日頃、自分が使っているものとは違い、こまごまとした機能がついていない
───温風が出るか冷風が出るか、二者択一───のくせに
そのドライヤーはちょっと重くて大きくて
風をオフにしひと休み。まだ半濡れの髪をなでつつ蘭世は窓の外を見た
雨の勢いはとどまることを知らず、いまだざぶざぶと降り続ける
少なくとも蘭世にとって、雷がやってこないことは不幸中の幸いだった
とはいえ、プロの予報があっさりと裏切られる昨今
素人の目算、あるいは希望的観測などあてにならない
もしかしたら、あの、腹の奥に響くような何よりも苦手な音が
何食わぬ顔でやってくるかもしれない
それを思うだけで身震いがした
ちらりと視線を部屋の戸口へと移す
自分と入れ替わりで風呂に入っていった彼は、まだ戻ってこない
「……怒ってる、の、かなあ……やっぱり………」
自分の発した声の思わぬたよりなさに、自分で驚く
風呂に通すときも、風呂から上がってすれ違うときも
彼は蘭世の顔をまともに見ようとしなかった
正確には、コンビニの軒先を出ようとした瞬間のやりとり以降、ずっと
雨が止みそうにもない空を見上げながら、家まで送ると言ってくれたのを
半ばむりやりこの部屋へとやってきたのは自分だった
滅多に使うことのない合鍵も、このときとばかり功を奏して
三和土で睨み合うこと数分間。根負けしたように深いため息をついて彼は
大きなタオルを蘭世に手渡し、黙々と風呂の支度を整え始めた
脱衣所に置いてあったこのTシャツには、まだ、袖を通した形跡がなかった
なぜ彼が、この部屋に立ち寄るのではなく江藤家に戻れと言ったのか
純粋にその意味が判らないほど、自分は子供ではない
けれど、大人になりきれるわけでもなかった
今日は、本当に久しぶりのデートだったのだ
そうそう自分ばかりに貴重な時間を割くわけにもいかない彼の事情も知っているからこそ
少しでも長く一緒にいられる時間が欲しかったし
気まぐれな雨なんかのせいで、その貴重なひとときを終わりにしたくなかった
“それ”だけになってしまうのが、嫌というよりはむしろ
恐れていると表現する方が正しいかもしれない
他でもない、蘭世自身が“それ”だけになってしまうことも辞さないのだと
胸の奥の本音を吐露したとしてもきっと、彼の意思は変わらないのだろう
けれど彼は確実に、“少しでも長く”と願う自分の気持ちを知っている
この部屋にいま自分が居るというのは、そういうことだ
「………もう、お天気お姉さんのバカ………」
あまりといえばあんまりな呟きをこぼしながら
鞄にはいつも折畳み傘を常備することを蘭世は固く誓った
鞄といえば。服に負けず劣らずの勢いで濡れてしまった筈だ
“筈だ”というのは、走る動きに合わせてあっちゃこっちゃに揺れ、腰に尻にぶつかるのを
見かねた彼が、途中から奪い取って走ってくれたからなのであるが
自分ばかりでなく鞄も、きちんと拭いておいてやらなければ
部屋の片隅に立て置かれた鞄の元へ這い始めた瞬間、部屋の戸口がすらりと開いた
「…………あ」
「……………………」
一瞬、ひるんだような色を見せ、すぐさま何事もなかったかのような顔になる
すたすたと進み、彼は、蘭世がもと居た場所の付近に腰を下ろした
「あ……あのね、鞄を」
「…………簡単には拭いといたけど……一応、しっかり見とけ」
「え、あ、うん……」
ミュールがおろしたてなら、鞄もお気に入りのチョイス
“簡単に”の自称とは裏腹に、入り組んだ縫い目まで水気がなくなっていることぐらい
しっかり見なくても判る
「ありがとう…………」
「別に………」
特に返事を強調するわけでも謙遜するわけでもなく、ふいと横を向いた
その表情を窺い知ることはできないけれど、さっきまでの沈黙よりは幾分
雰囲気が和らいだ気がして、蘭世はほっと安堵した
ふと気づいたように彼は、座布団の上に置いてあったドライヤーを手に
ちょっぴり非難めいた口ぶりで言う
「頭、ちゃんと乾かせよ」
「あ、うん……。あ、でもね、ついさっきまではちゃんとやってたのよ?
ただちょっと、その………」
「ん?」
「ちょっと、腕が疲れちゃって……ひと休み中だったの」
「ああ…………」
値段だけ見て買ったそのドライヤーは、無駄に重くて大きくて
確かに蘭世の細腕にはキツイように思えた
適当にざっくりと乾かしてあとは放置の自分とは違って
ただでさえ時間がかかりそうなその髪を相手するのは、至難の技だろう
「………ちょっと、ここ、座れ」
「え」
あぐらをかいたその前位置の座布団を顎で差しながら手招きする
その声に従い蘭世が座ると、彼はおもむろに肩にかけていたタオルで蘭世の髪を挟み込み、ぱたぱたと叩いた
「え、え、あの……ま、真壁くん?」
「乾かしてやる」
「ええっ!? うわ………っぷ」
「あ、悪りぃ」
思わず振り向いた蘭世の顔面に、強めの温風がまともに当たる
鼻の頭を押さえながら、蘭世はおとなしくむこうを向いた
さすが二者択一の威力はすばらしく、その風はごうごうと蘭世の髪をなびかせる
一箇所が熱くなりすぎないように、時おり髪から離し、たまに彼の髪を乾かしつつ
次第に乾いていく艶やかな髪を眺めながら、彼はぼそりと呟いた
「………おれは、そんなにできた人間じゃねえよ」
「え? なあに?」
「……………」
変わらず強く窓を打ちつける雨の音と
ガタイの大きさも半端なければ音の大きさも半端ない、安物ドライヤーの風の音とに
彼の声は簡単にかき消される
その意味するところを、蘭世が身をもって気づかされるのは
もう少し後になってからの話