・散り交ひ曇る:花などが散り乱れる為に辺りが曇ったようになる事。


* * * * *







「おにいちゃん、今日はほら……ね?」
「………………」

休日の少し遅い朝食のあと、リビングでぼうっとテレビを眺めていた卓のもとへ
いそいそとやってきた愛良が問いかけた
最近、互いに顔を合わせてもそうそう喋ることも少なくなってきた。たまに話すといえば
リビングやらキッチンやらでちょっと仲の良すぎる両親の姿を目撃してしまい
避難して来がてらため息を吐き合うとか、あるいは今日のように、何か裏がある場合のみ
ミルクティを手に、無駄ににやにやするこの笑みは、ほんの少し前にも目にした。それはちょうどひと月前のこと
玄関先で愛良は、そのとき手にしていた大きめの包みと卓の顔とをじろじろと見比べながら
意味ありげに笑ったのだった

「もしかして、そろそろ出かけるの? あ、お返しはちゃんと用意した? なんならあたしが」
「うるせえな。ガキが余計な詮索すんな」

言葉少なに愛良の言葉をぶったぎってみるものの、いつもは昼過ぎまで寝ている休日にこんな早くから起き出している時点で
迫力も説得力もあったものではない。きっと母もなにかを察したのだろう。のそのそと現れた卓に、さほど驚くわけでもなく
いつもは用意しない卓の分の朝食を、ささっと並べてくれた

そう、今日はホワイトデーとか言われる日、なのだ。そのひと月前とは言うまでもなく、バレンタインデー。そして、卓の誕生日
触れちゃいけない、踏み込んじゃいけない───そう思っていた五つ年上の従姉妹から、プレゼントをふたつ貰ってしまい、現在に至る
お返しは期待するな そう予防線を張っておいたけれど、それは決してお返しをしないという意味ではない
とはいえ本当に、見た目的にもお値段的にも大したものを渡せるわけではないから、前もって連絡を取るというのもはばかられた
まったくのアポなしで訪問し、もし彼女が留守ならそれはそれで、時間をつぶしがてら待とうと思ったが故の、今日の早起きであり

「あ、ココおねえちゃんは今日、一日中お城にいるって───」
「……うるせえな! ガキが余計な詮索すんなっっ」

卓はおもむろに立ち上がり、なぜか常に重要な情報を握っている愛良をひと睨みしてリビングを後にした
睨んだところで、同じ言葉でしか反論できない分、やはり全く持って迫力も説得力も皆無だった







* * *



「愛良……あんまり卓をいじめちゃ駄目よ?」
「あ、おかあさん……聞いてた?」

卓がバタバタと部屋へ駆け上がり、やっぱりバタバタと玄関へ駆け降りて家を出て行ったそのすぐ後
愛良がひとり残されたそのリビングには母がやって来た
手にした盆には、ブラックとミルク入りと、コーヒーカップをひとつずつ。すぐに父もここへやってくるのだろう

「だって面白いんだもん! おにいちゃんてば、いつもはぶすっとしてるのに、ココおねえちゃんが絡むと途端にあせっちゃって」
「確かに口数は増える気がするけど……。でも、他の誰かのことを想って、ドキドキしたり嬉しくなったり不安になったり
そういうのが恋だと思うのよ。それをからかったりするのは、あまりいい趣味ではないわ」
「う〜〜〜ん……」

苦笑混じりで自分を諌める母の顔を見ながら、愛良はクラスの友人たちのことを思った
例えば3組のなんとかくんと朝すれ違ったとか、おはようの挨拶を交わしたとか、逆に今日は一日中会う機会が無かったとか
休み時間の他愛もないおしゃべりの中、想いを寄せる異性のことが話題に上がることが最近多くなった
そのときの友人たちは、とても楽しそうだ。例え“会えなかった報告”であったとしても
反して自分にはその経験は───まだ、ない

そして、何も友人たちを思い出さなくとも、万年恋しあっているような人たちが常に自分の目の前にいる
この質問はあまりにも野暮かもしれないけれど、それでも敢えて問いかけたくなってしまい

「……おかあさんも、楽しかった?」
「もちろんよ! いろいろあったけれど……楽しかったわ。今も充分過ぎるくらい幸せだけれど」

敢えて問いかけた言葉に、やっぱりというかなんというか、寸分違わず全肯定
“今”という言葉で、後から出てきた自分たちという存在のことを含めることも忘れない
もともと見た目も中身も若いけれど、まさに少女のように頬を薔薇色に染めながら
けれどしっかりした口調でそれを言い放つ母を眺めていると、自然と口をついて出てくるのはこんな言葉だ

