月光の聖者達 ~Mr.Moonlight~ 03

 その家には過去に何度か訪問したことがある

 相変わらず異質な空間だな、と俊は思う。そこには、何かの液体に浸けられた何かの標本やら古びた本やらが、棚の全段に所狭しとひしめき合って並んでいる。それらを背に、もっとも古びた……いや、威厳に満ちたこの家の家主は、こちらの状況報告を苦々しい顔で聞いたあと、深々とため息をついた

「いつもどおりで様子見 と言っておいたのに」
「すみません……万が一にも、真壁くんに危害を加えるようなことになっちゃったらと思いまして……」

 まるで、叱られるのが分かっていたかのような雰囲気で、俊のとなりに腰かけた彼女はしょんぼりと肩を落とす。その様子から察するに、これまでの自主隔離は、何の根拠もない、文字通り自主的な行動だったらしい。容態がなんとなく落ち着いたからとはいえ、やたらと謝ってきていたのは、そういうわけだ

 だとしても、こちらの身を案じたうえでの行動なのだから、そこまで彼女に恐縮させるのも気まずいものがある。立場的にひとこと添えるべきかと俊が身を乗り出したところで、メヴィウスは「危害ねえ……」と、小声でぼやくように呟いた。そして続ける

「なにやら勘違いしているようじゃが……。吸血鬼が血を吸った相手が、皆もれなく吸血鬼となるわけではないぞ」
「えっ」
「もしそうだとしたら、巷は吸血鬼だらけになっとるじゃろ。もっとも、望里殿は吸血自体ずいぶん休んでおるようじゃが……というか、よく生きておるな……」

 その言いようからすると、吸血鬼は吸血鬼の血を吸うことはあり得ないということらしい。俊としては、吸血鬼同士がお互いに吸い合えば、いわゆる永久機関的にいろいろうまく行くのではないかと勝手に思っていたのだが……そもそも血を必要としない吸血鬼もいるということだし(?)、分かっているようで何ひとつ分かっていなかった

 そして本題だ。「吸血鬼が血を吸ったからといって、相手が必ずしも吸血鬼になるわけではない」──それは俊にとってちょっとした衝撃だった。そして衝撃だったのは、となりに座る彼女にとっても同様だったらしい(だからこそ自主隔離を選択するに至ったわけだが)

「……まあ、もう少し……ひととおり説明するかの」
「お願いします」

 彼女の反応に、メヴィウスはいろいろ察したのだろう。じっとこちらを見据えていた視線の強さが、ほんの少し和らいだように俊には思えた

「まず。吸血鬼が血を吸う目的は、血そのものではなく、あくまで、血に含まれる生気なのじゃ」
「生気……」
「ちなみに生気は血以外にも含まれる。だから、吸うにしても本当は、血でなくてもよいのじゃが……割合的に、血が一番効率的なのじゃ。血は生命の源というじゃろう?」

 「血は生命の源」聞いたことがあるようなないような
 曖昧にうなずく俊のとなりで、彼女は真剣な面差しでメヴィウスの言葉に聞き入っていた

「……で。誰かを吸血鬼にするためには、血を吸うのではなく、むしろ自分の血を与える必要がある」
「えっ」
「正確には血ではなく、生気同様、血の中に多く含まれる成分……各々、エキスと呼んだりパワーと呼んだりしておるのじゃが……とにかくそれを注入してやることで、相手は吸血鬼へと変容する」
「注入……」
「魔物相手ならともかく、人間を吸血鬼に変えるなど、造作もないことじゃ。与えるエキスも、ほんのすこしで済む。だから皆、血を吸うのと同時に、注入も済ませておるのじゃな。……下手に血を与えてしまうと、変容の速度なり何なりに、人間の体が耐えられないと聞いたこともあるがの」
「…………」

 神妙な表情のまま続けられたその説明に、彼女はとなりで目を丸くしているが、たぶん俊自身も、似たような顔をしてしまっているに違いない
 まさかの逆流方式だった。吸うのではなく与える。『なる』のではなく、『する』。なるほど、そんな吸血鬼族の原理原則を知らなかった彼女が、俊のことを吸血鬼に変えるなど、不可能なことなのかもしれない

 しかしメヴィウスは、『彼女が相手を吸血鬼にする方法を知らない』という事実を、彼女が最初に相談しに来た時点では知らなかったらしい
 だとすると、『いつもどおり(の様子見)』とだけ伝えてきたことへの説明がつかないのではないか

 そんな俊の疑問はすっかりお見通しのようで、メヴィウスは俊と目が合うとゆっくり頷き、さらに続けた

「それを踏まえたうえで、じゃが……。仮に、蘭世殿が俊殿を吸血鬼にしようと試みてみたところで、俊殿が吸血鬼となることはあり得んよ」
「それは……あの、わたしが吸血鬼として未熟だからってことですか」
「断言できてしまうのか。いまは無理だとしても、将来的には?」
「うむ。言いたいことはわかるが、の」

