色々100のお題 Type3 14:君との距離
主に渋滞防止のため路上工事が抑制されるこの時期、通常であればアルバイトで費消する筈の時間は全くの空白となり―――俊はこの年末年始を江藤家で過ごした
母娘ともども腕によりをかけ拵えられた蕎麦・御節・雑煮その他もろもろを頂きながら楽しむ、危機感の無い「非日常」に
―――こんなにのんびりしたのは、久しぶりだな
そんな、おおよそ「高校生」らしからぬ呟きが、自然と口をついて出た
バイトにジムにそこそこ学校―――ノンストップの日常に、疲れてなどいないつもりでいたのだが、疲れを感じる暇すらないというのが実際のところなのかもしれない
と。テンションが望ましくない方向に滑りかけたところで、控えめなノックの音が響いた
「……真壁くん、お茶淹れたけど……入っていい?」
「あ。……どうぞ」
ノックの主はもちろん蘭世。盆を片手に、俊の返事より一拍おいてドアを開く
ベッドに寝転んでいた俊は、自分の分ともうひとつクッションを手に、床に腰を下ろしてそれを出迎えた
「明日からバイト再開なんだよね……」
「ああ。……ゆっくりさせてもらった。サンキュー」
「そ、そう……?」
いくら美味しいとはいえ、調子に乗って食べ過ぎた。膨らんだ胃に、渋めの緑茶が染みわたる
猫舌の蘭世は、湯呑の熱で指先を温めつつ、茶が適温になるのを待ちながら問いかけた
正確には「問う」というよりも「再確認」であったのだが
明日の夜から再びアルバイト漬けの日々が始まる。学校はまだ休みだが、ジム通いも再開するので、江藤家に世話になるのは、明日・四日の昼までにする―――そう事前に伝えてあった
そのくらいの滞在が、心身ともに「日常」に戻ることが苦痛になり過ぎないための上限値でもあることまでは、敢えて口にはしなかったけれど
「…………」
「……ん?」
「え!? なになにっ」
「今、ヘンな顔してた」
「変って!! よかったなって思ってたのっ。真壁くんがおやすみできて」
「ああ……」
笑っているような、ほんのちょっとつついたら泣いてしまいそうな複雑な表情から、なにやらバツが悪そうな表情へ、蘭世はその表情をくるくると変える
茶をすすったということは、ようやくお好みの温度になったということなのだろう
俊は茶を三分目ほど残した湯呑をテーブルの上に置いた
「あとね、ちょっとさみしいなあ、って……」
「……なにが」
「なにが、っていうわけじゃなくてね。その……」
「…………」
「……やっぱり、いつも……そばにいたいな、なんて……」
茶を飲んだのは適温だからだけではなく、口火を切るきっかけでもあったらしい
それでも少し言い淀み、こちらをチラ見しながら蘭世は続ける
「祭りのあと」あるいは「日曜18時55分」まさにそんな心境なのは、俊とて同じこと。留まり続けることはできないことを分かっていても、楽しかった分だけ胸の奥が痛む
とはいえ。仕切り直しとばかりに正座した彼女を見ながら、問い詰めてしまったことは失敗だったのだと悟った
この流れはきっとくる。できれば彼女の口からは聞きたくない言葉が
「真壁くん……また、この家に住まない……?」
藪蛇だ、巳年だけに。―――って、全然うまくない
いま二人がいるのは、彼が魔界人になった直後に江藤家へ滞在していた時の部屋だ
衣類その他の細かな荷物は運び出してしまったが、ベッドやタンス、机等の配置はすべてあのころのまま
彼がこの家に本当の意味で帰ってくることは、もう無い。理由も含め理解している、つもり
でも、それでも。この部屋を片付けることはできなかった
この年末年始に彼がフリーとなり、そのまま長期滞在の流れとなったやりとりの中で、「真壁くんの部屋は、あのときのままにしてあるから」などと、言わなくてもいい言葉を滑り込ませた自分のさもしさに、自分で驚いた
そして、その言葉を彼がさして気に留める風でもなかったことに、ほっとした
リミットは明日の昼。それまで余計なことを言わずにおけば、彼を困らせることもない
そう思っていたのに、できなかった
彼とともに穏やかに過ごしたこの年末年始が、とても楽しかったから
不器用な彼と、愛し愛され。確かな気持ちを認め合った今、なんの不安も不満もないけれど、いつもそばにいたい、いてほしい。それを改めて思い知ってしまった
自分で落とした沈黙が、痛いくらいに部屋に満ちる
今なら、冗談として笑い飛ばすこともできる。けれど、冗談で済ますくらいなら最初から言わない
なにより彼が出て行った理由を知りながらこんなことを冗談で言ってしまうのは、彼に対して失礼なことだ
「…………。帰るって答えること、分かったうえで言ってるんだろう」
「…………」
怒るわけでもなく、笑うわけでもなく、静かに彼はそう言った
彼は自分の言葉を受け止めたうえで、それでもなお自分を信頼してくれていることがわかる
確かに、自分の半分―――理性では、彼の選択はひとつしかないことを理解しているのだ
けれどもう半分の方はそうじゃない。感情にまかせて首を振る
「おい…………」
「たとえば、今みたいに。夜、お茶が飲みたいなーって思ったときに、真壁くんと一緒に飲めればいいなと思ったの」
「…………」
「一緒にテレビ見たり、他愛もない話したり……真壁くんがこの家に住んでたころみたいに」
彼がこちらに手を伸ばしたのは、空気が揺らいだ気配で分かった
