雨音はショパンの調べ

用心して傘を携行すると降られずに済むのに、いけると踏んで丸腰で突入するとだいたい降られる。雨とは得てしてそんなものだ

判っているのにココは今日も今日とて挑戦し、案の定、見事に玉砕した
ながら聞きとはいえ、天気予報で午後から所により雨が降る確率が高いと示されているのを把握していた。また、買い物のためにマンションを出た瞬間、微妙な空模様であることもはっきりと見て取れていた。にもかかわらず、家に戻って傘を取ってくるという行為がものすごく億劫に感じられ、しかもいま乗ってきたばかりのエレベーターはココが振り向いた瞬間に上の階へと進んでしまい、この縁の無さは逆に、なにかのお告げだろうと踏んで意気揚々とやって来たのだったが……。往路はかろうじて免れたが、買い物に勤しんでいる間にこの有様。しかも意外と雨足が強く、しばらくスーパーの出口・カート置き場で様子見してみたが、どんよりと向こうの空まで埋め尽くす雨雲は途切れる気配がない。完全に、やらかしてしまったパターンだ

このスーパーから家までは徒歩15分ほど。距離だけでいえばそこまでではないのだが、広告と睨み合い入念な計画のもと買い込んだ週末までの食材を両肩に下げて走るのは、なかなかしんどいものがある。卓の今日の授業は午後、早いうちに終わると言っていたが、いまごろ大学から帰宅したころだろうか。観念してお迎え依頼の連絡をすると、ちょうど家に着いたタイミングだったらしい。二つ返事で応じてくれた





そのままその場で待機していたココのもとにやって来た卓は、今朝がた家を出たときと同じ服装だった。ここ最近ぐっと冷え込みが深まったため、厚手のものに切り替えたフード付きジャケットに細身のパンツ。それらは、しっかり傘を差しているにもかかわらず、心なしか、全体的にしっとりしているように見える

「…………。なんか濡れてない?」
「ああ、おれもちょうど帰りがけにハマったから」
「…………」

無謀な挑戦者がここにも居た。というか、なんとなく知ってた……

いけると確信してダッシュで帰路についたものの、家まで残すところ数分のところでやはり雨につかまったという。聞けばそれはちょうどココがレジの順番を待っていたころで、まさにバケツをひっくり返したような激しさで降っていたという時間帯だ。這々の体で帰り着いたところでココからの連絡が入り、髪をざっと拭っただけでとりあえず適当な傘をひっ掴み、再びダッシュでやって来たとのこと。このしっとり感は濡れたというよりも卓からしたらむしろ、猛ダッシュの風圧で乾き始めた感覚らしい。もっとも、いま降っている雨で濡れた分との相殺があるにしても

「そ、そんなに急がなくて大丈夫だったのに……なんかごめんね」
「あー……。まあ、ここで雨宿り続けるのもなんか微妙だろ」
「そ、それは、まあ……」

ふたりが住む地域の台所を一手に賄うこのスーパーは、それなりに規模が大きく、どの時間帯も人の出入りが多い。入口と出口を兼ねるエントランスもそれなりの広さが確保されているが、今日のような雨の日には(自分たちとは違い、きちんと傘を持ち歩く)人々の動線が傘袋提供スペースを介することになるため、なんとなく煩雑なものとなる。確かに、こまめに床を掃除しに来るスタッフにその都度なんとなく頭を下げながら、特になにか言われたわけでもないのに勝手に申し訳なさ・居心地の悪さを感じ始めていたのは事実。だからといって、雨でさらに下がった気温のなか服が乾きかけるほど・額に汗するほど急いで来てくれるほどのことではない。のに

「ただ、咄嗟に飛び出してきたから傘は忘れた。おれはどうせ濡れてるから走るわ」

ほれ、と差してきた傘を寄越しながら卓は、ココの両肩からマルシェバッグを引き取り、フードを目深に被る。卓が差してきたのはメンズの、すなわち卓の傘。差さずに済むならそれに越したことはないし基本的には今日のような飽くなき挑戦を今後も続けていく方針なのだが、差さざるを得ない状況に置かれたのならば潔く差す、ただしその場合は絶対に濡れたくないというポリシーのもと厳選して購入された、風が強い日にココが差したらもろとも飛ばされてしまいそうな、親骨長めの大きな傘だ。少しずつ勢いは和らいできたものの、未だ細かい雨は降り続く。その中をこちらを振り返ることもなく小走りで駆け出した卓のとなりにココも走り、傘を差しかけながら卓の腕を取った

「……濡れるだろ。いいって」
「いいの!」
「なんでだよ……せっかく持ってきたのに」
「くっついて帰るほうが、いい」
「…………」

ココがぐっと腕を組む力を強めると、卓は呆れたような顔をした。溜息をつきながら組んだ腕をそっと解き、それぞれの手に持っていたバッグを左手にまとめて持ち替える。ならばひとつは引き受けようと伸ばしたココの手を避け「傘、持って」とだけ返し、空いた右手をそのままココの肩に回す。ほんのりとココの服も湿ってくるのが感じ取れたが、わざわざ迎えに呼びつけておいてこの言い種はどうかと思うのだが───今となってはもう、どうでもよくなっていた。卓が首を反り定位置に戻したフードをココが軽く整え、ふたりは歩き出す

「……帰ったら風呂入ろ。お湯の温度2度くらい上げて」
「りょーかい」

傘を打つ雨は軽やかなリズムを刻み続ける