「痕、残らなかったな」
「へ?」
下着を引き下ろしながら開かせた脚を眺めながらもれた、どこか安心したような彬水の声に
愛良はふと顔をあげそちらを覗き込む
シャツを脱ぎながら彬水が見ていたのは、彼の生態を探るべく後をつけ、まんまと見つかり
逃げ出そうとしたそのときに傷を作ったあたり
出血が激しかった割に、傷自体は二日ももたずに消えた
それは若さと、魔界人であるが故に当然に備えた高い自己治癒能力の賜物に違いないのだが
愛良はにこにことおどけて言った
「新庄さんの、愛のこもった手当てが良かったからね」
「バーカ」
言葉尻とは裏腹に、苦笑しながら彬水は膝小僧を撫でる
あたたかく、包み込むように
その手に、父のような癒しの力はないけれど
───人間の彼は、目に見える特殊能力などなにひとつ持っていないけれど
どの手よりも自分に力をくれる。愛良は心からそう信じていた
「あの頃は、くそガキとしか思ってなかった」
「え───! ひどいっ」
「そりゃそうだろ! ところ構わずピーチクパーチクうるせえのなんのって
……って、おまえもだろ」
「あ、ばれてる。……もうね、何コイツ! って思ってた」
「……このガキは……」
苦々しい顔をしつつも、彬水は愛良の、妙な遠慮をしないところを気に入っていた
実は彬水自身、喋るのはそれほど好きなほうではない。殊、自分のことに関しては、特に
それまで普通に接していたとしても、話題が自分の過去に及べば皆、一瞬微妙な表情を浮かべ
それ以降その方向へ話題をふることはなくなるのが判りきっているからだ
気を遣ってくれること、それ自体はありがたいことだと思わなければいけないのかもしれない
けれど、自分はそれなりに幸せなのだと思えている現状までをも否定されているような気になるのも
相手の気遣いとやらに触れた瞬間だった
何かの話の流れで愛良に過去のことを話したことがある
その瞬間愛良は、ただぼろぼろと泣いた
困ったような表情を浮かべるでもなく、当たらずさわらず流すわけでもないその反応に
なぜか妙にホッとさせられたのを覚えている(涙を止めさせることにだけは苦心したが)
自分の言葉をまっすぐに受け止め、まっすぐに返す者に対しては
遠慮をする必要も、ましてや、言葉を飾り立てる必要もない
───だから次々と簡単に、本音だけが滑り落ちる
「……まあ、ガキなのは変わらねえけど……」
「え?」
「綺麗になったよ」
「うはっっ」
予想外の方向転換に、愛良は思わず奇声を上げる
素肌にじっと目を沿わせながらのその台詞は、思った以上に生々しく響いて
みるみるうちにその頬が紅色に染まっていった
「いや………。“うはっ”って」
「だ、だって、誰もそんなこと言ってくれないんだもん! おとうさんもおにいちゃんも!」
彬水の脳裏に、真壁家の男性陣の顔がぽんぽんっと浮かんだ
父親の方はあまり接したことはないものの、その少ない機会で愛良への深い愛情は充分に見て取れた
とはいえ確かに、人を簡単に褒めたりはしないタイプに思える
勝手知ったる兄の方はといえば。ああいう一見硬派なタイプこそ裏では
こっちがドン引きするほどのくそ甘い台詞を吐いているに違いないのだが
「……親父さんはともかく、“おにいちゃん”のほうは……。実の妹にそんなこと言いまくってたらヤバいだろ」
「そりゃ、そうだけど……。だから言われ慣れてなくて、でもすっごく嬉しいなって話。もっと言って?」
「やだね」
「ふあ───!! ムカツクっっ」
「うわ、あぶねっっ」
小首をかしげ、にっこりと笑顔全開
完璧に決めた筈のおねだりを問答無用に切り捨てられ、愛良はじたばたと地団太を踏むように暴れた
いつの間にか服を脱ぎ終えた彬水は、その危険な動きを巧みにかいくぐり、ぴったりとその身を愛良の肌に重ねる
たとえ言葉にしなかったとしても
その分、態度で充分なほど示してくれることも知っている
そんな満たされた約束は、ひとりでは絶対に得ることのできないもの
もしかしたら、お互いがお互いでしか知ることができなかったかもしれない気持ち
おとがいに指をやり心持ち顔を上向けられると
まっすぐに自分を見つめる彬水の目とぶつかる
その光の命ずるままに愛良は静かに瞼を伏せ
ゆっくりと近づいてくる彬水の唇を待った