夢で逢えたら 05 併存
正規ルートから寄り道した分を取り戻すべく、いつもよりスピードを上げて進む雲からジョルジュは後ろを振り返る。いまごろ鈴世は久しぶりの再会を果たしただろうか
別れ際、重苦しくなった空気を軽妙な語り口で流したつもりだったが、鈴世が悩む気持ちも理解できる。日頃は会いたい気持ちが先行し過ぎてそこまで気が回らずに過ごしているようだが、いざ会える段になり、本来の思慮深さを取り戻したところでふと気がついてしまったのだろう。───『このまま会わないほうが、もしかしたら』
あちらの世界の人々の記憶については、ただひとり、件の彼女を除いて全般的に修正されたと聞いている。そうするよう彼が、あるいは彼の姉が願い出たのかと思ったのだが、王の独断でそうしたらしい。あの王のことだから、『良かれと思って』の善意が先に立つ判断だったのだろうと思われるが、結果として、彼を追い込む一因となってもいるのがなんとも皮肉なものだ
離れていても心はひとつ。そんな相手がいることは心の支えになる。しかし同時に、彼女をひとりにしたのは自分だと思い知らされることになる。いつか帰る、その『いつか』を名言できないまま唐突にひとときだけ会いに行ったりするのは、果たして誠を尽くしていると言えるのか……。彼の心境としてはこんなところか。それでも
「……なにが正解かなんて分からんからなあ」
そんな呟きは、風とともに消えていった
砕けるかどうかは、当たってみないことには分からない。それを教えてくれたのはほんの少し前の彼だ。少なくともジョルジュの場合は会いに行くのが正解だった。願わくば彼の場合も、どうか
時は少し遡る
それは昼間、正確には昨日の午後。気もそぞろなままサリの家を訪れたときのこと。ジョルジュのぼやきを受けてサリは自分の術を───秘密の逢引にそなえてウキウキで眠っている鈴世の夢を利用することを提案したのだった
確かに、サリの力を借りれば、要らぬ懸念に怯える必要はなくなる。件の作戦が万が一にも露見すれば、新たな罰を受ける・たとえば鈴世をもう二度とあちらの世界に戻さないと断定されてしまう可能性も十分にあり得るのだ
『ほとぼりが冷めるまで』『(魔界で)しばらく過ごす』という王の言葉の一節を、裏を返しいつかは戻れるものと好意的に解釈することで、鈴世はかろうじて日々を過ごしている。そんな、唯一のよすがさえ失ってしまったらどうなるか
「……ごめん。やっぱり、いいや」
「え?」
それでも。夢を操るシナリオを用意すべく仕事部屋へ向かおうとしたサリを、ジョルジュは手を引いて止めた。もう一方の手に携えていたカップの中身を気にしながらサリは元の席に戻る。向かい合って座り落ち着いてもなお、引き止めた手を当たり前のように握ったまま、ジョルジュは深い溜息をつく
「元はといえばおれが軽率な……手伝いとか言いながらリストが見えるような真似させちまってたのが、そもそも問題だったからさ。一度いいって言っちまった以上、あいつに嘘はつけないよ」
「………」
「それに……。あの子に関することで、偽りの記憶を作るってのは……ふたりの関係っていうか、気持ち? そういうのを穢すようで、ちょっと……」
そこまで言って、ジョルジュははっとした。直前の提案を経たうえでこの言い草は、あんまりではないか
静かにこちらを見つめるサリの目に怒りの色は浮かんでいないが、そういう問題ではない。ジョルジュは土下座する勢いで頭を下げた
「ごめん!」
「え?」
「い、いまのは言葉を盛大に間違えた! サリの術がどうとか言いたいわけじゃないんだ、けど! もし気に障ったなら……ホントにごめん!」
「あの……それくらいは分かるから。大丈夫」
サリは笑いながら、自分に向けられたジョルジュの頭頂部を軽くつついた。恐る恐るジョルジュが顔を上げると、代わってサリが身を伏せる。直前まで繋いでいた・頭を下げる瞬間に離した手をなぜか引き寄せられ、テーブル越しに再び伸ばす形になった手の甲に顎を乗せられた。枕代わりということらしい
「そうなのよね。こっちから言い出しておいて何だけど……あっさり『よろしく』とか言われたら、ちょっと幻滅しちゃうところだったわ」
「えっ……」
「いたいけな少年の気持ちをこねくり回すのはよくないと思う」
「…………。もしかして、試された!? えっ、怖っ!」
「確認よ、確認」
そういうと試験官はごろりと顔を反転させ横向きになった。いたいけな大人の心情を試すのはいいのか。そうごちてみたいところだが、猫のように擦り寄せられる頬の質感がなんとも心地良かったのでやめておいた。伸ばしっぱなしで適当に波打つ自分の髪とは違い、きちんと手入れされているのであろう艷やかな髪が襟首で揺れるのを、ジョルジュはしばらくぼんやりと眺めた
