Prisoner Of Love
「まったく……あの意地っ張りなのは誰に似たんだ」
「……たぶん、わたしではないけど……」
問いかけの体をとっておきながら、蘭世の示した解に反応を示さずに、俊は不機嫌な表情のままソファに乱暴に腰を下ろした
「あの」と指したのは、この家を出てひとり暮らしをしたい と、先ほどにわかに打診してきた卓のことだ
卓の通う大学からこの家はかなりの距離がある。当然それを踏まえたうえで志望した先ではあったが、実際に通学し始めてみたらやはりその時間を他に充てたいと思ってしまった気持ちは分からなくはないし、むしろ半年よくもった方だと思う。だからこの家を出ること自体には、俊も蘭世も積極的な反対はしていない
ただ、話題が費用負担の割合に移った───家を出ることで増加する生活費、つまりは学費以外の費用については卓自身のアルバイトの収入で賄うと言い出したあたりから雲行きが怪しくなり、自室にいた愛良が慌てて、あるいは怖いもの見たさで話し合いの場にやってくるほどの、雷鳴に似た怒声がこの家中に轟くことになった
「あんなに厳しく言わなくてもよかったんじゃない? 卓だって気を遣ってるんでしょう、わたしたちに」
「親に甘えるのも子供の義務だ。いつまでも金を出すとは言ってない」
「それはそうだけど……やめるのはいつでもできるんだから、まずは本人のやりたいようにやらせてあげれば……」
「一旦やり始めちまったら、やめるとか言い出せなくなるだろう」
淹れたものの、喉を潤す暇もないほどの言い合いとなり、結局その場に取り残されてしまっていたお茶を新しく淹れかえると、俊はいま初めてその存在に気づいたかのようにコップを掴み、一気に飲み干した。一杯ではまだクールダウンには至らないようで、いまだ不機嫌なオーラがそこかしこに漂っている。蘭世は苦笑しながらもう一杯を差し出しつつ、俊と同様にかなりのヒートアップぶりを見せていた卓のため、コップいっぱいのお茶を愛良に託しておいたのを、ピッチャーごと渡しておけばよかったと後悔し始めていた
「だいたい、いまの時点でもうむちゃくちゃやってるみたいじゃねえか」
「そうねえ……昨日も、帰るのが面倒になったからって、先輩のところに泊めてもらったって言ってたわ」
「そら見たことか。しょっぱなから突っ走ってどうするんだ。ペース配分ができてない」
俊は案の定、というような顔でため息をつく。俊が『ペース配分』とか言うとトレーニングの話でもしているかのようであるが、これは卓のアルバイトの話だ
大学生活に慣れたころから徐々にシフトが増えていったことに蘭世はなんとなく気づいてはいたが、俊も気がついていたというのはなんだか意外だった───昔よりも胸の内を明かしてくれるようになったので忘れかけていたが、彼の場合「言わない」ことがイコール「思っていない・気がついていない」ではないのだった。蘭世はこっそり舌を巻く
「……まあ、さっきは引き下がったようなそぶりを見せたけど、あいつのことだから好きなようにやるだろうな。とはいえ、受けるべきものをだまって受け取れば、あれだけ忠告したんだ、これ以上口を出す気はない」
「そ、そう……かもねえ……」
「ある程度自分でなんとかしたい気持ちは分からなくはないが……なんでもかんでも抱え込もうとする性格は誰に似たんだ」
「………たぶんそれも……わたしではないけど……」
「…………」
───ほんの数分前にまったく同じ論調で訴えかけられたばかりなのだが
ひょっとしてギャグで言っているつもりなのだろうか。吹き出すのはかろうじて堪えたつもりだが、にじみ出てしまったかもしれない本音を察したのか、そもそもこの問いかけは単に再確認作業であって返答を求めたわけではないということなのか、じとっとした目つきで俊は蘭世を見やった
「……あいつはおれとちがって器用なくせに、詰めが甘いんだよな。そのうち彼女と住む算段でいるんだろう?」
「えっ」
「いままでもたもたしてた分を取り返すのに、時間なんていくらあっても足りないんだから、端折れるところは端折ればいいんだ。障害が多いほうが燃えるタイプなのかもしれんが」
「…………」
彼女───ココ。小さなころからつかず離れず、互いに素直になりきれずぶつかったり避け合ってみたりと紆余曲折していた卓とココが、晴れて恋人同士としての関係を築き始めたのはつい最近のことだった。確かに卓が家を出るとなれば、冷静のようでいて意外と情熱的な卓と、パワフルな行動力を備えるココのことだから、ふたりで暮らすことになるのは時間の問題だろう。とはいえ、そうはっきりと明言されたわけでもないというのに
「意外……。あなたがそんな……ココちゃんとのことまで気にかけてるなんて」
「ひとを情緒もクソもないみたいに言うな」
「そういう意味じゃなくて……」
「じゃあどういう意味なんだ」
「どう……って……」
そう問われると、それはそれで返答に困るというか、どちらかというと饒舌なほうの蘭世でも、言葉であますころなく説明するのはとても難しい
自分ではどうにもできない大きな力にずっと翻弄されていた俊が、ようやく自分のやりたいことに専念できるようになり、しばらくひとりでやってみたいからと誰の加護も受けず、学業はともかくボクシングやアルバイトに打ち込んでいたあのころ。自分のことを二の次・三の次にされたとしても蘭世としては文句など出ようはずもなかった。そして決して二の次・三の次にはしなかったことも知っていた。大事に、大切にしてくれた
だからといって心の器が常に満たされていたわけではない。俊の言葉を借りれば『時間が足りなかった』。口にしないことがすなわち思っていないということではないと判っていても、それでも繋ぎ止めて欲しいと思った夜がなかったわけではなく───「だってあなたはそうしたじゃない」と言うのは簡単で、ある一面においてはそうなのだが、それだけではない。間違っていたとは思っていないから。そんなところも好きだったから
「……時間が足りなくて喘いでたのは、自分だけだと思ってるのか」
「えっ───」
いまそれを言う!? そう返そうとした勢いは、俊の唇に簡単に絡め取られた
───今更、言うっていうかおれとしては言わされた感があるけどな。キスの余韻に酔いながら、ようやく不機嫌な表情をほどいた俊が笑ったのが見えた
「同じ轍を踏まないようにしてやるのも、親の役割だろ」