 そこまで言うと、メヴィウスはなぜか彼女ではなく俊の方に向き直った

「蘭世殿の能力の問題ではない。それだけ俊殿の──王族の能力が強大なのじゃ。より正確に言うと、内に秘める生命力が、桁違いでの」
「え?」
「そ……そうなんですか」

 と、彼女はメヴィウスに問いかける体をとりながら、視線をこちらに寄越してきた。しかしそれは、俊の方が知りたいところだった
 能力はともかく、生命力など、意識したことすらない

「俊殿は俊殿で、ご自身のことを分かってらっしゃらぬようじゃが……。たとえば、手を添えただけで他の者の傷を治せるじゃろ? そんなもの、人に与えてもなおお釣りがくるほどの生命力を持ち合わせていないと、どだい無理な話じゃ」
「……なるほど」
「長年、わしはこの世界での大魔女として崇められておるが……わしの魔法なんぞ、王族の身に宿る真の力に比べたら、曲芸のようなもの。礎となるものが根本的に違う」

 他者の傷を治癒する術の根源は、能力ではなく生命力。厳密にいうと、治すのではなく治す力を相手に与えている。メヴィウスの説明は、俊の心にすとんと落ちた
 そしてその有り余るほどの生命力は、自分自身のアイデンティティを守る意味でも頑強だという

 現世に至るまで、王族は、数多の種族と縁を結んできた。しかし、どんな強大な能力を誇る種族と交わろうとも、その子供が、交わった相手に取り込まれた形──特定の種族に変容して生を受けたことは、ただの一度もなかったのだ(取り込んだ=受け継いだ能力に得手・不得手はあるにしても)

「王族は、王族。それ以外の何者でもないのじゃ。いつの日も」
「…………」

 メヴィウスにここまで言わしめる「王族」。しかし、俊としては、少なくとも自分に対しては、そんな畏怖にも似た念を向けられるのは困る というのが正直なところだ
 魔界人として、王族として生まれ(生まれ変わり)、先祖からの恩恵をただ受け継いだだけ。自然と身についていた術を深く考えずに使っていただけ。現に今だって、自分が吸血鬼になることはないという特権をどう活かし、どう彼女をサポートしていくか、それしか考えていない

 そしてそんな軽薄な胸算用は、次の瞬間、こっぱみじんに打ち砕かれる

「ただ……その生命力が蘭世殿に影響を及ぼしている可能性が、まったくないとは言い切れない」
「え?」
「ことにお二方、枕を交わしたことは?」
「……は?」

 どさくさに紛れてなにを問われているのか
 俊はかろうじて動揺を抑えた(つもりだ)が、となりで彼女は燃え上がった頬を押さえている。メヴィウスはそれを眺めつつ「……まあ、それを訊くのは野暮というものじゃな」と肩をすくめた。完全に分かっている反応だ。だったら訊くな王族への畏怖はどうした

「俊殿、そう睨まんでくだされ。こちらも無意味に詮索したわけではないのじゃ」
「…………別に」
「なら話を続けますぞ。王族との深い交わり……まあ、今さら濁すこともあるまいて……枕を交わすと、その者が持つ能力が増幅するのじゃ。皇太后さまもそうじゃった」
「増幅?」

 皇太后──俊の母・ターナ。俊の中ではいまだ「華枝」なのだが──母は王族たる父に嫁いだ身だ。もちろん王族の血筋ではない。それでも、俊と同様、治癒の術を使いこなしていると聞く
 これまで特に気にしたこともなかったが、母はもともとそういう能力の持ち主なのだと思っていた。しかし、ここまでのメヴィウスの説を併せみると、父と縁を結んだことで、王族にしか使えないような術を使いこなせるまでになったということになる

「……持っているのがひとつの能力だけなら、単にそれが伸びるだけじゃ。しかし、ふたつの能力を持ち合わせていたとしたら……」
「やっぱり、おれのせい……なのか」

 自分と関わることで、ふたつの能力が増幅して、彼女の中でのバランスが崩れた?

 「真壁くんのせいなんかじゃないわ! だって……。わたしが勝手に変なことしちゃったから! だからこんなことになってるのよ! ねっ、メヴィウスさん、そうでしょう!?」

 彼女は悲鳴混じりにそう言って、言葉に詰まった俊の手をぎゅっと握る。こんなときですらこちらを庇おうとする彼女に対して、知らなかったとはいえ自分がしていたのは、守るどころかある意味攻撃だった。愕然としながら俊は、彼女の手を握り返すことができなかった。頭の中をただひとつだけ、ぐるぐると回る。──いったい、どうすれば

「だから、それを見極めるためにわしは『いつもどおりで』『様子見』と言ったのじゃ。ただでさえ、蘭世殿は異種族間のハーフ。成長する過程でどんな不具合が起きても正直おかしくはない」
「あ……」

 俊はメヴィウスの呆れたような物言いに、失いかけていた冷静さを少しだけ取り戻す。冷えてしまっていた指先に温度が戻り、彼女の震える手をようやく握り返すと、彼女はほっとした表情に戻った
 
「そして……言い方は悪いが、そんな特殊な境遇の者が、王族とこうして懇意になるなんて、前代未聞なのじゃからな。現状を、経過を、しばらく見てみないことにはなんとも言えんからの」
「……返す言葉もございません……」

