「う───ん、ちょっとひと休み───」

目の前に座った鈴世が、シャープペンをころんと投げて伸びをする
要所要所にまっすぐな蛍光色の線でチェックを入れられたテキストを覗き見ながら
なるみも自分のテキストを閉じる

「お茶、淹れるね」
「あ、ありがとう♪」





本格的な冬の到来───受験生にとって嫌な季節がやってきた
雪が降れば“滑る”“転ぶ”に怯え、口を開けばやっと覚えた英単語が後から後から零れ落ちてしまうのではないかという
ありえない恐怖に襲われ(そんな非現実的なことを笑い飛ばせないほど追い詰められ)自分を支えることだけで精一杯で
早く結果を出して楽になってしまいたい、けれど結果を見るのはなによりも怖い───そんな葛藤に彷徨う季節
そんな中、今日は、週に一度のお約束の───どちらかの部屋でふたり一緒にお勉強をする───日であり
なるみの部屋で正味二時間ほどテキストとにらめっこしたところだった

明けない夜はない そう思いたいのはやまやまだけれど
一方で、なるみにとって夜が明けることは即ちひとつの大きな分岐点でもある

教師志望の鈴世は四大へ、保育士志望の自分は短大へ

そう、それぞれ進む道が違うのだ
出会ってからというものずっと同じ道を歩いてきた(エスカレーター式の学校なのだから当然といえば当然なのだが)
姿を見たいなと思ったなら、ふと顔を横にずらせばいつもそこにいた
○○先生が授業中講義の内容を噛んだ、××くんは相変わらず早弁していた そんな他愛もないことを話しながら帰った
そんな時間はもう少しで終わってしまう
そしてそれはきっとそれ以降も──────

「“江藤先生”……かあ」
「え?」
「あ」

思わず口から滑り出た自分の言葉に、お茶を差し出す手が震え、カップとソーサーがかちりと音を立てる

その確率が実はものすごく低いものなのだということを知ってはいるけれど
きっとそんな障害も簡単に乗り越えて、鈴世は教師になるのだろうと思う
自分の贔屓目を差し引いても彼は本当に素敵な人だと思う。だからきっと生徒にも人気の素敵な教師になって
きっとその「人気」のうちには、憧れ以上の感情を抱く生徒達も少なからずいたりして

「や、あの、その……。ほら、先生になったら
 セーラー服の子達にこんな風に呼ばれちゃったりするのかなって……」

きょとん
言葉で表現したならまさにそんな顔をして、鈴世はなるみの顔を凝視する
一瞬の沈黙の後、角砂糖をなるみのカップにふたつ、意外に甘党な自分のカップにひとつ落として苦笑する

「実習先は母校………というか、ポーリアだから、セーラー服じゃないよ」
「で…でもっ。無事、先生になって……赴任先がもしかしたら、セーラー服かも…」
「やけにセーラー服にこだわるなあ。───あっ
 むしろなるみが着てくれたほうが、ぼく的には……」
「ばかっ」
「ふふ」

スプーンでくるりと紅茶をひとまぜ。湯気をあごのあたりに当てにやにやしながらなるみを眺める

「……………」






あのとき───ふたつの人格がひとつになったときから
鈴世くんは、ほんとうに変わった

昔だったら絶対言わないようなことを
昔となんら変わらない笑顔を浮かべながら
ごく自然に、へろっと口にする
てのひらのうえで転がされているような気がして
自分がすごく子供のような気がして
すごくくやしい

「すぐ、そうやって茶化すようなこと言って……」

問題はセーラー服なんかじゃない
あたしの知らない鈴世くんに会うことができるその子たちがうらやましいだけ

何をするにもずっと一緒だったあたしたち
それは本当に、それ以上を望むことなどできないくらい幸せなこと
けれど、───だからこそ
いっときでも離れてしまうことを 想像するだけでも怖い
ぜいたくな悩みだと、頭ではわかっているのだけれど
誰かと比べることで心を落ち着かせることなどできるわけもなく

ぐるぐると、気持ちが絡まる
教科書の数式を解くように、たしかな答がはじめから与えられていればいいのに






「……あたしの気持ちなんて、ぜーんぜんわかってないんだなあ」
「あれっ」

ためいきをついたばかりの頬に、すうっと手が伸び、長めの指先がやさしく触れる
心持ち、向かい合った顔と顔がまっすぐ向き合うように押さえてにっこりと笑う

「じゃあ、ぼくの気持ちをほんとうに判ったうえでそういうこと言ってるの?」
「…………う…」






そうやっていつも鈴世くんは
あたしの言って欲しいこと・確かめていたいこと───あたしにはうまく伝えることができないこと───を
いつもと同じ、穏やかで優しい笑顔を浮かべながら
それを口にだすのなんてまるでなんでもないことのように、へろっと口にする
てのひらのうえで転がされているような気がして
自分がすごく子供のような気がして
すごくくやしい