・夢の直路:夢の中で恋人の元へ通う真っ直ぐな道。


* * * * *







それにしても天国というところは本当に住みやすいところだと、改めてカルロは思う
自分が生前存在していた場所・状況とは、あまりにも極端すぎて
比較の対象とはなり得ないと頭では判っている
けれどそれを差し引いても、この、神の絶対的な加護のもと、常春のごとく咲き乱れる花々と
静かな時の流れは、ときにため息をもらしてしまうほどであり、カルロの心を穏やかにさせた
昼を夜を問わずしっぽりと互いを愛しみ合うふたりを平然と素通り、或いは
二千年後の彼ら(とくに“彼”のほう)もあれだけ積極的であったなら、さぞや話も早かっただろうと
突っ込みを入れるだけでとどまる程度には

「……あのふたり、仲いいねっ」
「そうだな。…………!?」
「あ、ちゅーしてる」

最初、なんの違和感もなく答えてしまった。あり得ないという意識が強すぎたせいもあるのかもしれない
慌てて声のした方───自分のすぐ右隣下方───を覗きこむと、言葉の主は、そのはるか前方・
花の中でなにやらよさ気な雰囲気をかもし出すジャンとランジェの姿に釘付けとなっていた
爛々と輝くその目をすぐさま掌でふさぎ、それをひょいと小脇に抱えてカルロは
二人の睦事が視界に入らない程度の場所まで、その身を進ませた





「………………」
「あれ、もう終わり?」
「……おまえ…………。どうやってここに……」

鴨やら白鳥やらが優雅に泳ぐ湖のほとりまで来て、カルロは抱えあげていた卓を解放した
まわりを見回しながら、卓は無邪気ににこにこと問いかける
ここまで運んできた道中も、彼はなんだかやたらと喜んでいた。こっちの気も知らず気楽なものだ
それと重なる形でカルロも問いかける
ここは天上界。常識的に考えて、彼がここに存在すること自体“あり得ない”
というよりも“あってはいけない”ことのはずなのに

「どうやって、って……飛んで来たんだよ。こないだおじちゃんが帰っていくところをこっそり尾けてて」
「飛んで……」

いわゆる天に在りながらカルロは、さらに天を仰ぎたくなった
子供ながらにそれなりの能力を保持していることは知っていたが、さすが彼の息子だけあって
やることが非常識すぎる
───と、ときに大胆というか無鉄砲に突っ走る感のある彼の母親よりも
ある意味においては常識的なのではないかと思われる彼の父親のせいにして、カルロは自身の葛藤を抑えこんだ
呆れながら凝視するカルロの視線をよそに、卓はぺたぺたカルロの腕に触れ
なにがそんなに嬉しいのか、にこにこと笑いながら言う

「なんか不思議だね。おじちゃんが、ちゃんと……形があるっていうか。いつもとちがって透けてない」
「ここは、そういうところだからな」
「へえ───……」
「……ところで、何故ここに来ようと思ったんだ?」

胸元のポケットから煙草を取り出そうとして、やめて。カルロはもうひとつの核心を問う
興味本位でやって来るにしても、次元が違う

「…………ぼくはもう小学生だよ。ひとりになりたいときもあるのさっ」
「そうか。じゃあわたしは去ることにしよう」
「あ───! 行っちゃだめ! おじちゃんとお話したかったんだってば!!」
「………………」
「エヘヘ」

最近彼の元へ足を運ぶことが少なくなったのも、同じような理由からだった
実際、その場から立ち去ろうとしたカルロのスーツの裾をがっちり掴みながら、卓は必死にそれを引き止める
無言のままそのとなりに腰をおろすと、彼は顔をくしゃくしゃにして笑った
さすが彼女の息子だけあって、あどけないこの微笑みははからずも心を和ませる
───と、どう贔屓目に見ても父親のほうに似ているその顔を眺めながらカルロは思った

