入学式、或いは始業式。新しい生活が始まる、記念すべきその日を彩るかのようにいつも桜は咲く
けれどぶっちゃけた話、この花たちは、自分を祝うために咲いているのだと俊は思っている
もちろんそれは、春生まれなら誰でも一度は胸に抱くであろう幻想でしかない
いざ、自分の誕生日がやってきたころには、花はほとんど落ちてしまっているのだから
実際、今日のいささか強めの風に吹かれ、花の散るスピードは確実にアップしており
今の時点で既に緑の葉がちらほらと目立ち始めていた
花を愛でるなどと、そんな風雅な趣味は持ち合わせていない
けれどもなんとなく桜の花だけは、足を止めしばらく眺めていたくなる
札付きの不良で名の通った自分が、ぼうっと桜を眺めているなんて、ガラでもないというのに
「真壁くん、見つけた───っっ」
「……え」
「エヘヘ」
そのとき、ころころとよく響く声で自分の名を呼ばれた。そちらを向くと、案の定。長い髪が風に揺れる
どこから嗅ぎつけてきたのだろう。彼女の追跡能力に驚かされるのは、これが初めてのことではない
けれど、いま俊が立っているのは、裏庭のさらに隅
校門はまったく逆の方向にあるから、ここに足を運ぶ輩などいるはずがないのだ
誰かのように、人目をはばかり桜を見にきたとかでもなければ
俊がぎょっとした表情にはならずに済んだということなのか、彼女がそんなこと気にしないということなのか
ひょこっと顔を出し呼びかけた校舎の陰から彼女は駆けてきて、となりに立つ
それを凝視する俊の視線に小首をかしげて応え、次いで目の前の桜の木を見上げた
「……うわあ、桜、キレイ……。穴場ね、ここ」
「ああ……」
「あ、もしかしてお花見の邪魔しちゃった? ごめんね」
「…………別に……」
“自分が”花見をしていたということを、何の疑問もなく提示した彼女の台詞は、ある意味、彼女らしいと思ったりもする
空気が読めないわけではなさそうなのに、札付きの不良と一緒に帰りたいとか言い出すような奴だからだ
ついうっかり自分まで、本音をもらしてしまいそうになるのが困りもの
元々の話下手も手伝って、かろうじてそれは堪えているけれど
少なくとも、彼女の前で虚勢を張ることは忘れてしまっているというのが現状だった
「ところで、なんか用か」
「へ? ううん、別にっっ。ただ、真壁くんがいたから、来てみただけ」
「ヒマな奴……」
「!! ヒマだからじゃ、ないよっ。それを言うなら真壁くんだって、桜、見てたんでしょ?」
「………………っっ」
───ご明察。半日放課の今日は、ジムが開くまで大分時間があったのだ
だからこそ、時間つぶしも兼ねつつ俊は、こうして散り急ぐ桜を見に来たというわけである
ぐっとつまった俊に対し、彼女はここに来たときとなんら変わらない笑みをにこにこと浮かべており
いつもこのパターンだ。彼女といると自分は、根本的な部分から調子が狂ってしまう
「……もう、大分散っちまったけどな」
「ああ……今日、風強いしね……、って、きゃあっっ」
「うわ」
と、言うが早いか、強い風がふたりの間をすり抜けた
地面から空へと昇ってゆくその流れに従い、枝からは桜の花びらが豪快に舞い散り
地に立つ俊……はともかくとして彼女のほうは、あまり無事でもなく
風の流れに素直に従おうとするスカートと髪を、懸命に押さえていた
「……女は、あちこち押さえなきゃなんねえから大変だな」
「あ───……そうかも……。ふう、すごい風だったね……」
いささか論点のずれた感想を述べた俊のとなりで、ぱたぱたとスカートを払いながら彼女はひと息つく
俊自身、ひとのことはとやかく言えず、今の風で髪がばさばさになってしまった
違和感のある分け目を適当に手ぐしで直しながらそちらを見ると、同じくばさばさになった彼女の黒い髪の所々に
散った桜の名残が点在しているのが目に入った
「……頭に、花びらついてる」
「えっ!? どこ、どこっ!?」
焦りながらぱたぱたとはたいたその拍子に、載っていただけの花びらはあらかた、儚く落ちていった
けれど前髪に、まるでそこに咲いているかのようにとどまった花(なぜかそれだけは、きちんとした花の形を保っていた)は
ぽつんとひとつそこに残り続けた
「あと……前髪にもういっこ」
「ええ〜〜……」
「もういいじゃねえか、そのままで。頭に花が咲いてるなんて、万年春のおまえらしい……」
「ひどいっっ。絶対、取るもんっっ」
そもそも指摘したのは俊のほうだというのに。あんまりといえばあんまりな台詞に、彼女はぷうっと頬を膨らませた
その表情は本当にくるくる変わる。からかい甲斐があり過ぎだ
憤慨しながら彼女が手を添えたのは、見当違いの場所
たまに袖がかすったりもするのだが、萼の部分が絡まってしまっているのか、花はしぶとくそこに在り続け
最初は面白がって見ていたものの、とうとう俊は業を煮やして切り出した
「……そっちじゃなくて、こっち……。ああもう、こっち向けっ」
「ご、ごめ……」
うきぃ、と奇声をあげつつ涙目になっていた彼女は、俊の申し出にほっとしたように笑い、すぐさまこちらに向き直る
すっと目を閉じたのは、問題の花が前髪に絡んでいるため
くっと顎を上げたのは、彼女の頭のてっぺんよりも上にある俊の目線を慮ったため、なのだろう。───けれど
やはり、おかしい。彼女といると、どうにも調子が狂う
女になんて興味はない、むしろ鬱陶しいとまで思っていたのがこうして普通に、むしろいつもと段違いの饒舌さで
彼女と話しているということだけでも驚きだというのに
胸の奥をきゅうと絞られたような、疼きにも似たこの甘やかな痛みは、いったいどういうわけだろう
おまけに、触れた髪はつややかな見た目以上につるつると手触りが良く、ずっと触れていたい衝動に駆られる
もしくはもっと、いろいろなところに
例えば、目の前でゆるく結ばれた唇とか
「……。真壁くん……?」
「!!」
薄く目を開きながらの呼びかけに、俊は口から心臓が飛び出そうになった
気がつけば、彼女の息遣いが聞こえそうなほど、かなりの角度で傾けてしまっていた上半身に、自分がいちばん驚いた
慌てて飛びすさった俊の姿を、きょとんとした顔で彼女は眺める
「??」
「と……取れた、から! とりあえずおれは、帰る! じゃあな!」
「へ? ま、真壁くん……帰るの? じゃあ、わたしも……」
「だっ……! お、女となんか、帰れるかっっ」
えー、とか、ひどーい、だとか、彼女が背中でなにか叫んでいるのは判った
けれど振り返るほどの余裕はなく、むしろ自分史上これ以上ないほどの加速度で、俊はその場を走り去る
息が切れるほど走リ続けたその間、ずっと握りしめていた桜の花は、もはや原型をとどめてはおらず、よれよれのしわくちゃ
その薄紅色は、もう一歩踏み込んでいたら確実に触れることができてしまったはずの、彼女の唇の色に似ていた