 そこまで言うとメヴィウスは、喋り疲れたからといい、茶を用意するために席を立った。それを手伝うべく立ち上がりかけた彼女を押し留めたのは、果たして誰に気を遣ってのことだったのか。俊には判断つきかねた








 この異質な空間で、茶といってもどんな代物が出てくるのかと思いきや、ごく普通の、琥珀色が美しい茶が出てきた
 静かにそれを飲み干し、再度メヴィウスは口を開いた

「わしの見立てでは、俊殿からの影響はそれなりにあると思うが、それがすなわち不調の『原因』ではないと思うておる」
「……どういうことだ」
「少なくとも、俊殿の影響……蘭世殿の能力の増幅はあると思われる。以前と比べ、身にまとうオーラが段違いじゃ」
「そ、そうなんですか? オーラ……」

 と、彼女は自分の肩から二の腕にかけてあたりをチラチラと見やった

「ただ、蘭世殿の能力バランスはきっと、それよりも前から狂っていたのじゃ。……これ以前に、狼女としての能力について自覚するほどの何かがあったかえ?」
「あっ」
「せいぜい、丸いものを見たら耳が出る程度のものだったじゃろ? それすらも、要因は能力ではなく、後づけの症状というか事故じゃ」
「!? なんで知ってるんですか、そんな昔のこと……」
「水晶玉はなんでもお見通しなのじゃ」
「サラッと怖いこと言ってる~~~!」

 こちらを見返しながら、彼女がやたら焦っているのがなんだかよくわからないが、それは後ほど追及するとして

 この家に来るまでにいろいろ思考を重ねてきたつもりが、どれだけザルだったのかと思わされる。普段の能力が吸血鬼寄りに偏っていることに疑問すら持っていなかったうえに、発端が血ということからそればかりクローズアップしていたが、確かにメヴィウスの言うとおり、彼女の、狼女としての能力は影が薄い。すなわち、バランスが悪い

「ふたつの能力を手に取り見比べるわけにもいかぬゆえ、はっきりとは言えんのじゃが……本来であれば、ふたつの能力の偏りから、もっと変調をきたしかねないところを、俊殿と日々関わることで、バランス調整されていたのではないか というのが、わしの見立てじゃ。そういう意味での影響もあると」
「…………」

────それは、つまり

「ちなみに、血を舐めたという日……その日自体は、調子がよかったじゃろう?」
「あっ、はい。トンカツ、すごくおいしかったです」
「トンカツ?」

 メヴィウスは、彼女の返事にいまいち要領を得ない顔をした。そこまでは水晶玉には映っていなかったということらしい

「ここからはわしの推測となるが……蘭世殿は、俊殿の血ではなく、生気を欲しているのだろうと思う。能力バランスを無意識ながら調整しているだけで、かなりの体力を消耗しているはずじゃからの。血そのものを求めていると思いこんでしまっていたのは、なまじ吸血鬼の能力者であるがゆえの、勘違いじゃ」
「ええ……。わたし……勘違いばかりしてるんですね……」
「まあ、それだけ心身ともに消耗していたということで、仕方あるまいよ。いずれにしても、俊殿以外の血というか生気が欲しいとは思っていないじゃろう? 俊殿と一緒にいるだけで安定してきたというのはそういうことじゃ」
「…………」

 少なくとも自分は、彼女のとなりに在り続けることを許された。心の底から安堵しつつ、俊は、さまざまな可能性を自分なりに考える。今でこそなりを潜めてはいるが、もうひとつの能力が増幅、あるいは暴走し始めたらどうなるのか、どうすべきなのか

「狼女としての能力のほうは?」

 前のめりで切り出してみたものの、メヴィウスはさほど気にかけてもいないように見えた。狼女の能力は、誰彼構わず襲いかかりたくなるような性質のものではないことと、そもそもバランスを整えるためには、狼女としての能力もある程度増幅=成長したほうが好ましいと思われるためだ。それに伴い、体調には不調をきたすかもしれないが、そのあたりの調整は俊に一任するということらしい

「今のところ兆候は見られないように思うが……もし急に発現したとしても、俊殿に関しては、噛もうが吸おうが大丈夫じゃ。他の者はひとたまりもないかもしれんがの。ちなみに、最近のうちでなにか思い当たる節があるのかえ」
「いえ……あっ、ひとつだけ。もしかしたら、匂いに敏感になっているかもしれません」
「鼻が利くようになったということかの。もし、それ以外になにか異変を感じたら、いつでも来なされ。もちろん、ふたりで」
「…………」

 先刻、自分の匂いについて言及されたことをここで初めて思い出し、もっと細やかな事象への気づきが必要なのかもしれないと志を新たにする俊を尻目に、メヴィウスの訓示は更に続いた

 曰く、結局のところ現在の不調は、特に特効的な解決策はない、成長痛のようなものであること
 原因である能力バランスの乱れは、そのうち落ち着く。それを待つしかないということ
 能力を調整し、身体が疲弊しているところで、精神の安定は必須。だからいつも、ほどよく仲良くすること

 ────「仲良く」のところで、意味ありげにこちらに向けられた視線には、気づかないふりをした