和氏之璧 -完璧超人と野球少年の話- (2)

 世間的に今日は休日だが、野球少年の朝はむしろ平日よりも早い

 その日は卓の所属するチームの朝練の日だった。卓は、昨日訪問した江藤家から、自宅へ戻ることなくこのグラウンドへ直行していた
 ほんの少し、眠い。昨夜、遅くまで話し込んでしまったせいだろう、多分。「多分」というのは、入眠した正確な時刻が分からないからだ
 気がついたら、朝だった。自力で布団に入った記憶はないのだが、しっかり客間の布団に横たわっていた。これまた「多分」鈴世が運んでくれたのだろうと思う。突然、かつ、アポなしの訪問にも関わらず、嫌な顔ひとつせず対応してくれたというのに、なんだか悪いことをしてしまった

 今日の練習メニューは、バッティングの強化。いまはひとりずつ打席に呼ばれるのを待っているところだった
 順当にいけば、あとふたりで卓の順番が回ってくる。ピッチャーの投げる球を横目で見ながら、眠気覚ましも兼ねて、いつも以上に気合を入れてバットを素振りする。次第に「飛ばす」イメージが仕上がってきた。あの日のような余計な茶々を入れられずとも、いまなら余裕でセンター越えを狙えそうな気がする






 その、ふざけた形のメガネを通すと、相手の将来の予想図が見えるのだという。あくまでも顔の造形のみ、だが

 それを片手にこちらをじっと覗いた彼女は、第一候補がどうとか浮かれていた。そんな表面上の事象のみを挙げれば聞こえがいいが、結局のところそれはこういうことだ。──いまの自分は候補ですらない戦力外。じゃあ、メガネを通して、自分を通して、彼女はいったい誰の姿を見たのか

 子供だから何も知らない・覚えていないと思っているのなら大間違いだ

 そのひとは、彼女が生まれる前からつきあっていたひととすこし前に結婚した。これ以上なくはっきりとふられたというのに、いつまで引きずってんだと言いたくなる。けれど、引きずってしまうほど魅力的な相手なのだと、身をもって知っている
 頭がいい、足が速い、ゲームもうまい。父とはまた違った魅力をもつ、物腰柔らかなミスター・パーフェクト。顔しか似ていない自分に執着するほど、顔が似てればあとはどうでもいいと思ってしまうほど、好きになる・好きでい続けてしまう気持ちが分かる。分かるからこそ、つらい

 好きだといいながらも、要求を拒んだ途端に豹変する──昨今くらったもらい事故の一連の流れは、見ないようにしていたコンプレックスを引っ張り出すのに充分すぎる燃料だった
 所詮、顔しか見ていないのだ。そうでなければ、自分がこれだけ打ち込んでいる野球を制限するようなことを言うはずがない。百歩譲って言ったとしても、こちらが拒否した瞬間にブチ切れるのではなく、歩み寄りの手段を模索するはずではないか。そんな姿勢を見せてくれれば、顔以外の自分すべてを見てくれていれば。もしかしたら、少しずつ関係を深めていく未来もあったかもしれないのに。同じく顔しか見ていない彼女のことなど、忘れて






 考え込んでいるうちに、卓の順番が回ってきた。ぷるぷると首を振って邪念を払い、バッターボックスに入る前に一礼。白線をじっと見つめると、心の中で水を打ったように、気持ちがすっと切り替わる
 打撃練習とはいえ、ピッチャーの球速は、試合の時と変わりない。一球目はほんの少しタイミングがずれてファウルとなったが、二球目は、これ以上ないタイミングを捉えた

 振り抜いたバットに軽やかな金属音を残し、白いボールは空へと吸い込まれていく
 その軌道はしっかりと目で追うことができるのに、本当に見たいものは、いつだって見えない