「この部屋に来るの、すっごい久しぶり───」
「……ふうん」

開陸と愛良は、かつて開陸が「新庄彬水」として暮らしていた部屋にやってきていた

生まれ変わった開陸の出生の秘密やその他の話に卒倒しかけた、新庄家の両親の承諾を得た上で
開陸が真壁家に世話になり始めてから、そろそろひと月が経とうとしている
愛良と同じ高校への編入や、水上家の父・妹に会いに行く等、四方山の所用に時間を取られ
結果としてほったらかしになっていたこの部屋を
時間もできたことだし、そろそろ整理するべきだろうと思い立ち
大きな鞄を片手に二人でやってきたというわけである

「あのとき新庄さんが読んでた雑誌だあ…。ふふ、割とミーハーだったんだね」

畳に開いて転がったままの雑誌を手に、愛良はいたずらっぽく微笑む
あれ以降、少なくともふたりの間では話題にあがることのなかったその名前を
口にした瞬間の愛良の声は、いつもより心なしか優しく響き
その瞳には、すうっと懐かしさの色が浮かんで
開陸の胸にはなぜか、ちくりと刺すような痛みが走る

「───や、知らねえし」
「うわ、冷たーい……ちょっとは記憶にあるって言ってたくせに…
 ───あ」

開陸の複雑な心境にも気付かずに愛良は何かに気付いて部屋の隅へてとてと進む
手にしたのは、部屋の隅にきちんと畳んで置いてあった洗濯物

「バイトのエプロンって、自前だったんだあ……」

と、愛良は手にしたそれを抱きしめる
愛おしむように、懐かしむように、ぎゅっと

「………」




その時の記憶を残しておくのなら、全てきっちり残しておいて欲しかった
その時の記憶を奪い去るのなら、全てきっちり奪い去って欲しかった
運命というものを否定する気はないが、たまにそう思うことがある




全てを忘れてしまっていたならば、こんな気分になることはなかった

目の前の相手の心を奪った奴がいるのだということを
今の自分よりもずっと他人事のように受け止め
目の前の相手と過ごした時間を忘れてしまったことを
それも運命だ、逆うことのできない力のせいなのだと諦めることができたに違いない

けれども、ところどころ断片的に覚えている今の自分は

たとえわずかな時間でもとりこぼしたくないほど大切な時間なのだと思っている筈なのに
ところどころ断片的に忘れてしまった自分が腹立たしく
目の前の相手の心を奪った奴が他でもない自分であるという、奇妙な感覚を
妙にリアルなものとして受け入れざるを得ず

誰に嫉妬すべきなのか判らずに
他意はなくただ無邪気に、過去の自分の姿 を愛しい存在として紡ぐ言葉を容易に受け入れることもできずに




───できることなら




「う……えっっ!? な、なになにっっ!?」
「…………」

愛良の叫びにも似た問いかけにはこたえずに
開陸は愛良を背中からぎゅっと抱きしめる
豊かに踊る髪に鼻先をうずめ、胸いっぱいその香りを吸い込む
その心と身体に染み込んだ、過去の自分の姿の記憶を吸い取ろうとでもするかのように

「いつか……」
「え?」
「『おれが』バイトしていたっていう花屋にも、行ってみたいな」
「ん───……」

今まで避けていた、過去の自分と目の前の相手との接点を
少しずつ紐解いていけば、もしかしたら

「ふふ
 お店のおじさんとおばさんに、『彬水くんの弟かい!?』とかって驚かれちゃうかもね」

もそもそと愛良はエプロンを抱いていた手を開陸の腕に添えながら
そう言ってやっぱり無邪気に笑った