Irregular reflection :予期せぬエラーは既に発生していました

「そういえばおまえ、便利なもん持ってたよな」
「え?」

いつものそれより深く長くなったキスとその先と。けだるく甘いその余韻に浸る蘭世の髪を手癖のようにいじりながら俊は、思い出したようにそう言った



その目線はふたりが横たわるベッドを越え、鏡台の抽斗あたりをうろうろしているが、直接探しに出向こうとはしないのは、彼もまた、もうしばらくは互いの体温を感じあっていたいといったところか。気持ち程度に掛けられた布団から空いた手だけを出し、親指とその他の指を、なにか別の生き物の嘴のようにぱくぱくと閉じ・開きしながら、その『便利なもん』がいかなるものであるかの説明は続く

「手鏡というか、こう……鏡が蓋になっててそれが開いて……。昔、神谷(犬も含む)とかベン=ロウとかを量産してたやつ」
「?? ……ああ~! マジックミラーのこと!?」
「多分それだと思う」
「実家の……おとうさんの部屋にあると思うけど。どうかした?」
「そうか。……いや、いろいろ勝手に決めといて何だけど、やっぱり、女ふたりじゃどうかと思ってな……。適当におれのコピー作って置いとくのはわりとアリだなと」
「…………」

つい先刻打ち明けられたばかりの、いわゆる『修行』は、『勝手に決めた』とまでは思っていないが、『突然』ではあったな、というのが正直な感想だった
とはいえ、引き止めるという選択肢はなかった。蘭世としては、ほんのひとすじ涙をこぼしてしまったことですら不本意なくらいで、心からの「いってらっしゃい」で『修行』に送り出すつもりでいる。だからその点を気にする必要はないのにな、とも思う
しかしその『修行』で彼が家を空けた結果として、あとに残される人員配置といえば───うら若き(?)女性のふたり暮らし。それが傍からどう見えるか・どんな危険をはらむかを、彼が気にする気持ちは分かった。それでもこう答えざるを得ないだろう。だって

「大丈夫よ~。わたしだって魔界人のはしくれだもの。それに愛良だって、強い子だし」
「まあ……それはそうなんだが……」

これは決して強がりの言葉ではない。女性ふたりといっても、かたや、大っぴらにされてこそいないものの地球を救った大魔女と、その母。実際問題、並の人間が自分たち相手に悪さをしようとしても、返り討ちにあわせるのが関の山だ。彼だってそう頭では理解しているだろう。けれど『勝手に決めた』引け目もあってなのか、彼の眉間のしわはどんどん深くなっていき───蘭世はそれをちょいと指先でつついて、彼がこれ以上怖い顔になるのを食い止めた

「それに、あれって同じなのは顔・身体だけで……。たまにエラーというか、変な子が出てきちゃうときがあるし」
「…………ああ、あの、妙におとなしい神谷みたいな……」
「あっ」

蘭世としては、自らの実体験から、まだ彼が人間であったころに作り出してしまった、ちょっと…かなりやんちゃな自分のコピーを思い起こしての軽い言葉だったのだが、彼はそれより最近の例が脳裏に浮かんだらしい。確かに、いつぞやの神谷曜子のコピーの印象は、なかなかに強烈だった。とはいえあれはあれで、神谷父の言葉を機にそれなりにはっちゃけていたので、程度の差・緩急の差はあれどエラーかどうかは微妙なところではあるが……
なるほど、彼のコピー。そういえば考えたこともなかったけれど、試したらどんな彼が出てくるのか。ましてやエラーだったりしたら? へなちょこで軽薄な真壁俊? あり得ない!

「……。まあ、番犬にもならないようじゃ、意味ねえか……」
「そうね……なよなよしてるあなたが出てきたら、けっこう嫌かも……」
「…………」

彼が目に見えてげんなりとしていったのは、神谷曜子(おしとやかver.)になぞらえた自分のエラー像を想像したからなのか、蘭世の心のうちでむくむくと膨らんでいく自分のエラー像のイメージが見えてしまったからなのか、はたしてどちらだったのか

塀の高さや庭木の配置、それらが隠す窓の死角……ぶつぶつと呟きながら、封印、結界など他の手段をより強化する方向に思考をシフトし始めた彼の眉間を、蘭世はもういちどさりげなくつついた



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試したこともない彼のコピー、そしてエラー像を、やたらと具体的に想像できてしまったのは、持ち前の逞しい想像力もあるかもしれないが、規模は違えど同じ「鏡」が生み出す世界に、いちど足を踏み入れたことがあったからかもしれない
その世界で遭遇した、もうひとりの「彼」。当時の彼なら絶対に囁かないような甘い台詞に、ほんの一瞬ときめいたりもしたものの、その実は、甘やかすだけで質量を伴わない言動ばかり。はからずもこちらの世界の彼の魅力を再確認することになっただけの、残念な存在でしかなかった。それは日々蓄積されていく幸せな記憶に埋もれていき、同じ鏡つながりの話をしていても、その存在を思い起こされることはなかった。けれど、実は無意識のうちに「けっこう嫌」なイメージ制作の一助となっていた……ような

そう蘭世が思い至るのは、その「彼」と、いまの時点ではまだ会ったことのない「もうひとり」。そんなふたりの存在に、なんだかんだで暢気に構えているこの世界のふたりが翻弄され、さらにしばらくたってからのことだった