「記憶を操作する……ていうか、王があの子の……あの子だけの記憶を消さないでおいたってのは、どうなのかね」
「どう、って?」
「王ってさ、人間の生態に詳しかったっけ?」
「生態って……」
言い方悪くない? とサリは肩をすくめた
ジョルジュとしては、王が彼女の記憶を消さなかったことはすなわち、『いつか』鈴世たちをあちらの世界に帰すことのしるしに他ならないと思っている。では、その『いつか』とはいつなのか。あちらの人々───人間の死というものに日々立ち会っている職業柄、気になるところではある
人間の寿命は短い。そして、寿命以前の問題として、人間というものは意外とあっさり死ぬ。実際、ジョルジュが彼女との間に面識があるのも、本来病で死ぬはずだった彼女の運命を、裏技にもほどがある手法で無理矢理捻じ曲げたのが最初のきっかけだ。当時の彼女は、そして鈴世も、いまよりまだまだ子供だった
そういった、魔界人より遥かに貧弱な生態が『いつか』の勘定に果たして含まれているのか
「……ほとぼりなんて結局のところ、他の人間たちの記憶をいじった時点で冷めてるんだし、さっさと帰してやればいいのに」
気がつくと、そんな言葉が口をついて出ていた。ジョルジュの顔をサリがちらりと見たのは、一筋取った髪を弄っている指先が気になったからというわけではない。批判というほどではないにしても、いつもの、王という立場に就く前からよく知る王のことを半ば呆れながら評する口調とは明らかに違っていたからだ
「それはそうね。何をするにもいちばん楽しいお年頃だしね」
「だろ? さっさと帰さないんだったら、せめて彼女の記憶もいったん消して、鈴世が気を揉まないようにしてやるとかさ……どうせ帰るときにはまたいろいろ補正するんだから」
「彼女さんの記憶を消しちゃったらそれこそ、鈴世くん以外の恋人を見つけちゃうかもしれないでしょ。楽しいお年頃なんだから」
「うっ。……そ、それはそれでイヤか……。でも、なあ……」
「それこそ、ふたりの気持ちを穢すようでいやだったんじゃないの」
「…………」
ぐうの音も出ないとは、まさにこのこと
がっくりとうなだれたジョルジュの手に頬を預けたまま答えていたサリは、むくりと起き上がる。苦笑しつつ、王様を庇いたいわけじゃないけどね、としっかりと前置きしながら続けた
「少なくとも、わたしが鈴世くんの彼女さんの立場だったら、絶対忘れたくないわね。あてもなく待つのは辛いだろうけど」
「……そう、かな」
「かな、じゃなくてそうよ。それに、人間たちの記憶を修正すると言ったって……言うだけなら簡単だけど、いまの時点で案外手間取っているのかも。鈴世くんたちだけじゃなくて、蘭世や俊くんのお知り合い、そのまた顔見知りのひととか……油断したらどんな綻びが出てくるか分からないし」
「…………」
「鈴世くんには、もうちょっとだけがんばってもらうしかないんじゃない? ……彼女さんにも」
「う~~~ん、そうか~~~……」
そうであるならば。いよいよ今夜はぬかりなく決行しきらなければなるまい
日付が変わると同時にと決めた出発にそなえて眠るべく、自室に向かっていった鈴世の表情が脳裏をよぎる。いそいそ、にこにこと、当然のことながらいつになくはしゃいでいた。常日頃、大人びた立ち居振舞いをしているから忘れていたが、たぶんあれが年相応というものだろう。逆にいえば、いままでどれだけ堪えていたのか
「……13、4やそこいらで、ここまで相手ひとすじになれるもんなのかね……運命の相手って、こういうことなのかなって思うよ。あいつのこと見てると……」
「13、4の子だからじゃないの。へたに大人になると、そういう純粋さは忘れて余計な気をまわすことばかり考えちゃって、一歩踏み出すことすらできなくなる、し……」
「…………」
「…………」
「…………。ええと……はい、そうでした……」
「あ、うん……それはわたしもなので……」
本日何度めかの自爆発言にしばらくふたりそろって撃沈し───どちらからともなく吹き出す。真理を突きすぎるのも考えものだ。いまでこそ長年連れ添った熟年夫婦のような空気を醸し出しているが、ほんの少し前まで互いに余計な気ばかり空回しし合っていたというのに
あのとき背中を押してもらったぶん、いつか、然るべきどこかでは絶対に彼の背中を押さなければ
そんな決意に同意するように、サリはテーブル上のジョルジュの手にそっと手を添えた
「さて、どうしましょうか。まだ時間あるでしょう? あっ、それともなにか特別な準備があったりする?」
それはそれとして、ともかくお茶を淹れ直そうと腰を浮かせかけながらのサリの問いかけに、ジョルジュは言葉少なに答えた
