A Whole New World

 ふたりは死神の家への行路を辿っている

 この世のすべてを手に入れようとする冥王の手は、人間界にまで及んでいた。遠い異国の地では、いまこの瞬間にも傍若無人な破壊活動が繰り広げられている。それを阻止すべく、且つ、その場に向かう移動手段として、死神ジョルジュの力を借りる算段となったのだった

 彼の家に何度か行ったことがあるという蘭世の道案内に従い、俊はおとなしく隣を歩いた
 彼女の足取りは、魔界の薄暗い細道にも関わらず、江藤家のリビングを出たときの軽快なペースのまま変わらず進む。一方で、会話の流れがふと途切れたタイミングに、意味ありげな視線をちらりとよこすのがずっと気になっていた。特に追及しないままでいたが、目の前の角を曲がれば目的地はすぐそこという場所に差し掛かったところで、ようやく彼女は切り出してきた

「……実はね。黙ってたら『おまえは留守番』って言われるかもってドキドキして……だから、わたしから言っちゃったの」
「なにを」
「『行ってきます』って……」
「ああ……」

 繋いだまま歩いていた手を軽く持ち上げると、薄闇のなか、指輪がほんのりと光った。その指輪は、彼女の薬指で誇らしげにしているようにすら見えた

「こいつに力を与えたのはおまえだし……。ていうかそれ以前に、言っても来るだろ」
「うん!」

 はつらつとした即答っぷりに、じゃあなんで訊いた? と返してやりたいところだが……過去にいちど前例があるので致し方ないだろう。もっともあのときも、結果的には最前線に登場することになったのではなかったか。当時の彼女の意思はさておくとしても

「……そうだな。ちょっと前なら、来るなって言ってただろうな。お互いに魔界人のままだったら……」
「!?」

 そう言った瞬間、彼女の表情が固まった。『お互いに』とわざわざ強調したつもりだったのだが、うまく伝わらなかったらしい。青ざめた頬に指先で触れてやると、見た目どおり、ひどく冷たく感じられた

「変な意味じゃないから、そんな顔すんな」
「でも……だって……」
「おまえがどうこうじゃない。おれが……魔界人の能力に頼り過ぎてたって話」
「そ、そうなの……?」
「うん」

 行きがかり上、『やるだけやってみる』そう宣言した彼女に先導される形となっているものの、そう口にするスピードが俊よりも彼女のほうが一瞬早かっだけの話で、俊としてもその思いは変わらない。あくまで、ふたりの意思だ
 とはいえ、自分はともかく彼女を危険な目に遭わせたくないという気持ちも確実にあり──あるものの。少なくとも今回は、彼女をひとりどこかに残してくるという選択肢は端から存在しなかった

 いまよりほんの少し前、ふたりが魔界人であったころ。俊は、戦いの最前線に出向くのは自分だけでいい・彼女は安全な場所に隠しておけばいいと思っていた
 仮にその隠し場所に魔の手が及ぶことがあっても、自分は移動・攻撃ともにそれなりの能力を備えている。彼女もある程度──時間を稼ぐ程度なら自衛できる。すなわち、互いに離れた場所にいたとしても彼女を守り切れる。だからひとり残していくこともできた。魔界人としての能力に頼り過ぎていたと言ったのはそういうことだ

 彼女が唯一、指輪に命を吹き込む存在であること それは共に行く理由のひとつではあるが、それだけではない。また、安全な場所などとっくになくなったという現実的な問題もある
 しかし、それ以前に、いまはひとりにしたくないし、なりたくない。残していきたくないし残されたくない。いつも、いつでも、最後の瞬間まで、そばにいてほしい

「…………」
「えっ」

 死神族の集落に差し掛かったばかりのその地はしんと静まり返り、ふたり以外の気配はない。それでも改めてあたりを見回したあと、俊は彼女の手をぐいと引く。よろけながら、こんなにも簡単に腕の中に収まってしまう細い身体なのに、彼女は強い。そしてその強さは、俊をも強く奮い立たせると同時に、どうしようもないほどの弱さも引き出す

 自分が戦うことは怖くない。けれど彼女には、ひとすじの傷も負ってほしくはないし、失うなんてことになったら耐えられない。そして、ただの人間となったいま、失う可能性は格段に上がっている

