ここは絵に描いたような、楽園の地
一面に咲く色とりどりの花と遠くから聞こえてくる水のせせらぎと
鳥のさえずりに包まれながら時を過ごす
なんて穏やかな世界
ほんの少し前まで居た、眠りにつくときでさえも神経を張りつめていた世界とは真逆の
いいことをしたひとは天国へ召されて
わるいことをしたひとは地獄へ堕ちるのです
父の家業を───将来私が負う家業を知りながら、そう諭した母の表情を思い出す
あれだけの抗争を、銃撃を、強奪を、殺戮を繰り返した自分が今、こんなところに在るなんて
不思議なものだ
あの日から回り始めた運命のルーレット
そう、目の前にあの少女が舞い降りたその日から、私の全ては大きく変わった
ひとつ望めばすべてを得ることができ
できるが故に、なにもかもが色褪せて見えていた世界にただひとつ
強烈に、色鮮やかに佇んだ光
ただひとつ、それだけは手に入れることは叶わなかったけれど───
──────大分、この世界にも慣れて来たようだな
「!」
自分をここに連れて来た二人───ジャンでもランジェでもない声
耳から聴こえてくるというよりも
胸の中に直接響いてくるような、この声は───
──────良い庭だろう? ここは私の加護の直下に在るが故に
花々が常に絶えることなく咲き乱れているのだ
「……庭、ね……」
ぐるりと周りを見渡す
どんなに目を凝らしても、果てなく続く花の波
人間というちっぽけな存在である自分には、広い「世界」としか形容できない地であっても
その姿が想像もつかぬ大いなる存在───神にとっては「庭」の一部でしかないのかもしれない
──────生前、あれだけ俗世間を賑わせてきたおまえのことだ
ここでは少々物足りない部分もあるのではないかと危惧していたのだが
「……気遣い、痛み入る
煙草を吸うことができないのは唯一辛いところだが、こんな過ごし方もなかなか悪くない
…寧ろ、『俗世間を賑わせてきた』私が
ここに在り続けてもよいのだろうかと危惧していたところだ」
──────…………
ひゅるりと、風が吹く
それにあわせるかのように、鳥たちが細やかな羽音を立て飛び去っていく
──────その、傍若無人な振る舞いをしてきたおまえが
「?」
──────殊、あの娘に関してだけはなぜそれをしなかった?
奪い去る好機はいくらでもあっただろうに
「…………」
思わず息を飲む
その言い種は、まるで
「…『神』らしからぬ、物騒なことを言う」
──────善良であることが即ち神の証というわけではない
「まあ、確かに……」
古くからの癖で、指先が胸ポケットを軽くまさぐる
煙草を吸うことができないのは、こんなとき本当に辛い
──────………
奪うこともまた、おまえたちが言うところの「愛」ではないのか?
刹那
目の前に広がる花々の中に
ぼんやりと何かが浮かび上がる
すこしずつその輪郭を明らかにさせていくシルエット
その頼りないくらい細い腕と、透き通るほどの白い肌
しなやかに風に揺れる長い髪は
他でもなく
「──────」
もちろんそれは本人───というより、正気の状態───ではないということくらい
ぼんやりとこちらを眺める、どこか生気の足りない瞳から見て取れる
それより何より
目の前の少女は一糸纏わぬ姿で、且つそれが当然のことであるかのように
身を隠すわけでもなくだらりと両腕を垂らしたままそこに佇んでいて
「……また随分と嗜虐的な趣味をお持ちのようだ
ましてや、今となっては住む世界までもが違ってしまった相手を……」
──────おまえが望むのなら、この娘、こちらへ呼び寄せてやってもよいのだぞ
「…………!!」
その言葉に思わず空を見上げる
声の主はその姿を現すことなく、淡々と続ける
──────この娘はどうやら、今、深い哀しみにくれているようだ
名はなんといったか、もうひとり……例の少年が、理由はどうあれこの娘の元から去った今
おまえにとってはまたとない絶好の機会ではないか
「…………」
──────娘を不幸な状況から救い、忘れさせる
おまえはおまえで娘を手に入れることで、満たされる。………何故、迷う必要がある?
再び前方へ目をやると
自分たちの会話を聴いているのかいないのか、揺れる花弁と戯れる少女の姿
そのたおやかな仕草に惑わされたのか
肩に指に、小鳥たちが舞い戻り、それぞれの歌を口ずさむ
初めて、心から手に入れたいと願った少女
初めて、手に入れることが叶わなかった少女
けれど──────
「『幸せ』なのかどうかは、他の誰でもなく、勿論、神よ、あなたでもなく
自分自身が決めることだ」
──────…………
「そして、愛とは、与えるものでもなく奪うものでもなく
ただひたすらに相手の幸せを願うこと なのではないか?」
極力、花々を踏みつけないように、一歩一歩注意深く足を進める
その気配と空気の動きに気づいた鳥たちが、慌てて空へと飛び立つのを
少女は名残惜しそうに目で追う
「それを私に教えてくれたのが、この少女だ
その少女をどうして、己の欲望のままに奪い去ることなどできようか」
ようやくその存在に気づいたかのようにこちらを向いた少女
春のような陽気だとはいえ、もろ出しになり寒々しいほどのその細い肩に
脱いだ上着を被せ、その上からゆっくりと抱きしめる
「──────帰りなさい、ランゼ」
その声に、ぴくりと反応して
少女は腕の中からこちらを見上げる
今にも泣き出しそうな、それでいて、何かを掴みとったあとのような満足げな色をたたえた
深い笑みを浮かべて
すうっと、少女は腕の中から消えた
「……………」
支えがなくなった瞬間、その重みに任せて地に落ちた上着を拾い上げる
軽く面を叩き花弁を落として、再び袖に腕を通す
少女の余韻をそのまま残したような香りに誘われ胸元を見ると、そこには
煙草のかわりに一輪の花が挿されていて
──────それは……
「え?」
──────あの娘から教えられた気持ち というわけではないのではないか?
「………どうかな………」
カルロは小さく微笑み、胸元の花を手にとり口づけた