「いや、準備はしてきたし……お茶もいいや。ありがとう」
「そう?」
「うん」
滞在時間から見て十分飲んでいたような気がするので、お茶は本当に不要だとして。準備をしてきたというわりに、ジョルジュがなんだかそわそわと落ち着かない様相でいるのが気になった
先刻、彼の手に軽く添えた手のうえに、さらにもう一方の手を重ねられた。そんな、手で手を挟み込まれた状態になってしばらく経つ。そろそろこちらの空いている手もそのうえに重ねるべきか、あるいは挟まれている手を素早く引き抜いてみるべきかと案じ始めたところで、彼はちらりと仕事部屋のほうを見やった
「……仕事、立て込んでないか?」
「ううん、きわめて順調」
「そう」
「??」
サリはいつも昼間に仕事の八割・シナリオ制作を集中させている
そのことは少なくともジョルジュに対して明言したことはないが、たぶん理由も含めバレているのだろう。日頃彼がこの家に立ち寄るのは、仕事の帰りがけ、ごくたまに行きがけ。たいてい夜の遅い時間帯だ。だからこそまだ日が高いいまは、こちらの状況が気がかりなのかもしれない
今日の彼の仕事には同行者がいる。すなわち、このあと彼がこの家に再訪することはない。その分、たまには夜に仕事を充てるのもいい。いずれにしても彼がここにいる間にわざわざ仕事をする気はないし、いくらでも調整は利く。つまるところいつ問われても答えは『順調』となるのだが、それを聞いた彼はずいぶんほっとしたように見えた。この時間帯の来訪が迷惑だなどと思っていないし、そんな顔をしたつもりもなかったのだが
「その……よければ、ちょっとくっついてたいんですけど」
「…………? どうぞ?」
なぜ敬語。なぜ確認。となりの椅子は常に空いているのだから、いつでも座ればいいのに。そう胸のうちで突っ込みながら答えると、寝室の方向にジョルジュは目をやった
「ええと、できれば向こうの部屋で」
なるほど、くっつくというのは、そういう……
「うわあ……」
「うわあ、って」
「だって……なんで今日にかぎって確認するの」
「…………。真っ昼間だし、いろいろどうかなと思って」
「だとしても普通に『寝室』って言えばいいでしょ。逆になんかちょっと……」
「そこまで気にしてる余裕がないのよ」
「あらら」
時間的に、という意味ではない。それでもなにかに急かされたようにジョルジュは席を立つ。つかつかとサリの席の傍らにやってきて床に座り込み、ただならぬ圧にとらわれ動けずにいるサリの腿に顔を伏せた。椅子ごと腰に腕が回り、物理的にも動けなくなる。それは肉欲に任せ抱きしめられているというよりもむしろ、何かにおびえた子供に抱きつかれているような感覚だった。深いため息を落とすその表情は伏せられたまま、伺うことはできない
「……情けないけど」
「え?」
「ビビってんのかもなあ。もし今夜誰かに見つかって、おれだけ人間界に追放とか沙汰がおりたとしたら……」
「あ──……」
「耐えられないかもしれん。あいつと違って、おれはダメな大人だから」
「…………」
それを言い出したら、この部屋にはダメな大人しかいない
あやすようにジョルジュの髪を撫でてみる。いつもその髪が描いているたっぷり溶々とした波が、心なしか萎れているような気がするのが不謹慎ながら面白い。しばらく撫で続けていたらその手を取られ、唇を当てられた
ゆっくりと顔を上げる彼の目と目が合う。なにか言いたげにしているが、多少怯むことはあっても、引き止めて欲しいわけではないことくらい、わざわざ口にせずとも分かる。彼にとっては他でもない自分が、怯む原因であり安心して怯むことができる場所でもあるということは、言いようもなく心を揺さぶる
「気をつけて、帰ってきてね」
「……うん」
「まあ、いざとなったら夢で王様の記憶を消すなりこねくり回すなり……」
「だから怖いって。そんな過激派だったっけ?」
「そんなの、……なにが懸かってるかによるでしょ」
「…………。確かに……」
そんな危ないことしないでと引き留めたい、けれど、誰かのために動く彼だから好きになった。だから引き留めたくない。わたしは大丈夫。そう伝えたいからこそ、こんなときに泣きたくなかったのに
おちゃらけて押し流そうとした不安は大きすぎた。いつの間にかサリの目元に浮かんでいた涙を、苦笑しながらジョルジュは指先で掬う。重ね合わせた唇からもれる息が次第に熱を帯びていき、黒いマントにサリの細い指がしがみつくように絡む。昼でも夜でも互いを求める濃度は変わらない。愛おしさと同じぶんだけ上擦る心を抑えつつ、ジョルジュはサリを静かに抱き上げ、その場を後にした
→ おまけ
→ 6