その日が、一年に一度のそんな日なのだということを
愛良が主張しないうちから彬水は、アルバイトを休みにしてくれていた
そのくせ、ちゃんと早めに家に帰って祝ってもらえなどときっちり釘を刺す

そんな日だからこそ本当は、時間の許すかぎり一緒にいたい そう思いながらも
家では、父や母が待っていてくれているのも事実
(もっとも母あたりは、今日の出がけに“遅くなっても大丈夫よ”と、ウインクを投げてよこしたりもしたけれど
……ちなみにそのとき父は、こちらに背を向け新聞を読んでいたので、どんな表情をしていたのかはわからない)

ごめんなさいとありがとうが入り混じった、複雑な気持ち。それが顔に出てしまっていたのだろう
そのぶん別の日に一日じゅう引っ張り回すぞと笑いながら彬水は
愛良の前髪をくしゃくしゃにかき撫でた





とは言うものの、それはそれ、これはこれ
やはり今日という日に長くいっしょにいることの意味は重い。そう思ったから
いつもの待ち合わせの公園で待ってなどいられず、彬水の通う大学の前までやってきてしまった

わらわらと校門から出てくる学生をちらちらと眺めつつ、もの珍しげに眺められつつ……
その時間的比率が1対5くらいになったところで、愛良はようやく悟った
制服というものは、どうやら愛良が思っている以上にその威力を発揮するらしい
そしてそれを身につけた愛良自体、どちらかといえばベビーフェイス
通りすがる面子とは決して相容れない程度には確実に浮いていた

そして、本人に自覚こそないものの、そこに立っているだけでぱっと目を引く容姿の持ち主でもある
それが人待ち顔で往来に立ち尽くしているとあっちゃ、妙なちょっかいをかけようと目論む輩が出てくるのも
ある意味必至で───

「ねえねえカノジョっ。誰か探してんの〜?」
「…………え」

思わず愛良は身構える
うす汚い不精髭に、不必要なまでにボタンの外されたシャツから覗くごついアクセサリ、しかも二人セット
へらへらとにやけた口元も、だらしなく伸ばした語尾も
残暑厳しい折りにもかかわらず、背筋に冷たい風を吹かせるには十分だった

「べ、別にそんなことない……ですっ」
「嘘〜〜。だってオレら見てたもん。ずっと立ってたでしょ?
悪い奴だねえ、こんなとこで待たせて……オレらもいっしょに探してあげるよ!」
「け……結構ですっっ!!」
「か〜わいいねえ〜〜、遠慮しちゃって! 大丈夫だって。中、入っちゃっていいからさ〜!」
「やだっ…………!」
「およっ」

手を取られそうになり、カバンを抱きしめ思いっきり後ずさる
なに、何なのこの人たち、気持ちわるい───! と、涙目になりかけた目の端に
ばたばたとこちらに走り寄る見慣れた人影が映った

「……あ…………!」
「!?」

目立つ姿(プラス、妙な輩に絡まれているオプションつき)というのも、ある側面においては好都合で
彼は一瞬驚いたような表情を見せたものの、すぐ、そこにいるのが愛良なのだと認めてくれたらしい
走る速度を上げこちらにやってきて、愛良と“きもちわるい奴ら”との間にすいっと割って入った
一体どのあたりから走ってきたのか───頬はわずかに紅潮し、額に汗がにじんでいる
それをぐいっと拭いつつ、彼はニッと笑った

「悪い、思いのほかゼミが長引いちまった……待たせたな」
「う………ううん!!」

ぶんぶんと、取れてしまうんじゃないかというくらい首を振る
本当は、その胸に飛びついてしまいたいところだ

「じゃ、行くか」

あっけにとられている輩を尻目に彬水は、愛良のカバンを手にすると、くるりと踵を返す
そのうちの一方が、さも意外そうな声色で彬水を指差した

「え……、って、新庄? うわ………」
「……なに、オマエ知ってんの、あいつのこと」
「ああ……、語学が一緒」

多分彬水に聞こえるように放たれたその言葉は、当然、隣に並んだ愛良にも聞こえてくる
語学が一緒ということは、同学年なのか………愛良は妙なところで驚かされ、同時に自分の恋人のまともさを神に感謝した
(もっとも、同じ学年だからといって、同い年だとは限らないのだが)
そして

