ふたり、この部屋でひっそりと暮らし始めてから
そろそろ半年が過ぎようとしていた
その、いわゆる育ちの良さ故に、はじめは家事全般の何ひとつ身につけていなかったココも
手取り足取り、伯母であり将来の母でもある人からの指導を受け
少しずつではあるが着実に進歩を遂げて

「───ふう」

ガスコンロの火を弱め鍋の蓋をぱくんと閉め
ココは、額にうっすらと浮かんだ汗を拭う

他の作業に比べて一番上達の早かった、食事の支度
まだまだ師匠の腕には、遠く及ばないながらも
我ながらこれってなかなかじゃない? と思えるような品が作れるようになってきた
そろそろ夜が寒く冷え込む時期になってきたから
今夜のメニューは、心まで温めてくれるようなあつあつのビーフシチュー

すべての行程をほぼ終えて、あとはじっくり煮込むだけ
とろとろ気長に鍋の中身をコンロの火に任せるその間
ぼうっと立っていても仕方がないから
ココは手を洗い、ふたつの湯飲みにお茶を淹れて茶の間へと戻る








「卓、お茶入ったわよ」
「───ん、サンキュ」

一応お礼は言うものの、実はうわの空
スポーツの試合中継を観ているときは大概こんな感じだから、もう慣れた
サッカーの試合を観ているときはテレビに向かってわいわい騒いでいるのに対し
野球の試合を観ているときはなぜか黙ったまま、なにかを分析するかのようにじっと画面に張りついていて

「……………」

そういえば、とココは思う
画面の中で気持ちよくスイングする選手のフォームと似たようなフォームを
過去の自分は目で追ったことがある

「ねえ、卓」
「───うん?」
「卓も……ちっちゃい頃は、サッカーじゃなくて、野球やってたわよね
どうしてサッカーに変えたの?」
「……別に……」

一瞬、ちらりとココを振り返りながらも卓は
変わらず心ここにあらずな返事をよこす
そんな態度をされては、こちらも、追及の手を緩められる筈はなく

「『別に』ってことないでしょ? だってあんなに一生懸命やってたんだし」
「…………」
「…………」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ」

まさに、苦虫を噛みつぶしたような顔をして、ココの淹れてきたお茶をずずっとすすり
(別に、そんなに濃く淹れた覚えはない)
がしがしと頭をかきむしり卓はぼそりとつぶやく

「………髪を」
「え?」
「 髪を、切りたくなかったから」
「…………は?」



───確かに

今、観ているプロの選手はさておき
卓がサッカーへと転向した時期───高校生───の選手は
みな、くりくりの坊主頭

───とは、いえ………






「な…なに、それっ! そんな理由!?」

くっだらない! そんな率直な感想が喉元までこみ上げる
そんなココへ向けていた視線を、卓は再びふいっとテレビに戻して
ひときわ小さな声で呟く

「………人に髪伸ばせって言っときながら、俺が坊主頭にするわけにいかねえだろ」
「!!」

思わずココは肩でうねる髪に手をやる

あの日からずっと伸ばしたこの髪は、ほわほわと
他の誰でもなくその人だけに触れられるのを待ち望んでいて


「ふふ」
「………なんだよ」
「なんでもない……」
「………っっ」

つつつ…とココは、仏頂面になってしまった卓のとなりへと進み
その肩にぺったりと寄りかかって、身を任せる
耳まで真っ赤になってしまった卓は、口の中でぶつぶつもごもごとひとしきりうめいた後で
静かにその手を伸ばし、ココの、豊かに波打つ髪をゆっくりと撫でる

顔を合わせれば意地を張りあい喧嘩腰だったふたりが
こんな風に素直にお互いの気持ちを共有できるようになったのは、大きな進歩
もっともっと、色んなことを話していければいい
そんな思いを噛みしめながら、ココは卓の優しいリズムに心を委ねる

学費と多少の生活費 それらを賄ってもらっているとはいえ
流石に「豊か」とは言い難い暮らし
それでもふたり一緒なら、きっといつでもあたたかい
ほら、さっきから、おいしそうなビーフシチューの香りも漂ってる



───おいしそうな……


………





「………なんか焦げくさいぞ」
「!! ……あ───っっ!!」


冷静な卓の指摘に、飛び上がるようにしてココがキッチンへと駆けつけた頃には
つい先刻までおいしそうな香りを醸し出していた鍋が、ぷすぷすとものすごい勢いで煙を上げていて
白かった筈の鍋肌が、真っ黒の斑模様へとその姿を変貌させてしまっていた