心地いいんだよ。みんなも。そしてぼくも

「いつか……」
「ん?」
「ぼくが気持ちの整理をつけることができたときに、聞いてくれる?」
「……勿論だ」

そのとききっとぼくはきみのそばにいないことに気づかないでいてくれるきみはとてもやさしい