・輝う:きらきらと光って揺れる。煌めく。


* * * * *







久しぶりに帰った、住み慣れた我が家
リビングを覗くと、例のごとく指定席───三人掛けのソファの左側───にそのひとは足を組んで座っていて
母と、その助けになるのかどうか正直微妙な妹と。女ふたりくるくると忙しそうに動き回っているキッチンを横目で見つつ
卓はその背中に呼び掛けた

「とうさん。ちょっと今……いいかな」
「───ん?」

頭の後ろで組んだ手を解き、卓の父である俊は振り返る
五つ並んだ席のうち、卓の指定席(家を出たあともそれは変わらなかった)を、ちらりと見ながら俊は苦笑した

「なんだ、改まって」
「あ、いや、ちょっと……ここじゃなく、外に」
「?」

音量を下げるべくテレビのリモコンを手にしかけた姿勢のまま
俊の苦笑まじりの表情にはさらに、疑問の色が浮かぶ

「あ、あの、そんなに時間はとらせないから」
「いや、出るのは構わないんだが……そろそろ来るんじゃないか?  彼女たちが」
「そう……なんだけど……」
「?? まあ、出るか」

疑問符を散らしながらも俊は席を立つ
卓はほっと息をもらしつつ、その後に続いた





ともに暮らしているはずの“彼女”すなわちココが、卓とは別に、しかも複数人連れ立ってやってくるのには
それなりの理由がある
昨日卓とココのふたりは、今日とまったく同じ理由のもと、ココの家である魔界城へ挨拶に行った
二人で来たと思いきやすでに三人であることには、いささか驚かれたものの
結婚するという決意そのものには、時間の問題だったことも手伝い、これといった反対はなかった
むしろ、今更な感があるところをきちんと筋を通したことを、褒められたりもした

───が。次の日すなわち今日、真壁家へ挨拶に行くとこぼした瞬間
その双子の兄とはまったく異なり、よく言えば奔放な魔界の王が、目をらんらんと輝かせながら
一家総出で出向き、御両家初顔合わせ(?)と行こうなどと提案してきたのは
単にヒマだったからというわけではなく、ちょっとしたイヤガラセも入っていたのかもしれない
結果、突然の決定を伝えるべく卓は、ココを残し大急ぎで真壁家へ足を運ぶ羽目になり
今日、卓が再び家へとやってきたころには既に、キッチンがフル稼働となっていたという次第
なにか手伝うにしても、かえって邪魔になるというのが、お粗末ながら確実な解答で
父はリビングにひとり座っているしかなくなった
故に今こうして声を掛け、呼び出すという行程を運びやすくなったのだから
五分五分といったところなのだろうか





とりあえず外に出てきたものの、店が開くにはまだ早い時間帯であり
結局ふたりが腰を落ち着けたのは、初夏の緑溢れやさしい風がふく近所の公園のベンチ
これといって他に人影もない中、缶コーヒーのプルタブを開ける音がやけに大きく響いた

「…………で、何だ? 話って」
「う、うん…………」

コーヒーをひと口くいっと飲み、俊は卓を見やる
缶の側面に描かれたロゴの炎と俊の横顔とを見比べていた卓は、ずっと父に問うてみたいと思ってはいたものの
どう言葉にしたらよいものか、結局今の今まで整理しきれていない疑問を
ぐるぐると頭の中で反芻していた





それは、自分が生まれるほんのすこし前のこと。種族が違う、ただそれだけの理由で
この世界を追われたことがあったのだという
初めてそれを耳にした瞬間こそ、やりきれない、怒りにも似た感情を覚えたものだったが
それなりに、大人の仲間入りをするかしないかの年齢を迎えるまでになった今となっては、なんとなく判る
人は誰しも、自分とは違う異質なものに対し、多少の差はあれど恐怖心を覚えてしまうこと
その恐怖心を、興味に昇華し共生の道を見出すか、あるいはとことん嫌悪或いは憎悪の目で見続けるか
それは文字通り、人それぞれでしかありえないのだということ

だからそれ自体は別にいい。ただひとつそれでも理解できないのは
父や母が、何を思って再び人間界で生きていくことを選んだのかということだ
“別にいい”そう自分が割り切れてしまうのは、自分が当事者ではない
(その場に一応存在はしたものの、記憶はまったく残っていない)からという部分が大きく関与している筈なのに

一瞬。ほんの一瞬だけ、特殊といえば特殊な父の生い立ちのことを思った
けれど、当時のいざこざを未だ根に持ち魔界に住まうのを嫌がるほど、自分の父親は狭小な器ではない
そうでなければやはり。小さいうちから海外旅行に行かせたがるのと同じ感覚で
父の子供、すなわち自分には広い世界を見せておきたいという方針のもとでの決断だったのだろうか
それくらいしか考えつかなかった

だとしたら、将来の伴侶を魔界の者、しかもかなり近しい親戚筋から選んだ自分を父はどう思っているのか

父はことごとく無口だ。そしてその血は間違いなくまっすぐに受け継がれており、自分も言葉が少ないほうだ
かといって、互いに話すのが苦痛というわけではないから、話し合うべきことは都度話し合ってきたし
お喋り好きな母や妹が加わればなおのこと、名実共に円満な会話状況・家庭環境であったと言えるだろう
けれど、ことこの問題に関しては、問題が問題なだけにある意味仕方ないことなのかもしれないけれど
父の口から言葉にされることは、見事なまでにただの一度もなかった