その表情を見るのが怖くて俯いてしまったくせに、自分の主張は続けるなんて、卑怯だ
分かっているけれど、止まらない
――――――と、そのとき部屋の灯りが消えた
「え…………、っあ!」
突然の暗闇に驚く間もないまま、なにかに肩を掴まれ、そのまま床に倒れこむ
「なにか」といってもそれはひとりしかいない。その名を呼ぼうとした瞬間に、唇を塞がれた
慈しみがあるわけでもなく、自分を諌めるためでもない。そんな一方的なキスを受けるのは初めてのこと。混乱しながらも、押しとどめようとして彼の胸に伸ばした手は、もう一方の手とともに掴まれ、簡単に床に押し付けられた
部屋の内側からしか掛けることのできない鍵がやけに大きな音を立てる。鍵が掛ったのも、部屋の灯りが消えたのも、何かの事故というわけではなくいずれも彼の能力故と思い至った瞬間、混乱は、恐怖に変わる
「…………!?」
彼は唇を放した後も無言。横たえた蘭世に跨ったまま、おのおのの手で押さえていた両手首を左手だけで押さえ込む
そしてその唇は再び蘭世の元へと落ち―――今度は首筋へ。決して優しくない甘咬みと交互に辿り下りる舌先は、その先の行為に進もうとする意図を感じさせた
「いつか」こういうことを、する。そう思わないほど子供ではない
けれど、「今」は。まだ、心の準備が――――――
声を上げることはできないけれど、涙は出る
頬を涙がふたすじ伝い落ちたその瞬間、蘭世の手首を掴む力が緩められた
「おれがおまえに対して感情的になるってのは、こういうことだよ」
「……え…………」
「あ、いや、勿論『だけ』じゃないけど」
俊は蘭世の手首を解放し、その傍らに寝転がる
部屋の灯りを戻し、蘭世の濡れた目元を指先で拭って―――今度はつとめて優しくその肩を抱き寄せた
「はっきり言っとく。今、一緒に住んだら……お茶飲んだりテレビ見たりお話したり『だけ』じゃ済まない」
「………………」
「部屋にふたりきりになったりしたら、即、こうなる。ふたりきりにならなくても、寝込みを襲うかも……。ああ、風呂入っているとこを狙うかもしれねえな。それこそおまえの気持ちなんてお構いなしに」
「……ま、真壁くんはそんなことする人じゃ……」
「そんなことをする人なんだって分かったばかりだろ」
「!! だって今のは違うでしょう? それに真壁くんだったら、わたし……」
「おれだったらいい、とか言うなよ。泣いてたくせに。……脅しじゃねえぞ」
「――――――」
我ながら口が巧くないことは百も承知。根本的な部分では結局のところ、彼女と同じ気持ちがないわけではないというか
本当はそうしたいと思っているのも確かなので、いよいようまく伝えることができるかどうか不安なのだが
今よりほんの少し前。同じ屋根の下で四六時中互いの存在を確認できる日々を過ごした
その過去がなかったら、離れて暮らすことにここまで抵抗はないと思う(そもそもそれが普通だ)
贅沢を知っているからこそ贅沢になる。一緒に住む幸せを知っているからこそ、離れて暮らすさみしさが募る
そのさみしさに漸く慣れてきたところで、この年末年始だ
あの頃となにひとつ変わらないレイアウトの部屋、やさしく迎え入れてくれる家族、他にしなければいけないこともなくただただ穏やかに一緒に過ごす日々は、思った以上に揺り戻しが激しくて、「お互いのいない日常」に戻ることへの憂鬱は、多分彼女と同じあるいはそれ以上に重く圧し掛かる
たとえば先の彼女の言葉が、バイトやジム、学校の並立への労りを前面に押し出す言葉だったなら、そういうものとして全力で乗っかっていったかもしれない
けれど彼女は。建前や口実抜き、あくまで自分のさみしさを主体にして切り出してきた
本当は甘えてしまいたい、けれど決して甘えたくない
あの日から、気持ちをごまかすのはもうやめた。けれどできうる限りのハッタリはかます
自己満足かもしれないけれど、それでも彼女に対しては、せいぜい格好つけていたいのだ
そのために必要なのが、彼女の家と自分の家とのあいだの距離
「……さみしいのは……わたしだけ?」
「そう見えるのか」
「そう思いたくはないけど……」
「んなわけねえだろ」
先刻ほどではないものの、肩を抱く腕の力を強めたのは、潤んだ瞳を直視しながらごまかしない気持ちを口にするのはまだ至難の業だからだ
飢えた狼のつもりが、気がつけば飼い馴らされたワン公。ぶんぶん振って今にもちぎれそうな尻尾を、ほんのり眼隠しでごまかすくらいの抵抗は許されるだろう
「……明日からまた……お弁当持ってく、ね」
「…………。別に弁当無しでも来りゃいいだろ、おれだって昼間はまだ休みなんだし」
「!! うん…………!」
一気にその場の空気が変わる
腕の中で頷き揺れる髪の香りがそう思わせるのか、腕の中の存在それ自体がそうさせるのか
花が咲く。俊の撒いた水だけを吸い込んで
ほんの少し、いや大分かなり後悔する。何をって、色々だ
大事なことはもう言った。ここで二度目の未練を遠吠えしても、本筋はぶれないと思う、思いたい
さらに腕の力を強め、息をつく。―――花の香りが鼻腔をくすぐる
「……夜に来るなら……覚悟決めてからにしろよ」
「…………っっ」
この期に及んで「会いに来い」と言えないのはいっそご愛敬
至近距離の呟きは、互いの許容範囲をゆうに超える