「あ───あ、あたしも恋したいかもっ」

ソファから見るとちょうど棚の陰になるリビングの入り口で、もう一歩を踏み込むタイミングを完全に逃してしまい
結果的に聞き耳を立てる形になってしまっていた父は、その瞬間、微妙な顔をした







* * *



実は彼女は、相当な甘党なのではないかと今更ながらに卓は思った

小さなころはともかく、最近になってからはあまり足を運ぶ機会のなかったこの城での、最も色濃い記憶といえば
クリームこってりのケーキや、チョコレートムース、フルーツいっぱいのタルト……他、卓に名称が判別できるもの以外にも
たくさんの菓子が、通された部屋のテーブルの中央にいつもどどんと積まれていたことと
それをもりもり食べる叔父と叔母と母と、あからさまに胃もたれを起こしたような表情でそれを眺める父の姿
そしてご多分に漏れず彼女もその席で、ケーキやらなにやらをぱくぱく食べていたような気がする
今の彼女と向かい合って座ったテーブルの中央にも、流石にその規模は異なるものの
この人数(二人)でのお茶請けというには、いささか量が多いのではないかと思われる山盛りのシュークリーム
(クロカンブッシュとかいうものなのだと彼女は言っていた)が陣取っており

「ど……どうかした?」
「あ。…………い、いや……」

どうやら、かなりの仏頂面でテーブルを眺めてしまっていたらしい
空いた椅子に置いた小袋と、毒々しいまでの甘さを潜んでいそうなそれとを見比べながら
たった今メイドが淹れてくれたばかりの紅茶を飲み、そのまま何事も無かったかのように帰ってしまおうかと思った、などと
本当のことは言えず、卓は曖昧にココの言葉を流した

持参してきたのは、四季の彩───それぞれ、さくら  あじさい  ぶどう  みかん───を模した金平糖
この時期になればわらわらと増える特設スペースで扱われているようなお決まりの菓子は
逆に食べなれていて、つまらないのではないかと思ったのだ
故に、魔界には多分存在しないであろうという観点から、金平糖に白羽の矢が立ったわけなのだが
食べなれている=甘党(かも)という図式はそのとき頭からすっかり抜け落ちていた
そりゃ、金平糖だって原料イコールほとんど砂糖なのだから、甘いという箇所だけ見れば用は満たしているのかもしれないが
いわゆる甘党の女の子が求めるものとは、ちょっとばかりずれる気がする
かりかりしょりしょりよりもふわふわしっとり、素朴な甘みよりも濃厚な甘ったるさ  が、より喜ばれるのではなかろうかと
それなりに店を回って得たはずの結論が、根本から覆され始めてしまった

一方、ココのほうはといえば
あの日――バレンタインデーに具体的な約束はしなかったけれど、今日という日に卓がわざわざ自分を訪ねてくる理由くらい
判っていたし、そうであって欲しいと願っていたからこそ、丸一日予定を空けた
今は、目をやってはいけないいけないと思いながらも、卓の座ったすぐ隣にある椅子にぽんと置かれた小さな袋に
ついつい視線が寄っていってしまうのを懸命に堪えていた
たまに人間界へ突撃することはあったけれど、卓とふたりきりで会うなんてことは皆無に近かったから
お人払いをしてみたものの、何を話せばいいものやらさっぱりだった
今日こそはケンカ腰にならずにいたい───そう無駄に力んでしまっているせいもあるかもしれない

手持ち無沙汰のままココは、テーブルの中央に視線を移す
またしてもの愛良情報によると、卓は、それほど甘いものが好きなほうではないが、チョコレートだけは別格らしい
がっつりとではなく小単位で出されると、意外に食が進んでいるという
故に用意してみたクロカンブッシュ。チョコがけシューのひとつひとつは、プチシューというだけあってかわいらしい大きさだから
きっと気に入ってくれるだろうと思ったのだ
───よもやそれが今、卓に強烈な威圧感を与えているなどとココは露ほども見て取れず、小皿を手にシューのタワー
卓に言わせればシューの山を指差す

「た……食べる?」
「……朝、食ってきたばかりだから……」
「───あ。そ、そう……?」
「………………。それより、これ」
「──────!!」

と、卓は早々に目的達成に打って出た
時が経てば経つほど、いたたまれなくなっていくような気がする。それでも自分はあのとき、これがいいと思ったのだ
ココが気に入る気に入らないは別にして、そのことだけは伝えておかなければいけないと思う。めげてしまう前に

