wicca ~You’re my enchantment~

いま呪文を唱えたら成功するかもしれない。お誂え向きな状況であることを示しつつ、実際は、そんな余裕を互いに見失うくらいその肌に夢中で喰らいついていた。彼女の無意識のうちの誘惑に、乗ったのか乗せられたのか 今となってはよく分からない。ただ、他の誰かに気を取られるなど要らぬ心配だと言いながらも、そんなことで少女のように心を乱すさまが、やたらと愛おしく思えてしまったのは確か。なんだかんだと御託を並べながら結局のところ、毎度このパターンのような気もするのだが……

そんな、祭りのあととまでは言わずとも、ほどよい脱力感のなか、俊の腕を枕にじっとしていた蘭世が何気なく口にした言葉は、意外といえば意外なものだった

「あなたが『ナクゴウ』を使ったら、相手の動きをどのくらい止められるのかしら」
「ん?」
「ていうか、そういえば、あなたが呪文を唱えてるの、あまり見たことないかも」
「…………」

そういえば、いままでこんな話をしたことはなかった。互いの能力についてはもちろん熟知しておりそれなりに興味はあるものの、それが当たり前の前提になり過ぎていて、改めて話題にする機会がなかっただけなのだが

ご指摘のとおり、俊が呪文を唱えることはあまりない。別に、呪文を唱えるのがいかにもな感じがして柄じゃないとか恥ずかしいとかそういうことではなく、一応、そこには明確な理由がある。こちらを覗き込む白い首筋に貼りついたひとすじの髪を直してやると、そこに留まった指先に蘭世は頬をすり寄せてきた

「昔……いろいろできるようになり始めたころ、おふくろに訊いたことがある。絵本に出てくる魔法使いみたいに、おれも呪文を覚えなきゃいけないんだろうかと思って」
「へえ……」

意外そうな顔で相槌を打っている蘭世はあまりピンときていないようだが、かつての『生まれ変わった俊くん』に、その手の絵本を読んでくれたのは、他でもない、そのころの彼女だ。訳も分からず命を狙われ、なにかと落ち着かない日々のなか、わずかに許された心安らぐひとときだったので、俊のほうはよく覚えている
その絵本に出てくる魔法使いはみな、ふしぎな呪文を唱えていた。もし自分がおなじように魔法を使える身なのであれば、おなじように各種呪文を駆使することになるのか、そしてそれは、守りたいものをこの手で守る手段となり得るのか。それなりに思い悩んだうえの問いだったように思う。今となっては、まさに喉元過ぎればなんとやらであるが

「そのとき、呪文は基本的に使うなって言われた。おれだけじゃなく多分アロンもだろうな。念じるだけで大抵のことはできるから、呪文まで使っちまうと、効果が強く出すぎるんだとさ」

魔法とは、端的に言えば、そこにない想像の産物を具現化すること。そして呪文とはその想像の一助となるもの。想像したイメージ像がともすれば分散してしまいかねないところを、呪文を唱えることで集中力が増し、結果として魔法の成功率あるいは効力が上昇する。言魂とはある意味そういうことなのだろうし、なるほどうまいことを言ったものだと思う

「え、じゃあ『ナクゴウ』とかは……」

俊の場合、まさに能力のごった煮状態で、他の種族特有の、たとえば蘭世のような、噛みついた相手の姿にその身を変化させるような能力こそ持ち合わせてはいないものの、大抵のことが念じるだけでできてしまう。故に、相手の動きを止める程度であれば、呪文の助けを借りる必要がない。じゃあ、あえて呪文を唱え、効力のかさ増しをしたらどうなるのか。彼女はその時間的な持続性だけを気にしているようだが、気にするべきはむしろ

「相手にもよるけど、全力でいったら息の根まで止めかねないな」
「ひえっ」
「まあもちろん加減というか、どこまで止めるか踏まえたうえで唱えればいいんだろうけど、加減するならそもそも呪文なんかいらんって話になる」
「へえ……」

と、彼女は文字どおり目を白黒させた

「そうなのね……。教えられたままバンバン唱えてたけど、どこまで止めるのかなんて、考えたこともなかったわ……」
「メヴィウスも、そのへんまで考えて伝授してきたんだろ」
「そこまで深く考えないでしょうって?」
「いやいや、能力とのバランス」
「…………」

なにやらひどい悪口でも言われたかのような、胡乱な目をこちらに向けてきているが、実のところ、彼女の魔法的なセンスはそれなりに高いものと俊は踏んでいる。もっとも、純粋な能力値よりも彼女の場合、ちょっとしたことでウキウキ喜んだりどっぷり落ち込んだりと、豊かな感受性というか想像力というかが、付加価値としてセンスに加算されているのかもしれない

「ちなみにだけど、神谷を犬にするやつ……あれ、意外と上級魔法らしいぞ」
「そうなの?」
「もっとも、神谷の場合、あいつが犬になり慣れてるからあれだけど……って、『なり慣れてる』とか、ひどいこと言ってるな」
「うん……すごい、他人事みたい」

そう言いつつ、直前までのおかんむりな空気はどこへやら、くすくす笑いを噛み殺せていない蘭世も大概だろう

勝手知ったる『レナニヌイ』。ほぼほぼ誰が唱えても効力を発揮するのと、見た目のおもしろ効果とが相俟って軽視されがちだが、生きた人間を、元に戻す前提で他の生きものに変えるというのは、実はなかなか難易度が高い術だったりする。犬の器を作り、それに本人を液体にして流し込むイメージで長年執り行っているが、はっきりと口で唱えるかどうかはさておいて、呪文の助けが常に必要だった

「じゃあわたしの場合、今後も、あなたから呪文を唱えられることはないのね」
「まあ、犬にする気はないからそうなるな」
「なんか残念……。呪文って、命令されてるっぽくてなんだかよくない?」
「命令? されたいのか?」
「うん……ちょっぴり」

なんか話の趣旨が変わってきた気がするうえに、口がうっかり碌でもない方向に滑ってしまいそうだが、彼女の場合は特に、無意識の言動である可能性が高すぎるので、今回は突っ込むのはやめておいた。そもそも、それ以前の問題として

「心を読めるわけでもないのに全部分かってくれる相手に、呪文なんか必要ないだろう」
「…………」

そんな顔をされるようなことを口走ったつもりはなかったのだが、和やかになりかけた彼女の表情は、一瞬何かがのどに詰まったようなものとなり、またしても微妙なそれに戻る。そして深々と、それはもう深々とため息をついた

「またそういうことを……。なんか、もう……やっぱり世界を回ると違うのかしら。なんだか口がうまくなって帰ってきた気がするわ」
「そりゃ心外だな」
「あっ、ちがう、昔からそうだったわ。なんだかんだ言ってあなたって、わたしのこと操縦するのがうまいのよねっ」
「…………」

どこの誰がどの口でそれを言うのか。意識がなければ無意識、計算でなければ天然。そういうことなのかもしれないが、何年見ていても飽きない愛くるしさとの合わせ技でくるのは勘弁して欲しい。結局のところ、こちらはいつでもその手のひらで転がされているだけ。何度も何度も絆されて、それがなんとも心地良いのがまた無性に腹が立つ

言うだけ言って蘭世は、ぼすんと音がしそうな勢いで俊の胸元に顔を埋めた。……さて、どうしてくれようか。俊はその無防備な尻にそっと手を伸ばした