色々100のお題 Type3 11:一番好きなひと
「……一緒じゃなかったんだな、彼女と」
「えっ」
リビングでテレビを垂れ流しながら食後のコーヒーを飲んでいたところに話しかけてきた父は、意外そうな表情でこちらを見ていた
この家で父が「彼女」と呼ぶ相手はひとりしかいない。顔を出しはしなかったものの、つい先刻、玄関先でにぎやかな声がしていた。夜の外出から戻ったココとそれに鉢合わせした父の声だ
本日の晩御飯、卓とココは、そろって席を外したものの、バラバラに帰宅した。少し前の妹のそれと違い、父の声にからかいの色はない。純粋に、「一緒でなかったこと」を疑問に思っての問いかけだろう
「ああ……。今日おれが遅くなったのは、部活。あいつがここ最近どこに行ってるのかは…………知らない」
「………………」
後半部分は、嘘。コーヒーカップを覗き込むふりをして卓は父から目をそらした
週一で執り行われる練習後のミーティングで、いつもより自分の帰宅が遅くなったのと同じ分だけ、あるいはそれ以上、彼女の帰宅も遅くなることを、自分は知っていた。うまく動揺を隠しおおせただろうか。小声になってしまった言葉尻を捕まえることなく父は、テーブルを挟んだ向かいに腰を下ろす
あの日を境にココは、晩飯どきになると姿を消すようになった
そして。他の家族はさておき、卓個人のみのことをいえば、あれから一度もまともに口をきいていない
存在を丸ごと無視。それが、彼女が欲した一言を口にすることができなかった自分に対する彼女なりの回答ということなのだろう
ひとりではなくふたりで帰ってきた理由を問いただすことも、毎晩いそいそ出かけていくその成果を確認することも許さず、指を咥えて見ておけ、そういうことだ
中身の伴わない、軽い言葉は言いたくなかった
両親から受け継いだ魔界人としての能力は備えているけれど、結局のところ「ただの高校生」の枠を逸し切れない自分には、彼女の将来を方向づけるような言葉を吐く資格はない そう思っていた。彼女が涙ながらに叫びそれを望んだ、あの日ですらも
だから。彼女がひとりでなくふたりで帰ってきたとき、ほんの一瞬だけ思ったのだ
彼女が、彼女自身の幸せのために自分以外の相手を望んだのであれば、それでいいではないかと
けれどそれは単なる「逃げ」でしかなかった。彼女に対してだけでなく、自分に対しても
なりふり構わず彼女を乞うなんて、格好悪い―――そんな気持ちが全く無かったとは言いきれない
今まで、「一番」を目指したことがなかった。野球もサッカーもついでに勉強も。やろうと思えば、そこそこできてしまったから
必死にレギュラーの座を狙うこともなく、また、興味の向くまま所属を変えて―――何をおいても譲れない。そんな気持ちに初めて、そして今更気がついた
大切なものは失ってみて初めて気づくとは、よくもまあうまいことを言ったものだ。おとついも昨日もそして今日も、この家で学んだ技術を駆使してきたことは間違いない。そんな情景を想像するだけで、胃というか肺というかそのあたりがぎりぎりと痛んだ
なぜ自分が「いつもいつまでも彼女が追い続けてくれる存在」だと思えたのか。いや、意識して思ってはいないにしても、無意識にそう思っていたとしか思えない言動ばかりとっていたのか、今となっては不思議でしょうがない
いつもなら自室へひとり籠って過ごす夜のひとときを、彼女の遅い帰宅を見届けるべくリビングで待機している、かつ、さも自分は偶然ここでコーヒーを飲んでいるだけですよ的な姿勢を仕立て、ありったけの聴覚を彼女のいる方角に集中させているあの日以降の自分の方が、よっぽど滑稽だ
明日、話をしよう。そう思った
悪い意味で空気のように扱われている自分が何を言おうと、聞く耳すら持ってくれないかもしれないけれど
ふと。目の前の相手はどうだったのか、気になった
この期に及んでこんな疑問が出てくるあたり、根本的な部分はいまだ彼女の意に添わず「どうでもいいこと」を理由づけしようとしてしまっているのだろう。けれど、それでも
「……とうさんが、かあさんにプロポーズした決め手っていうかきっかけって……やっぱり、世界チャンプ?」
「!?」
いつもならこんな、柄にもないことを尋ねたりしない。けれど今は、それこそ無意識につるっと本音が滑り落ちた
そしてそのタイミングは絶妙すぎた。父は今まさに飲み込もうとしていたコーヒーで思いっきり咽せ、ひとしきり咳込んだあと、ティッシュの箱を差し出す自分を、若干涙目になりながらじっとりと見た
「……なんだ、イキナリ」
「あ! い、いやっ! べべべ別に深い意味は! 全ッ然、ないんだけど!!」
「………………」
その視線で一気に我に返る
ついうっかり口を滑らせるくらい、疲れている、追い込まれている、弱っている。それは認める。それにしても、父と自分、この二人しかいない空間におけるこの問いかけはやはり、柄じゃ無いにも程がある
差し出したつもりが、あわあわと手放すことになったティッシュの箱が、思いの外大きな音を立てテーブルに落ちた
「ご、ごめん! 今のは忘れて! おれ相当疲れてるみたいだから、寝る! そう、寝るから!」
「………………」
「お、おおおおやすみ!」
とにかくこの場を一刻も早くずらかるに限る。文字通りあたふたと、コーヒーカップを手に卓は立ち上がり―――かけて、じっとこちらを眺めたままの父の視線にばっちり捕らわれる
「プロ、…………。いや、今の話だけど」
「うわあごめんそれはもういいっていうかそもそも言葉のあやっていうか」
「おれがあいつをどうしても必要だと思ったからだ。ボクシングは関係ない」
「―――へっ」
ばたばたとその場の空気と自分の発言とその他モロモロを振り払うように手を振っている隙の迎撃に、こちらはこちらでやはり言葉を失くし、結局立ち上がりそこねたソファに座り込んでしまった
「…………おれも寝る」
おやすみの挨拶もそこそこに、父は席を立つ。その背中を見送りながら卓は、明日に向けての決意を新たにした
―――今までずっと抱えていた気持ちを、明日の彼女に伝える。たとえもう届くことのない願いなのだとしても
→ おまけ