「……あ、りがとう……」
「…………どういたしまして」

小皿を取り落としそうになったのをようやく押さえ、ココはこちらを凝視する
そしてそれを両手で受け取った瞬間、満面の笑みが広がった
本当は、手渡したら即座に逃げ帰ろうと思っていたのだ。けれどその笑顔にはことごとく魅せられてしまい
一瞬腰を浮かしかけたのを、結局椅子に座りなおしてしまった。───座りなおした瞬間に、ココは
袋の中をちらと覗き込んでしまい、卓は一瞬ぐっと詰まる
手渡した小袋それ自体は、ぴっちりラッピングされたものではなくただの運搬用
口を軽く折っただけで、それをめくればすぐ中身が目に入ってくる
通常ならさらに本体が包装された状態で入っているだろうから、何の問題はなかったのだが、今回は残念ながら違った
金平糖そのものの色合いが勝負なだけあって、本体そのものの包装は透明なシートで軽くくるんだだけだからだ

「これ……なあに?」

ココが手にしたのは、ちょうど今の季節。ピンクの“さくら”

「こ……金平糖って言うんだけど」
「こんぺいとう?」
「ああ。よく知らねえけど……こう、砂糖をがらがら煮詰めて作る、飴みたいなもん」
「へえ…………。開けていい?」
「どうぞ」

いそいそとココは包装を解き、手のひらにそれを載せたまま、もう一方の手の指先で金平糖を一粒つまみ
窓のほうへ向き直った

「すごい……ひとつひとつがつやつやしてるのね。素敵」
「そ……そう、か?」
「ええ、とても綺麗……」

つい先刻まで、金平糖業界に喧嘩を売るかのような悩みを抱えていたというのに、我ながら現金なものだ
窓から差し込む光に向け、指先の角度をくるくる変えながら、無邪気に喜ぶ姿を見るだけで
過去、金平糖を選んだ自分のことを手放しで絶賛したくなる
そして今、目の前で金平糖を食い入るように見つめる相手のことは

「………………」

確か、前にもこんなことがあった。理論立てて導かれた結論に従ってではなく、無意識のうちに体が動いてしまうというか
おかしいおかしくないでいえば、きっとそのころからおかしい
けれど特にひと月前のあの日から、どうにも具合がよろしくないのだ
それまで見たこともなかった、花のように穏やかな微笑みを、目前で見てしまってから

気持ち見上げていた背丈もいつのまにか追い越してしまっていて、手を伸ばせばココの肩にも頬にもすぐ届く
そのせいなのか、はたまた、余計な知識をつけてしまったせいなのか
勝手に体が動いてしまうその衝動的な感覚も、自分でも押さえられないくらい強くなってしまい

「───―あ! ……ぇ」
「!?」

不意にぐいと肩を引いたその反動で、ココの手元から桜色の金平糖が零れ落ちていくのと
それに気づいたココが、散らばる桜色を目で追い、慌てて屈んだのと
唇に触れる筈だった卓の唇が、ココのつるんとした額をかすったのと、それらは全てほぼ同時
なにかが触れた額を押さえながら(そして結果的に金平糖は全てばらばらと零れてしまった)ココが顔を上げたのと
予定外の場所に触れてしまった、その“なにか”を押さえながら卓が赤面したのもまた、ほぼ同時だった

「〜〜〜〜〜〜っ!!」

卓はガタンと椅子を蹴って立ち上がる。その瞬間ココは、自分の額になにが触れたのかを悟った
かといってそれを追究することなどできる筈もなく、口をぱくぱくさせながらただ卓の顔を凝視する
その顔を全く見ずに卓は、ようやくこれだけ口にした。その声音は裏返っていたかもしれない

「お、おれ、帰るからっ……!!」
「え……、た、卓!?」

子供のころから鍛えてきた足腰は、こんな場面でも遺憾なくその威力を発揮した





勝手知ったる細道を抜け、扉の向こうへ猛ダッシュ
途中、江藤家で祖父だか祖母だかに声をかけられたような気がするが、振り返る余裕などない
ただひたすらに走り、ちょうどひと月前の場所にさしかかったところで卓は足を止め
その場にへたりと座り込んだ

「……あああああああ………」

より正確にいえば“あ”に濁音がついた発音で、卓は呻く
最悪だ。なにもよりによってあのタイミングで、狙い済ましたかのようにそんなばらばら零れなくてもいいだろう
───零れるような真似を突然したのは自分なのだが
しかもココがあんなに喜んでいたのに、金平糖は結局半分以上───多分、全部、ドレスから床へと零れ落ちてしまった
───零れるような真似を突然したのは……以下同文

家を出るときもそして今も、春めかしく穏やかな晴れ空。だというのに、心なしか自分の周りだけは
空気がどんよりと淀んでいるようにすら思えてくる
卓は深いため息をつきつつ立ち上がろうとして、挫折して。再びその場に座り込む
頭上をお気楽に流れていく薄雲と、咲き誇るというにはまだ早い桜の枝とを、しばらくそのままぼうっと眺めていた