日傘を買った

ラニーニャ現象とかヒートアイランド現象とか、そんな細かい理屈はぶっちゃけどうでもいい
とにかく、洒落になっていないのだ。ここのところの昼間の日差しは
移動手段がほぼ車一辺倒になったから、余計耐性が落ちてしまっているのかもしれない
ちょっと外を歩くだけでも、相当こたえる。頭が痛くなるくらい

そこで目についたのがこの日傘
ふらりと立ち寄ったセレクトショップの棚中央に飾られていた白のレースは、ぱっと目も心も引きつけた
迷うことなく即お買い上げ。昨日の今日で、早速お披露目だ
相変わらず猛烈な日差しも、こと、今この時間に関しては、待ってましたのお客様
願わくばおとなしくお引き取り願いたい紫外線攻撃から、この美しい絹肌を護りぬくためにも
日傘を持つことは女の嗜みってな話だろう

そもそも日傘お披露目のためのお出かけだから、特に行くところがあるわけでもない
少し前の自分だったら、彼の家へ押し掛け、決めのポーズでまるっと悩殺くらいはしたのだろう
けれど、今は
───と。暗雲が立ちこめそうになった思考を押しやって、颯爽と歩く
それだけでほら、道往く人たちの視線はこの日傘美人に釘づけだ
白の傘に、これまたレースのふんだんな黒のワンピ。われながら惚れぼれするけれど。差し色を加えよう、と
通りがかったストアの店頭・みずみずしいフルーツ棚を見てそう思う
オレンジ片手に街を闊歩。……うん、悪くない



この街は、広いようでいて、やっぱり狭い。そう思わされる瞬間は少なくない
けれど、そのごくありふれた事実を、少なからずの痛みとともに思い知らされるのは
今この瞬間の状況くらいのものだろう
オレンジの山に手を伸ばして選りすぐりのひとつを取り、ふと目を向けたその先に
彼と彼女が、いた



駅の真正面にあるこのストアは、商店街にある庶民派スーパーとは違って
有機野菜やら輸入ワインやらチーズやら、ランクひとつ上の品を取り揃えているのがウリ
広めの店内は、カート同士がすれ違うのも余裕で、休日ともなると
いつもよりちょっぴり贅沢な晩餐を楽しむのか、いっぱいに積み込んだカートを押して歩く夫婦が増えて
(因みに、言うまでもなくうちは平日休日問わず常にこのストアを利用している)
そんな夫婦のなかに紛れ込むわけでも、霞んでしまうわけでもなく、彼らは歩いていた

彼は、片手でやすやすとカートを押しながら、もう一方の手は彼女の手を引く
彼女が、色よいトマトを選び、カートに入れるその間も、それは変わることなく
この暑いさなか、普通だったら更に暑苦しくなりそうなそんな所作は、なぜかとても自然に見えた

一瞬見惚れてしまいそうになりながら、やっとのこと、そんなガラじゃなかったのにと
憎まれ口を口元だけで呟く。その声は、思った以上に儚く弱々しく消えた

かしこい神谷曜子さんは、すべてにおいて目配り気配り心配り
とりわけ『気付く』のは、人並み以上に早かった
ずっと長々と、十年以上もの間、気付かないフリをしていただけだ
こちらにはただの一度も差し伸べられることのなかった彼の手は、すべてを拒絶していたのではない
求め求められる相手に対しては、あんなにも自然に差し伸べられるものなのだと

おろしたての日傘は、容赦なく照りつける光から身を護ってくれるだけではなくて
決して他の誰にも見せたくはないものを、うまく隠してくれるものでもあった
今の自分は、きっとひどくみっともない顔をしているに違いない
───やっぱり日傘は、夏の女の嗜みだ



手にしていたオレンジをそっと戻し、くるりと反転。冷房の効いたストアから再び炎天下へ出て歩き出す
彼らの新居の住所を知らせる葉書は、だいぶ前に届いていた
『遊びに来てください』の文字に逆らい、物陰からそっと覗き見たその家は
白い壁に、大きな窓から覗くレースのカーテン。青々とよく手入れされた芝生、花壇には季節の花……と
ここに犬でも飼ったりしたら、曲でも作れてしまいそうな、いかにもな面構えだった

日傘なしで歩けるようになったら、会いに行ってあげてもいいわね

そんな呟きが、真夏の日差しににじんで揺れる