「……何かあったのか」
「…………うん、あの……。ひとと違うのって、なかなかきびしいよね」
「………………」

おおかた(また)父親と喧嘩をした、ここに来るくらいだから、その原因が相当納得いかないものだった
そんなところだろうと勝手に踏んでいたのだが
また随分と、子供らしからぬ大きな命題を掲げてきたものだと思った
程度の差こそあれど、彼と同様“ひとと違う”者として27年生きたものの、その答えは曖昧なままだ
自分の場合それを利用こそすれ、思い悩むこと自体あまりなかったから

「ぼくね、かけっこ、速いんだ」
「かけっこ? ……ああ、走るのが、か」
「うん。こないだも一等賞とっちゃった。そのときはすごくうれしいんだ、けど……
後になっていつも、あ、ぼく、もしかしてずるしちゃってるのかなって思うの」
「………………」
「それに、これはたま〜にだけど……聞きたくもないことが聞こえちゃったりもするし」

その能力はきっと父親譲り。“聞きたくもない”ということは、自分で制御しきれていないということなのか

「……それが、辛いのか?」
「ううん、ぼくはもう慣れちゃった。けど、いもうとも……愛良もこんなふうに
疲れたり、やな思いしたりするのかなって」
「………………」

正直なところ自分は、子供というものが苦手なのだ
つい最近まで、その妹に親がかかりきりになってしまうことに不機嫌になっていたというのに
いつの間にかそんなことも飛び越えて、唐突に大人びた表情を見せたりするから

「……別に、そこまで卑屈になる必要はないだろう」
「?? ……ひくつ?」
「ああ、いや……悪いほうへ考えすぎということだ。ずるいことなど、ひとつもない」
「でも…………!」
「その優れた力“だけ”で、一番を手に入れたわけではないのだろう?」
「………………」

その瞬間、彼がほっと一息つくのが判った

奴───彼の父親はいったい何をしているのだ。そう思いかけて、一瞬にして思い直す
子供ながら、なかなかの意固地さを見せる彼のこと、自分が悩んでいる片鱗すらも見せずにいるに違いない
彼が隠している以上、それに気づかないふりをし続けるのもまた愛情というもののひとつ
本当に駄目になってしまうその前に、引っ張りあげる手段を備えながら
故に、こんな台詞を彼に伝えることができるのは、第三者である自分しかいないのかもしれない
(し、きっと彼もそれを望んできたのだろう)

「……残念だが、もうひとつのほうは諦めるしかないかもしれないな」
「え」
「誰だってありのままに生きたいと願うだろう。けれど、理由は人それぞれだが
本音……本当の気持ちをすべて表に出すことができる者などいない。おまえがたまに耳にしてしまうように」
「………………」
「哀しいことだが、誰しもゆくゆくはそれを知ることになる。そうしなければ、うまく生きてはいけないことも
おまえは……そしてきっと妹も、それを知るのが他の者より早いというだけだ。割り切るのはまだ難しいかもしれないが」

らしくない饒舌な自分の言葉を黙って聞いていた彼が、ふと寂しげな表情になったのは
“難しい”という単語に反応してのことらしい。続いた彼の言葉で見て取れた

「…………おじちゃんもぼくのこと、子ども扱いするんだ……」
「理解できるだろうと思うから言っている。今だってちゃんと、自分の能力を隠そうと思っているだろう?」
「それはただ、人間界に住めなくなっちゃうから……」
「理由は何でもいい」

自分がどこに在るのが幸せなのか、それを判っているのなら尚更だ





しばらくカルロの顔をじっと見つめていた彼の視線が、ふと揺らいで花へと移り、湖に向けられる
気楽に水面に浮かんでいるだけのように見えて、実は、その陰でいかにして鳥たちがその身を“浮かせて”いるのか
今の彼には判るのだろうか───ふとカルロはそんなことを思った
変わらずやさしく吹く風が、花々を小さく揺らす
湖のほとりに進み、水に手を遊ばせたまま卓は、カルロに背を向けたまま言った

「また、遊びに来てもいい?」
「…………好きにしろ」

振り向きざまに彼が見せた笑顔は、ここにやってきた瞬間と同じ、子供らしいものだった
──────だから子供は苦手なのだ。そう思いながらも、今も昔も自分は
子供に、あるいは子供としか思えない相手に対しては相当甘かったのだということに
改めて気づかされていた