・あらまし事:こうなったらなあ、と希望する事柄。
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「実は……願いごとなんて特にないんだよな」
「実は……願いごとなんて特にないのよね」
新しい年の幕開けは、澄み渡った青い空。デートも兼ねた、初詣に向かう途中だった
参拝客でごったがえす参道を並んで歩くふたりの言葉が、ぴたりと重なる
互いに顔を見合わせ、足を止め……かけて、ぞくぞくとやってくる人波に気づき
慌てて歩調を戻した
「……おまえもかよ……」
「真壁くんもなの!? こ、今年は大変な年だし、いろいろお願いごともあるかなって思って……その」
と、苦笑した俊を見やりながら、蘭世はもごもごと口ごもる
確かに、今年は年始早々みっちりと予定が組まれていた
親子で腕を奮ったという江藤家での正月料理も、もったいなくも控えめのところで堪えて
次の週末に組まれた試合に向け、心も身体も備えているところ
──────それに勝ちさえすれば、夢にまで見た世界チャンプ
とはいえそれは───いや、俊にとって、自分が望む事柄というものはすべて
存在するのかしないのか、それすらも怪しいものに頼るものではなく
自分の力で勝ち取るものだ
無神論者を気取りたいわけではないが、それに対してなにかを希うのではなく
なにかいいことがあったとき、その加護にそっと感謝する それくらいがちょうどよいのではないかと思う
だから今日は、どちらかというと、彼女の晴れ着姿を愛でにきたようなもの
ふたり並んで賽銭を投げ、ことさら真剣に拝むであろう横顔をチラ見でもできれば
今年もきっとよい年になるだろう その程度だ
先刻の言葉で、後者は完全に出鼻をくじかれた
期待を裏切らない、むしろそれをはるかに凌駕する艶やかな姿を目にすることは十分叶ったというのに
ちょっぴりがっかりしてしまったりしている己の貪欲さに、俊は肩をすくめた
「うん……でも、そうよね。真壁くんは、そういうことを神だのみにするひとじゃないもんね……」
それを眺めながら蘭世は、ほうっとため息をつく
──────だからこそ自分も、神に祈るのをやめたのだ
本当にたいせつなものは、自分の力でつかみ取らなければ意味がないのだと
言外で示しながら、ひとつひとつ壁を越えていく彼のことを
多分、自分がいちばんよく知っているから
「……………っと」
「……あ。ありがとう……」
階段に差し掛かったところで俊は、よろけそうになった蘭世の手をとる
自分の手とはまったく違う、大きくてあたたかな手だ
神様ではなく、この手が。彼自身の願いごとばかりでなく、自分の願いごとまでもすべて
叶えてくれるであろうことも、今の自分はよく知っている
すこし前なら怖くて言えなかったようなことも、言葉にすることができるのだ
──────そばにいて。はなさないで
もっとも、それを改めて口にする必要などない、やわらかな時間を
日々もらっているのが現状なのだけれど
「…………。願いごとはそんなにねえし……もう、かなったし」
というよりも。たったひとつの願いは、いつもそばにあり続けてくれたのに
手を伸ばす勇気がなかっただけの話
護っているようでいて、護られているだけの自分には
どれだけのものを返すことができるのか判らないけれど
その存在なくしてはきっと、生きていくことすらできないのだと悟ったのは
ほんの少し前のこと
生きるということ───その意味を、喜びを、教えてくれたのは
自分のそれよりもずっと、華奢でたおやかなこの手だ
手を握れば、そっと握り返してくれる。ほんの些細なその所作が、こんなにも自分を満たしていく
「……そっかあ……」
「ああ。…………よりによって神社の境内で何回も言うことじゃねえけどな」
「あ!」
慌てて蘭世はきょろきょろと、左右だけでなく上空までも見回して
しい、と、人差し指を口元に添えた
妙に真剣なその表情に俊は吹き出し、つられて蘭世もくすくすと笑い出し
再び人波に合わせて参道を並んで歩いてゆく
旧い年への感謝と、新しい年を迎えた挨拶のために
もう決して自分たちは、この手を離すことはないから