かちゃかちゃと食器を洗う蘭世と、そのとなりでそれを拭く愛良
それだけ取り上げれば、いつもの風景なのだが
いま真壁家にいるのは、このふたりだけだったりする
ほかの家族構成員───卓は、だいぶ前に家を出たし
俊は、所属ジムでの会合・遠征に出かけ、戻るのは明日の夜だという
蘭世自身意外なことであったのだが、この家で女ふたりだけになるのは、今日が初めてのことだった
とはいうものの。歳は親子ほど違うけれど(実際親子なのだが)、口を開けば一気に女子校のノリ
もともと俊はそんなによく喋るほうではないから、その場のにぎやかさはいつもと大して変わらなかった
むしろ、突っ込むあるいは止める役がいない分、いつも以上かもしれない
他愛もない話題もどんどこどんどこ膨らみ、その延長で蘭世は
細身の娘と、ふたりの子を生してなお繊細なラインをキープする自分とを眺めつつ
家では一番狭い部屋ながらも、ひとりで使うにはいささか広すぎる寝室を思い、切り出した
「ねえ、愛良っ」
「なあに?」
「今日はいっしょに寝ちゃおっか」
「ええ!? ど、どうしたのおかあさん」
心底驚いたような顔をして、愛良は振り返る
「ん───? 久しぶりにそれもいいかなと思って。おとうさんもいないし」
「うわ。おかあさん、さみしいんだ!」
「…………そうねえ」
そんな心境も、なきにしもあらず
「やだもうおかあさんっっ。子供じゃないんだから、自分でやるってば」
「や〜〜〜〜ん、いじりたいのよ、たまには。いいでしょう?」
「もう〜〜〜」
子供のころよくそうしたように、髪を梳きたい そんな蘭世の申し出に
渋々ながらも愛良は、指差されたドレッサーの前に腰を下ろす
娘を相手にした母というよりも、大きなお人形を目の前にした少女のようだと愛良はこっそり思った
一方蘭世は、嬉々としながら愛良の髪をひと房取り眺める
ベースは自分と同じストレート。違いは一点……毛先にごくゆるくかかったクセ
それはきっと、夫譲りのもの。ふたりが確かに交じりあっている証
改めてじんとかみしめつつ、艶やかに揺れるそれを丁寧に梳いていく
「だいぶ伸びたわねぇ」
「うん……来週、美容院行ってくる」
「そう……」
ちょっと前までは。髪が伸びたといえばすぐさま自分が切ってあげていたのだけれど
最後に愛良の髪を切ったのは、いつだったろうか
おしゃれに目覚めて秘密が増えて。嬉しいかな哀しいかな、娘は、日々大人の階段を駆け上っていく
あどけなさを残しつつも、日ごと夜ごと美しく
そんな娘を前に、何も考えないと言ったら嘘になる
たとえば、その主たる原動力のこととか
「ねえ、愛良」
「ん?」
「彬水くん……とは、どうなってるの?」
「え!? ど、どど、どうって……。たまに会ったりするけど……
ていうか、やだ、おかあさんてばっっ。おとうさんみたいなこと言ってる!」
「…………(……あらら……)」
蘭世の前では、知らぬ存ぜぬの顔を取り繕う自分の夫が
(もっとも、ちょっとつつけばすぐボロボロになるのだが)
愛良に対しては、どんな“父親の顔”をして探りを入れていたのか
それに思いを馳せると、なんだかおかしくてたまらなかった
そして
そんな夫と自分と。願うのも憂うのもきっと同じことなのだ
今よりほんの少し昔の自分は
魔界人と人間との違い その深い意味を考えぬまま恋を覚えた
多分それは、娘も同様だろう
けれど自分の場合、偶然が重なった奇跡なのかやはり運命とでもいうべきなのか
人間と思っていた相手は、実は同じ魔界人だった
きっとずっとこれからも永い時を同じく歩むことができる
対して、娘の場合は
留めるべき、だったのだろうか
けれどこの感情だけは、周りに何と言われてもどうにもならないことも知っている
悩むのはむしろ、彼の方だろう
自分の夫がかつてそうであったように
魔界人であるが故に付随してくる特殊能力は便利だとは思うけれど
それ自体には何のこだわりもない
現に自分も過去にいちどその能力を捨てた
捨てたことそれ自体には何の悔いもない(これは魔界人に戻れたから言えるわけではない)し
たとえば夫に対し、改めてこんな話をするつもりは毛頭ないけれど
あのとき、狂ってしまいたくなるほど胸が痛んだのは本当だ
彼と彼女の場合は、どうであろうか
新しく踏み出す一歩、その方向を
ひとりではなくふたりで決めることができるだろうか
───そしてそのとき自分は果たして
娘の選んだ道を笑顔で祝福することができるだろうか
魔界人であることは、自分と娘とのつながりのひとつでもある
もちろん、親子の絆はそればかりで計るものではないけれど、でも
親の立場になってみて改めて、親の強さとありがたさを思い知らされる。それはまさにこのことだ
父と母はあのときどんな思いで自分を見ていたのだろう
「おかあさん…………?」
「!!」
突然黙りこくり、手が止まってしまった蘭世を愛良が怪訝そうな顔で振り返る
その呼びかける声で、蘭世はようやく我に返った
「……………あ。はは、ぼうっとしちゃった………。さっ、前むいて、前!」
「………おかあさん……今日ちょっと………ヘン」
「エヘヘ」
あのときの、目元にうっすらと涙をにじませた父の顔が浮かんできて、じわりと涙がこみ上げた
慌てて蘭世は無理やり笑顔を作り、再び愛良の髪を梳き始める
胸の痛みもいつか糧になるけれど、痛まないですむならそれに越したことはない
何も加えずに、何も減らさずに、皆、幸せになれたらいいのに
蘭世は今、心からそう思った