「晴れたね───」
「……そうだな」

秋の長雨───ここ一週間ほど、ふたりが住むこの街を覆っていた意地悪な雨雲もすっきりと消え去り
久しぶりの秋晴れが広がった青い空
放課後、校門をくぐった瞬間に感じえた、小気味よいほどの澄み切った空気を
ぐぐっと伸びをしながら吸い込み、蘭世は感嘆の声を漏らす

ボクシング部の練習は、今日はお休み
いつもよりちょっと時間に余裕があるそんな日は、俊に届けるお弁当のおかずにも
いつもより工夫を凝らしてみよう───ただでさえそう思えるのに
今日のような晴れやかな日は、気分も高揚するのも手伝ってか
俊の好きなおかずはもちろん、初めて作る一品にも挑戦してみよう! と意気込んでしまったりして
密かに胸のうちでガッツポーズを構えてみる

てくてくと歩きながら、頭の中でさまざまなレシピをシミュレーション
冷蔵庫の中の具材を浮かべ、足りない具材を数え上げて、胸の中に必死にメモ
『お、やるじゃん』 そんなことを、食べながら思ってくれるかな? などと
食べた瞬間の俊の反応まで思い浮かべてみたりして

「………」

その隣を歩いていた俊は、無言のまま、いつもの江藤家への道のりとは違う道へと進む
(一度蘭世を家まで送り届けてから自宅へ戻りバイトへと向かうのが、俊の最近の日課となっていた)

「え? あ、の……真壁くん?」
「…………」

いつもは曲がるはずの曲がり角で立ち止まってしまった蘭世を
俊は振り返り、やはり無言のまま、じっと見る
もしかしたら、他に何か用事でもあるのかしら そう言いかけた蘭世を待っているのだという意思表示

「……??」

脳裏に浮かんだはてなマークを消せないままに蘭世は、小走りで俊の後を追った













行き着いた先は、聖ポーリア学園よりさほど遠くもないところにある、大きめの公園
春には桜、秋には紅葉の名所として名高いその場所
中心にたたえた湖の周りには、なるほど数々の樹木が立ち並び
見事な色づきには、まだまだ早いとはいえ
優しい風が走るたびに豊かな葉がさざめき、それぞれの歌を静かに歌う
日が短くなったとはいえ、未だ明るく照りつける日差しが水面に乱反射し、視界のうちに鮮やかに飛び込んできて

「う……わあ………」

思わず蘭世は、柵に手をかけ身を乗り出してしまう

春でも秋でもない、この季節だからこそ出会える景色
多くの人の目を、強く、文句なしに引きつける威力こそ少ないものの
じわじわと心の奥へ染み入るような、その空気と一体となっていつまでもたたずんでいたいような

「………」

それより一歩引いて、腕組みをしその景色と自分の後姿を眺めていた俊の頬が
仄かにほころんだことを蘭世は知らない
しばらく眺めて、ふと思い出したように蘭世はそちらを振り返り、ぱたぱたとその身を俊の元へと急がせる

「あ! ご……ごめん、ね。つい……」
「…や、いいけど。……歩くか」
「! ……うん……!」

すっと隣に並んで立ちさりげなく繋がれた手を蘭世はきゅっと握り返す

特に何かを話すわけでもなく、それぞれ好きな方向を眺めながら
その湖の周りをぐるりと囲むように造られた遊歩道を、ただひたすら歩く
こうしてふたり並んでいるときの沈黙は
初めのうちこそ、何よりも怖く思えて、他愛もないことを喋りっぱなしだったけれど
その沈黙ですらも心地よいものだと思えるようになった

そこにふたり並んで在り続けるということ そこに確かに存在する、幸せの欠片
特に頑張ってみたり気を張ってみたり何かを犠牲にしたりしなくても
それを静かに得続けることのできる喜びを、間違いなく俊もまた感じ取っているのだと確信できたから






───あ……

ふと目の前を見ると、向こうから歩いてくる親子連れ
一人の女性とよちよち歩きの子供が、親と思しきその女性の隣を、ぴこぴこサンダルを鳴らしながら歩いてくる
うまく整備はされているが、所によっては細めの作りのこの遊歩道は
四人が並んだまますれ違うには、物理的に少し無理があり

「………」

すい、と俊が歩調を速め、蘭世と縦一列に並ぶ
それに気づいた女性がぺこりと頭を下げ、子供がひらひらと手を振りぴこぴこ歩いていくのを見送りながら
蘭世は空いた手を振り返す
もう一方の手は、ふたりの間の定位置でずっと繋がれたまま
不自然に後ろへと───自分の手の方へと───伸ばされた俊の腕とその背中を眺めながら
なんだか、こそばゆいような、けどやっぱり嬉しいような、複雑な感覚がこみ上げてきて
思わず蘭世は吹き出してしまう

「───ん?」
「!!」
「……なんか今、笑ってなかったか?」
「う……ううん! 別に、何か可笑しかったってわけじゃなくて…
 この辺に、こんな素敵なところがあったんだな───…って、思って……」
「……え」

知らなかったのか? そんな表情を浮かべ振り向いた俊に、蘭世はちょっぴり赤面しながら答える
口からでまかせではなく、そう思ってもいたというのは本当のこと

「うん…。学校に行くようになって、ようやく自由に外を出歩けるようになって」
「ああ………」

そういえば
目の前の相手は、自分と違い、生まれたその瞬間から魔界人として存在し
この世界で生活してきたとはいえ、幼少時にはほとんど家から出たことがなく
自分と出逢ったあの中学校へ、編入という形で通うようになったそれ以前は
自宅で、全て独学で勉強をしていた───そんな話を何かの拍子で聞いたことを思い出す

「うわあ、嬉しいな、いろんなとこに行こう! って歩き回る前に、その……」
「…………」

そこまで言って蘭世は言葉に詰まる
改めて言葉にしなくても、ふたりの胸に浮かぶのは
同じ痛みと哀しみと苦しみと───それでもふたり離れることができなかった同じ想い

「……エヘヘ。だから、このあたりの名所に詳しい真壁くん
 これからも、いろんなところに連れて行ってね」
「………」
「………あ」

二つ抱えていた鞄をベンチに置いて
空いたその手で俊は蘭世の肩を抱き寄せる
少し屈んで額をすり合わせて
出くわしたのが先刻の親子連れくらいで、人けが少なめだとはいえ
そういったことを他人の目があるところでするのが極端に苦手な彼は
ためらいがちに、でも堪えきれずにゆっくりとその唇を重ねる
もう一方の手は、ふたりの間の定位置でずっと繋がれたまま




ひゅるりと風が流れる音を、そのままの姿勢で聴いて
ようやくふたりはその唇を分かつ
名残惜しく、蘭世の白い耳元に鼻先をうずめた俊は
すこしずつその高さを落とすにつれ、すこしずつ赤く染まる陽の光に照らされながら
おもむろに口を開く

「……今夜のおかずは、新しいもんに挑戦してくれなくてもいいからな」
「……やだ、もう……」

苦笑しながら蘭世は、繋いだままの手を強く握り返す








果てなく続く長い道も曲がりくねった道も細くて足元が危うい道も
差し出す手 それを握り返す手
この手があればずっと歩いていける


───歩いていこう