『おまえに言われたくねえよ』
苦し紛れだったのであろう彼の台詞は、意外に、的のど真ん中とまでは言わずとも
中心寄りの微妙なラインを射抜いていた
ゆりえが、親の決めた見合い話とやらを話題に出したのは、ちょうど三日前のこと
受験を控えた克の開くテキストを眺めながら、ふと、なんでもないことのように
「──────見合い?」
「ええ。……まあ、そんな本格的なものではなくて、お会いしてみるって程度だけれど」
その年令からいっても、あまりに突拍子もなく思われるその単語を復唱した自分のアホ面に対し
当の本人の反応は冷めたものだった
「父の会社のお取引先の方の、息子さんですって。先方はたしか……五つ年上とか」
「ってことは……23、4か! わ、若すぎねえか!?」
「……父の意向みたい。お若いうちからうちのグループ会社に迎えて
経営ノウハウを教え込もうとしているらしくて」
「え、だっておまえ……、は」
学年首席で卒業し、今は大学生の彼女が選んだのは、法学部
ちらと案内を覗いたところによると、“経営学的な視点から見た法解釈”に力を入れたカリキュラムが
組まれているとのことで
じゃあ、なぜ彼女がそこを選んだのかといえば
「…………父は、女性が経営に携わるのを、あまり好ましく思われてはいないみたい」
「じ、じゃあ、なんで…………あ」
なぜ、女性である彼女を引き取ったのか
するりと滑り出してしまいそうになったその言葉を、克は慌てて口を押さえとどめる
…………が、時すでに遅し
ゆりえは、何も言わずただ静かに微笑んだ
「…………わ、悪い……」
「いいえ。……それは、わたし自身もすこし前に悩んだことだから」
「………………」
「父は、多角化志向の強い方なのよ……業種的意味でも、人的意味でも
そしてそれは、私があの家に迎えられるより前から、ずっと」
「……は? はあ…………」
「……養子として息子を迎えたとしたら、それはそれで立派な跡継ぎにはなってくれるでしょうけれど
娘を迎えたとしたら……新たな経営範囲が一気に広がる可能性もついてくるわよね」
「!!」
──────まさに今、父が用意したこの状況のように
とまで、口には出さなかったものの、伏した瞳の色は何よりも鮮明にそれを映し出し
克は言葉を失った
しかしその瞬間、ゆりえはその場の空気を晴らすかのように、にこりと笑う
「…………なんて」
「え」
「すごくいじけたときに、こんな意地悪な解釈をしてみたこともあったけれど……
実の両親を知らないわたしが言うのは何だけど、父も母も本当の親子のようによくしてくれたわ」
「あ……ああ……」
「……だから、わたしを引き取ったやさしさの裏に、そんな大人の事情があっただなんて
本気で思っていたりはしないから、そんな顔しないで」
「…………そ、そうだ……よな……はは、は……」
その笑みに、克はほっと安堵した
そもそも、娘を迎えた理由の一部であるかもしれない“大人の事情”など
とんと見当すらつかなかった自分には、はかりしれない領域できっと
彼女は思い悩むことがあったに違いない
人に与えられた、少なくともそのひとつは何よりも信じてよいもの
それは、親の愛情だと思う
悩んだ末、それすらも穿った見方をしなければならなくなってしまったのだとしたら
とてつもなく、不幸なことだ
「ふふ。……でも、本当によくしてくれたから、逆にそれならそれでいいかなんて思ったりもしたのよ」
「……お───い……それとこれとは…………」
「でも今は、そんなの絶対にいやだなって思っているの。どうしてかしらね……」
「………………」
そう言って、ゆりえは克の顔をまっすぐに見つめた
永遠に結ばれることはない そう思っていたのが実はずっと両想いだった
変な意地を張らず一歩踏み出せば、物事は案外うまくいくものなのだと知った今でもなお
