その日は桜を見に行こう
どちらが言い出したわけでもなくそれは
何ヶ月も前からふたりの間の約束ごととなっていて
久々に完全オフの俊と久々に料理の腕をふるった蘭世は
咲き誇る桜が立ち並ぶ通りを眺めていた

いわゆる「名所」に指定されているその通りの
足元を流れる川に沿った土手にはさらに一面の菜の花が咲き乱れ
この時期はどの角度を眺めても優しい色彩に溢れていて
時折吹く風の流れすらもふうわりと穏やかで

「気持ちいいね───……」

と、蘭世は伸びをする

「……そうだな」
「ね〜。ちょっと時期が早いかなと思ってたんだけど
 こないだの土日、暖かかったからかな? すごい、綺麗」

ふたりの住む地域に開花宣言が出されたのは、先週半ばで
恵まれた気候の中、一番見頃な七分咲き
名所とはいえ、平日の昼間なだけあって客足もまばらな中
ビニールシートに並んで座り、お弁当を広げる
蘭世のてのひらサイズの俵おむすびは、おかかと鮭とゆかりの三種
唐揚げに、ほうれんそうの混ぜ込まれた卵焼きに、サラダ
「花より団子」とはよく言ったもので
そんなに空腹だったというわけでもないのに次から次へと手が伸びる
味は勿論のこと、カロリー計算等もばっちり考慮してくれているという
確かな安心感がある故なのかもしれないけれど

「あ、お茶、ここに置くね」
「ん」

熱いほうじ茶を飲み下しながら、満足のためいき
美しい風景の中、こんなにゆったりとした時を過ごすのは久しぶりのことで
それは裏を返せば、ある程度の長い時間を蘭世と過ごすのも久しぶりだということ
さらりと肩にかかる髪を撫で、俊は蘭世の肩を自らのほうへ────

引き寄せようとしたその時

「あっ」

突然何かに気づいて蘭世は、俊の手をすり抜けて駆け出す

「……」

やり場のない手を、バツが悪そうにしまい憮然としている俊の表情には全く気づかず
蘭世は、その何かを拾い上げて、せかせかと戻ってくる

「真壁くん、これ……」

蘭世が手にしていたのは、一本の折れた桜の枝
酔っ払いが宴会の延長で調子に乗って落とした
時節柄、顛末はそんなところだろう

「なんとか、ならないかなぁ……」

枝と俊の顔とを交互に見ながらぽつりとつぶやく

「……くっつけるのは、おれでも流石に無理」
「……そっかぁ……」

目に見えるほどに大きく肩を落とす蘭世
お水に挿しておけば、少しは長持ちしてくれるかしら…
そんな心情が、心を読むまでもなく表情から見て取れる

「でも」

これくらいならできる、とばかりに手をかざすと
次々と蕾がほころんでいき

「わぁ……」

手の中の枝は、他の桜と同じくらいに誇らしげに花を咲かせる

「すごーい!
 真壁くん、花咲かじいさんみたいね」
「……この年で“じいさん”はどうかと思うけど……」
「もう〜……そういう意味じゃなくて! すごいなぁ、ってこと!」
「判ってるって」

にこにこと微笑みながらしばらく枝を眺めていた蘭世は
それを眺める俊に気づき、ふと我に返ったように首をすくめる

「えへへ、これじゃどっちが主役なのか判らない、ね」
「……いや、別にそれは……」
「……」
「……え」

俊の視界に最後に映ったのは、何かを思いついた表情をしたあと
急に緊張したような照れたような面持ちになって
意を決したようにひとつこくんと頷いてから
枝を握り締めた手を胸の前に添え、目を閉じて至近距離に近づいてきた蘭世の顔

いつもだったらまずあり得ない光景にうろたえながらも
俊はすっと瞳を閉じて、柔らかい唇を受け入れる
折角咲かせた花をつぶさないよう、胸元に微妙な距離を保つこと
それだけは意識しないと、と思いながらも
久しぶりの感覚は、そんな思慮すら少しずつ麻痺させていって
受け入れていた筈がいつのまにか覆い被さる格好になり
組んでいた手を解き枝を避難させ、全身を摺り寄せる
自らの背がシートにくっついた瞬間、蘭世は左手を俊の襟足に遊ばせくすりと笑う

「……なんだよ」
「……ううん……やっぱり、どっちが『してもらっている』のか
 判らないなって思って」
「…………」

───十分、『させてもらって』いますが
とは、とりあえずこの場では口にしないでおこうと思った
無言で髪を撫でてしまうあたり、自分はやはりずるいのだろうなと俊はたまに思う

「ともかく、あらためて、お誕生日、おめでとう」

そんな心の動きを知ってか知らずか
蘭世は俊の下で微笑んで、再びその瞳を閉じる