「……け、結婚………しようと思うんだけど」
「あら、そう」
「ああ…………って、ええ!?」

一世一代の覚悟を報告したというのに、相手の返答は実にあっさりとしたもので
眉ひとつ動かさず紅茶をすする姿に、むしろ俊のほうが身を乗り出しそうになった

「“ええ!?”って……。ずっとなしのつぶてだったというのに
突然、ふたりだけで会いたい とか言ってきたりしたら
その話だって判りそうなものでしょう?」
「…………。そ、そりゃ、まあ……」

確かに、ふたりの関係が公認のもの・時間の問題であった以上
それは逐一ごもっともな発言なのだが
もうちょっと、その。ものには段取りというかやりかたというか
こういった場にはこういった場なりの、話の流れがあるような気がしてならないのだけれど

「とにかく、おめでとう。………でかしたわね」
「……………はあ………」

いたずらっぽく微笑む母の口から出た言葉は至ってシンプルで
ドレスの袖をまくりあげてのガッツポーズに、俊は苦笑するしかなかった





ようやくというかなんというか
どうにかこうにか三日前、彼は“いつか”で留めていた約束を現実のものとした
そして今は、母・ターナに対しその旨を報告しに魔界にやってきている

一世一代の大仕事も、顔から火が出る思いだったけれど
その報告に来ているだけである筈の今も、相当なものだ
どう伝えればよいものかとあれこれ無駄に考えてきたというのに
しょっぱなから出鼻をくじかれ、立ち往生
もしかしたら、母は母なりに気を使っているのかもしれないけれど(というか、そう思いたい)

「ところで………」
「え」
「プロポーズの台詞は、ちゃんとあなたからキメたんでしょうね?
まさか、そんなことまで蘭世さんに言わせたりしてないわよね」
「!! そ……そそそそんなわけ……ないだろっ! ちゃんとこっちから言ったって!!」

やはり眉ひとつ動かさず、ターナはくいっと紅茶を飲み干す

「そう、ならよかったわ。あなたは……顔のよさは私に似たけど
肝心なところはあのひとに似てしまったから、心配していたのよ」
「……………」

似てしまった と称される我が父は、どんな気持ちで天からこちらを覗いているのだろう
ちらりと目線だけを上にやる
というか、いちばん最初に問われるのがそんなこととは
母の、自分に対する信用度が、一気に垣間見えた気がした

「それにしても……そうね。どうりで、こないだ蘭世さんがいつも以上にきらきらしていたわけだわ」
「え? あいつと会った………んだ」
「──────え」

空になってしまった自分のカップを手に、俊の目の前のカップにちらりと目をやりつつ
ターナは、一瞬だけ意外そうな表情を浮かべた
ふたつのカップをテーブルの端へ寄せながら、ふっと笑う

「ああ……まあ、知らなかった………でしょうね。そんなことをあなたに言ったりしないでしょうし……
蘭世さんはね、親の心配も顧みず寝てもさめてもボクシングボクシングの誰かさんの様子を
折りにふれて、お話ししに来てくれていたのよ」
「え……………」
「おかげで、実の息子にほったらかしにされていた可哀想な母も
息子の様子をこと細か〜〜〜に知ることができました
嫁姑の関係は、良好に築き上げているから、ご安心なさい」
「……………」

母が言うところの、“寝てもさめても”なボクシングならば鉄壁の防御を誇る自分が
ところどころふんだんに盛り込まれた言葉の棘に、防ぎきる間もなくボコボコにメッタ刺し
改めてご挨拶を……などと考えず、今日いまこの場に連れて来ていればよかったと
今は自宅で待機状態の彼女の姿を思った

しかし
母の口から聞かされるまで、そんなことをしていただなんて
不覚にも全く気づくことができなかった
俊が会いたいと言ったときにはいつも、当然のように都合をあわせてくれていたせいもあるけれど

「……本当に、いい娘さんね」
「…………………ああ」
「……(あらっ)……」

彼女が自分のことをどんな顔で話していたのか それを思うだけで自然と顔がほころび
自分よりもむしろ彼女のことを褒められる方が嬉しくて誇らしく思えた
俊は素直に頷く

一方ターナは、こんなに無防備な笑みをこぼす息子を見たのは久しぶりだと思った
(実際、直接本人と対峙するのも久しぶりのことなのではあるが)



ふたりだけで暮らしていたころは、なにはともあれ働いて
けれどその分、時間があればその全てを息子との時間に充てていた
そのせいもあるのか、自分たちは屈託なくいろんなことを話し合える関係だったし
彼のことをよく喋りよく笑う子だと思っていた

けれど、運命の波に翻弄されるのをただ見ているしかできなかった その間に
彼は少しずつ変わっていった
自己表現することを嫌悪したのか極端なまでに恐れていたのか
そこまでは判らない(問いただすこともできない)けれど
同じ“運命”のめぐり合わせとしか思えない将来の伴侶を
むちゃくちゃに泣かせることも多かったと聞いている

彼が少しずつ笑顔を取り戻したのは、他でもない彼女のおかげ
もちろん自分と話すときにもそれなりに笑みを見せるだろうけれど
どうしようもなく溢れてしまった そんな笑顔を彼から引き出せるのは
彼女がその場に居るか居ないかに関わりなく、多分、彼女に関してのことだけ

複雑といえば、複雑だ
世にじわじわと未だはびこるその手の問題は、こういうところからも派生するのだろう、と
まさにその一方の立場に当てはまろうとしているターナは、いま唐突に思い至った



「……………」

おもむろに立ち上がり、向かいあわせで座っていた俊の隣に腰掛ける
え? と言う顔をして振り向いたところを、有無を言わさず抱きしめた

「な、なん………っっ」
「いいからおとなしく抱かせなさいっ
どうせもうちょっと経ったら、蘭世さんだけのものになっちゃうんだから」
「………………!?」

母の突然の奇行と、ある意味生々しい台詞とに動揺する俊と同様に
ターナはターナで、回した腕から伝わる感覚に驚かされていた

自分を見下ろすほどに伸びた身長、日々の調整で、細身のままではあるけれど
明らかに成分要素が変わったのが見て取れる、がっしりとした肩幅に胸板
学校から帰るやいなや、胸に飛び込んできた姿や
おかあさんとけっこんする───などと可愛らしいことを言っていた姿が
つい昨日のことのように鮮やかに思い起こされるというのに

「……大きく、なったわね………」
「………うん……………サンキュ」
「え……?」
「……………いや、なんか……いろいろと………」

そちらを見ずに、ぽりぽりと鼻の頭をかく
俊が今日、ここへひとりでやってきた最大の理由は
そうでなければ到底、口にすることができないであろう言葉があったからだ

「………………」
「だっ!!」

そんな余韻に浸る間もなく、ぱちんとおでこを打つ音が景気よく響く

「……っい、てぇ………」
「……親にありがとうだなんて言わないの」

まともにヒットしたそこを手のひらで押さえ、うずくまる俊の隣で
ターナはこっそりと目元を拭った