克は、甘いひとときというものが、どうにもこうにも苦手だった
故に、そんな方向へ話が進もうとするやいなや、むりやり話題を転換してしまうのが常で
このときも、いつもと同様にその空気を流そうとして
「……そ、それよりさ」
「…………え?」
「おまえ、オヤジさんと話し合ったほうがいいぜ
下手な婿なんかとるより、おまえを社長にしといたほうが絶対いいから!」
「………………」
目を泳がせた克の顔を、ゆりえは訝しげな表情でじっと見る
開いたままほったらかしのテキストに手を伸ばし、それをぱたりと閉じながら
ふうっと深いため息をついた
「うんと遠回りすれば、そういうことではあるのだろうけど……」
「え」
「もちろん、今すぐどうこうとまでは求めないけれど……
こういうとき、もっと直接的な言葉を望んでしまうのは、ワガママなことなのかしら」
「え…………」
それだけ言うと、ゆりえは品の良い形のバッグを手に、立ち上がる
そしてそのまま、玄関のほうへと歩いていった
「ゆりえ!?」
「………………」
「お、怒った……の、か?」
「いいえ、別に……。そろそろ帰ろうかなって」
あわてて追いかけた克を振り返るその表情には、実際、怒りの色も哀しみの色も浮かんではおらず
むしろ、なぜそんなことを聞くのだと言わんばかりの表情をしていた
「え!? いや、だって、その、まだ話が…………。いや、じゃあ、送る……」
「送らなくていいわ。まだ外は明るいし。お勉強、がんばってね」
「や、でも」
「──────克」
「え。…………っっ」
言葉を遮るように名を呼んだその唇は、返事をしようとした克の唇をも塞いだ
思考がぱたりと止まること、数秒間
息をつぐのも忘れてしまうくらい、そのやわらかな感覚に酔いしれて
ふたたびその唇が離れていってしまうのを、なんだか他人事ででもあるかのように、克はただぼうっと眺めていた
キスをした。そう理解するのにほんの少し時間を要した
「! ゆ、おま……っっ。今……!!」
「……わたしは、世間知らずのおばかさんだから」
「は!?」
口元を押さえあたふたする克の様子を眺めながら、それをなだめるわけでもなくゆりえはいたずらな微笑みを返した
「さっきの言葉だけじゃ、克が、わたしがお見合いなんてけっちゃうに決まってると信用してくれているのか
それとも、わたしのお見合いなんてどうでもいいと思っているのか……わからないのよ」
「そ…………」
そんなわけあるか! そう返そうとして、実際、行くなとか断れとか、具体的な言葉は何ひとつ
口にしていないことに気付き、克は律儀にも口をつぐんでしまう
「ふふ。受験勉強でいそがしいところを申し訳ないけれど、わたしからの宿題をひとつ」
「……え?」
「先方とお会いする日取りは来月の頭。このままだと、わたし……OKしてしまうかもしれないわ」
「はあ!?」
「だからそれまでに、わたしにどうして欲しいのか……わたしにもちゃんとわかるような言葉を考えてみて」
「………………!!」
「それじゃ」
「……お、おいちょっと待て、ゆりえっっ」
に───っこりと。満面の笑みを残し、ゆりえはあざやかに克の腕をすり抜けてその部屋を出ていった
残された克はあっけにとられるしかできず───へなへなとその場に座り込んだ
そしてあの日以降はじめて、ゆりえが部屋へとやってくるのが、今日
考えずとも、何を言えばいいのかは判っている
けれど、どう言えばいいのか判らず、気の利いた言い回しなど到底できっこない
自分が情けなくなっているだけ、どうどうめぐりというのが正直なところ
「…………あいつも、こんな感じなんだろう……なあ……」
克はふと、昼間、我ながら陰険にいじめすぎたと思われる
下級生のくせにやたらと態度のデカイ部活仲間の色男を思い出し、ほんの少しだけ反省した
けれどその後も、克の、何かの腹いせのような彼いじりは順調に続いたという