「どうも女になびかねえ、うさんくさいヤツだと思ってたら……うげえ………」
「そっちの趣味が」
「ロリ………」

思わず愛良は右斜め上を見上げる
背後で繰り広げられる陳腐な会話が聞こえているのかいないのか、その表情はいつもの穏やかさと寸分違わず
ただ、いつもはつないで歩くはずの手が、今はなぜか肩に回されていて
愛良が見上げたその直後、ぐっと力がこめられたように思えた





「………………ごめんなさい………」
「何が」

結局あのまま無言でずんずん歩き、無言のまま彬水の部屋へ来てしまった
昼間のうち充分に取り込まれた日光が猛威を振るい、もわりとした熱気が身を包む
Tシャツの裾をぱたぱたとはためかせつつエアコンのスイッチを入れるのを眺めながら
愛良はぽつりと呟いた───つもりが、彬水は即座に反応し、こちらを振り返った

「な、なにがって………その」
「…………………」

そりゃ、彬水と自分との構図というものが、何の疑問もなくつりあっていると思っていたわけではないけれど
見る者によっては、あんな穿った見方もできてしまうのだと、容赦なく知らしめられたのは初めてだった
しかもその悪意に満ちた好奇の目は、自分よりもむしろ彼のほうに向けられる
大学という、自分にはどうにもできない彬水だけの活動範囲において

迂闊だった
いつもの待ち合わせの公園でおとなしく待っていれば、きっとこんなことにはならなかった
或いは、(結果論だとはいえ)待つ時間があるくらいなら、一度家に戻り着替えてから来ていれば
何か言われるにしても、まだマシな言われようだったのではないか

「やっぱガキだね、あたし」
「………………」

やはり愛良の言葉には答えず彬水は、座布団に座るよう勧めてキッチンへ向かう
冷えた茶をふたつ手にして戻ると、足指で器用に自分の座布団を引き寄せ───さすがに微妙な位置補正は無理なようで
結局愛良がその向きを正した───すぐ隣にすとんと腰掛けた

「サンキュ」
「ううん……」

テーブルに並んだグラスの氷が、からりと音を立てる
それを凝視したままの愛良に彬水は、直前の“サンキュ”と、何ら変わらない口調で言った

「話、戻すけど……」
「……ん……」
「そういうのを、おれに否定させようとする程度にはガキなんだなと思う」
「………っっ」

ど真ん中へ、まさに一撃必中
いまの自分が本当は、彼にどんな返事を求めていたのか
言われてはじめて気がついた
彼に与えてしまった影響を、その直前まで慮っておきながら、だ

やっぱり自分は、子供だ
早く大人になりたい。あのひとにつりあうように。そういつも願って
ようやくひとつ近づいた、そんな記念すべき日の自分だというのに
何ひとつ、進むことも近づくこともできていない
咄嗟の時分に露呈する、自分の未熟さが情けない

「でも別に、それをおまえが気にする必要はねえだろ」
「…………え」
「え って……あのなあ……
おれがそれでいいっつってんだから、それでいいだろ。違うか?」
「………………」

まっさかさまに落ちていきかけた気持ちが、急ブレーキのあと一気に浮上する
そしてそのあとは

「…………って、うわ!? なに泣いてんだっっ」
「…うぇ…………」

ぼろぼろと涙があふれてくるのが、避けきれないパターン
そんな欠陥品の水道管のような愛良の目元を拭おうとして、やめて
彬水は静かにその肩を抱き寄せた

「つうか……泣くようなことか?」
「だ……だって……! う、うれしいのと、ほっとしたのと、あたしホントバカだなってのと
わ、わけわかんなくなっちゃっ…………っっ」
「なんだそりゃ」

しゃくり上げながら息継ぎがおかしくなっているのを見つつ、彬水は思わず苦笑する
───“ほっとした”?