流石に、無関心というわけではない……と、思いたい。故に、何も言わないことそれ自体が“本音”ではない筈
それを聞いてみたいのだった。この重すぎる父の口から
父に限らず母に対しても、余計な心労を掛けずにすむという意味では、良い選択なのかもしれないけれど





「おれって……結局、魔界人でしかないんだなあと」
「は?」

蘭世以外みな持ち合わせている便利な能力は、無闇やたらに遣わないこと
それは、やはり蘭世以外の間で自然とできあがった暗黙のルールだったから
いかに直前の問いかけから今までの沈黙が長かったとしても、俊は決して卓の胸のうちを覗いたりしない
故に、その過程を飛ばしてしまうとあまりにも突飛すぎる卓の言葉に
俊は飲みかけの缶コーヒーを取り落としそうになった

「……残念ながら、おまえの親もふたりそろって魔界人なので……その辺はそろそろ諦めてもらうしかないんだが……」
「!! い、いや、そういうことじゃなくて…………!」

しまった、いくら言葉が難しいとはいえ、こんな持っていきかたはあんまりだ
ぐあっと顔に血が昇るのが判る。卓は卓で、いつの間にか握り締めていた缶コーヒーを取り落としそうになり
それをすんでのところで取りとめて、ようやく覚悟が決まる

「ま、魔界の中でしか、その……色々と選ぶことができなかったんだな、と」
「…………。それを言うなら、おまえのおふくろだって魔界人だろう」

その返答に卓は、俊が自分の言葉の深意を汲み取ってくれたことを感じた
何を言わんとしているのか、大筋の部分は伝わった。けれど、いま問題にしたいのはそこではない

「とうさんとかあさんの場合は、違うじゃん」
「は!? お、おまえ、どこまで知って…………」
「へ!? ……いや、よくは知らないけど! じいちゃんの本でくらいしか!!
と、とにかくおれの場合は……この際だから言っちゃうけど、結局、最初っからあいつしか目に入ってなかったっていうか」
「…………はあ」
「何ていうか……視野が狭いのかな、と。せっかくこっちに住んでたのにさ……」
「………………」
「……とうさんは、そういうのを踏まえてこっちに住もうと決めたんじゃないかと思って」

途中、余計なことまで口走ってしまった気がしなくもないが(そして余計な動揺をさせてしまった気がしなくもないが)
言いたいこと・問いたいことの七割方は言葉にできた。……ものの、やりとりの中だんだん目を逸らしていってしまった
項垂れ、缶コーヒーの縁を額に押し付けつつ、黙ってしまった父のほうをそうっと見やると父もまた缶コーヒーをじっと見つめていて
そっとこちらに向けられた視線とぶつかった瞬間、照れ笑いとも苦笑ともとれる微妙な表情をしながら口を開いた

「そんな、よくできた親じゃなかったな、おれは」
「え…………」
「もともとこっちで住んだ時間のほうが長くて、こっちのほうが勝手がよくわかっていたからってのもあるし
ボクシングを捨てられなかったってのもあるし……ああ、でもやっぱり
向こうの空気が自分には合わないと思ったってのが、一番の理由か……」
「空気……」
「考えてもみろ。向こうに住んでたら、アロンみてえな格好で年がら年中過ごさなきゃならねえんだぞ」
「………………」

一瞬、魔界という場の持つ、一種独特な雰囲気というか閉塞感を嫌ってのことだろうかと思ったのだが
世にもおぞましい。そう言いたげな俊の表情は、心からのものだった
過去になにかあったのだろうか。興味をそそられるものの、ここでそれを追究するのは控えようと思った。何より命は惜しい
と、言葉は控えたものの、釘付けになってしまった視線に、その意はにじみ出てしまっていたらしい
ゴホンとひとつ咳払いをし、俊は崩れた表情をもとのポーカーフェイスに戻した

「と、とにかく。こっちに住もうと思ったのは、おれ自身の事情があったからってだけの話だ
別に、そこでそんなにおまえが気負う必要はない」
「…………でも」
「かえってそのせいで、どこぞの誰かにはやりづらいことも多々あったんだろうと思うと
こちらこそ申し訳ありませんと言いたいくらいだが」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ」

そこで一旦言葉を切り、俊は意味ありげににやりと笑う
ココの住む(住んでいた)魔界と、自分の住む人間界とを結ぶ道は、ただひとつ
江藤家にこっそり、足しげく通う姿を、俊が目にしなかった筈はない
なんだかいたたまれなくなり、ずるずると沈みかけた卓のとなりで、足を組み替えながら俊は
残りの缶コーヒーを一気に飲み干した

「これはおれの勝手な想像というか……願望ではないと思うんだが」
「え」
「それぞれの世界の、良いところも良くないかもしれないところも見極めることができているんだし
そのうえで選んだ結果だろう。……おれはそれで十分だ。あとは勝手にやれ」
「………………」

勝手にやれということは。肩を並べるにはまだまだ程遠いにしても、ある程度以上自分は認められているということだ
小さなころから、そして今も、自分にとって理想の姿以外の何者でもないこのひとに

「おれ、結婚するよ。ココと」
「…………ああ」

改めてその場・父の目前に立ったなら、照れと緊張の極致で舌を噛んでしまうのではないか
そう思っていたこの言葉が、なぜかいま、するりと口をついて出た。むしろ言いたくなった
俊はその瞬間ニッと笑い、卓はつられて同様に笑った。───それ以上、言葉は要らなかった

吹き抜ける風と、緑から零れる光が眩しい