 気を抜いたら心の均衡が崩れていきそうなのを、彼女をかき抱くことで持ちこたえる。苦しげに息をつくのも構わずさらにきつく抱きすくめると、所在なさげにしていた手が、静かに背に回された。やさしく、さするように撫でる手のひらのぬくもりが、じわりと体中に染みいってくる気がした

「ひとつだけ、約束してほしい」
「するけど……なあに?」
「おれの盾になるとか身代わりとか……こないだみたいなのだけは絶対にやめてくれ」
「え!? で、でもあれは……。とっさに体が前に出ちゃって……」
「分かってる。分かったうえで言ってる」

 慌てて顔を上げた彼女の額に、俊は唇を落とす。目隠しの意図はなかったが、結果としてそうなった。この際だから、思うところは包み隠さず全部言う。そう決意したものの、正面切って目と目を合わせて伝えるには、なかなか辛い内容に踏み込みつつある

「あのとき……おまえがゾーンにやられたとき。まあ、無事だったけど……。無事だと気づくまでの一瞬のうちに、実はいろいろ考えた」
「『いろいろ』って……?」
「『いろいろ』は、まあ、いろいろだけど……。端的に言うと『あっ、生きてく理由がなくなった』だな」
「そ、そんな極端な……」
「極端か?」
「極端……じゃ、ない……デス」
「…………」

 彼女は俊の胸に顔を押しつける。乱れた髪を梳いて整えると、耳まで煮上がったように朱に染まっているのが分かった

 彼女が他の輩と幸せになるところを正視できる自信はないが、元気でいてほしい、その姿は遠くからそっと見届けたい。あのころ俊は本気でそう思っていた。何もかもを自分からほっぽり出しておいて、勝手なものだ
 だが、目の前で彼女が銃弾に散った(ように見えた)瞬間、そんなのはただの強がりだったのだと思い知った。自分という器が、一瞬で空っぽになるのが分かった

「とにかく、もう……あんな思いはしたくない」
「で、でも! それはわたしだって同じよ! わたしだって、真壁くんがいなくなっちゃったら……!」

 たまらずといった体で彼女は訴える。想像だけで込み上げるものがあったのであろうことは、想像に難くない。顔を再びめいっぱい反り上げ、こちらをじっと見つめる目に浮かぶ涙を、俊は指先でそっと拭う

「……まあ、そう来るよな。すまん。それも分かったうえで言ってるつもりで……。おまえは、おれのお守りでもあるんだってことが言いたかった」
「お守り……?」
「ああ。おまえがまず無事でいてくれることが、おれを守ることにつながるっていうか……」
「…………」
「…………っ。その顔やめろ……柄にもないこと言ってる自覚はあるんだ……」

 涙で潤んだ目でこちらを見ていたのが、あっけにとられたように呆けたあと、信じられないものを見たとでも言いたげな表情に変わっていた。からの、悶絶
 これまでの実績を省みるまでもなく、言いたいことは分かるのだが、彼女は顔に出すぎだ。ほんのすこしばかり自重願っても、罰は当たらないような気がしなくもない。流石にいたたまれなくなり、げんなりとただ眺めていると、はたと気づいた彼女は火照った頬を冷ますようにぱたぱた仰いだ

「だ、だって! あの……真壁くんがこんなにたくさん話してくれるなんて、びっくりしちゃって……照れちゃって」
「……自分をごまかすのはおしまいだって言っただろ。まあ、そろそろ限界だけど」
「ええっ!? そんな……。もっと言って欲しいのに~」
「…………。帰ってからな」
「ほんとにほんとね!? 絶対よ!」
「はいはい」 

 おしまいにしたと言いつつも、この期に及んで俊はひとつだけ、決定的なところを誤魔化した
 じゃあ逆はどうなのか、こちらのこともかばってくれるな などと釘を刺されてしまう前に、話題を無理やり捻じ曲げた。万が一のとっさのとき、手も足も出さずにいられるわけがない

 そして実際に盾になったところで、彼女を充分に守り切れるだけの能力は、俊の手元からすべてこぼれ落ちていってしまった
 いま頼りになるのは指輪の力だけ。その力の根源として、俊も一枚噛んではいるが、冥王が本気で仕掛けてきたらどうなるのか・匹敵しうるのかどうかは、ここにきてなお未知数のままだ。それでも『やるだけやってみる』そう決めた

「とりあえず、行くか」
「うん!」

 もう一度だけ、抱きしめ合って。そしてふたりは再び歩き出す
 この世界を救う勇者になるためではない。救った世界をふたりで生きていくために