「ほっとした って………」
「あ! や、その………し、新庄さん、怒ってるんじゃないかって……」
「なんで」
「ずっと黙ってたから…………」
「………………ああ……ああいう奴らの言うことにまともに取り合ってたら
神経が何本あっても足りねえしな…………やな思い、させたな」
「!! ううん、そういう意味じゃないの! ていうかっ……
勝手に大学まで行っちゃって、ごめんなさいっ」
「それは、いいって」
「うん…………」
「………………」

ようやくその表情に明るさを取り戻し始めた愛良の背を撫でながら、彬水は小さく肩をすくめた
前半の沈黙は確かに、いちいち同じ土俵に立つのが面倒だっただけなのだけれど、後半は

確かに、そう見られてしまう節があることくらい、彬水自身仕方ないと認めてしまう部分もあった
とはいえ、なにもよりによってこんな日に露呈されなくてもいいだろう
隣を歩く小さな恋人が、どんどこ凹んでいっていることも、
凹む理由が、愛良自身がどうこうではなく自分のことを慮ってなのだということも判っていたから
早くフォローしないと そう思いながらもその道程には、落ち着いて話せるような気の利いた場所もなく
大人のようでいて、肝心なところで巧くことを進めることができない自分を情けなく思いつつ
気がついたら結局、この部屋への道を黙々と歩いてしまっていた

「………………」
「あ」
「………………」

大分時間が掛かってしまったものの、最大の目的を達成した今、ホッとしつつ愛良の表情を覗き込んだら
付随していた悪手にも気づかされた
部屋に乗り込んできてしまったのは失敗だったのかもしれない
狙っているわけではなく、身長差から自然と生じる上目づかい。それだけでも十分くるものがあるのだが
そこに涙という爆弾が加わると、恐ろしいほどの引力を発揮する
今この瞬間のように、まんまと吸い寄せられ
できることならずっと触れていたいと思わされるくらいに
釘を刺したのは自分の方だというのに

「…………んっ」

触れた唇の角度を変える、その瞬間に漏れる息すらも艶めかしい
下手をすれば手のひらにすっぽりとおさまってしまうほどの頬は瑞々しく吸いつくかのようで
緩やかな曲線を経てたどり着いた首筋もまた、ほわりと甘く匂い立つ
そして、意図的なものでなくとも彬水の動きに逐一反応する、ある意味素直さが
ますます彬水を焚きつけていく
───けれど




「……………」
「………あ」

這わせていた舌をしまい、肩を押さえ額にチュっと啄ばむようなキスを落として
彬水は愛良をまっすぐに見ながら笑って言った

「…………今日のところはここまで。出かけるぞ」
「あ、う、うん………でも」

でも、何なのか。それを口に出す勇気は流石にないけれど、“目は口ほどにものを言い”
多分彬水は、自分の思うところを察したのだろうと思う
一瞬ぐっと言葉につまったようなそぶりを見せ、ぽりぽりと後頭部をかきながら苦々しく呟く

「………………時間、足りねえからな………」
「うは…………っっ」
「そこで笑うか!」
「だって……!」
「…………くそ……」
「や───んっっ」

小さく呻きながら、けらけらと笑う愛良の前髪をひととおりぐしゃぐしゃにして
自分でぐしゃぐしゃにしておきながらそれを元のとおりにきちんと梳きなおすと
彬水は再び愛良の目を覗き込み、笑った

「ともかく………おめでとう、な。誕生日」
「ありがとう!」

あざ笑うとかではなく、もう、どうにもこうにも笑うしかできない
彬水といると、そんな瞬間の連続だった
彼は愛良に、背伸びをせずとも、急がなくとも、焦らなくともいいという、けれど

「ねえ、新庄さん」
「うん?」
「あたし、早く大人になるね!」
「………………この流れでそう強調されるのは微妙だけどな…………」
「エヘヘ」

よっこらしょ、と抱き上げ立たせようとする彬水の腕につかまりつつ
愛良はにっこりと笑った
そこにはもう、焦りの色も陰りの雲もない
苦笑しながら彬水は、再び愛良の髪をやさしく撫でた