「じゃあ………」

玄関で出迎えるのが日課なら、送り出すのもまた日課
大きなバッグを抱え、ドアノブに手を掛けた彼の姿を眺めながら
蘭世はにっこりと笑った

「いってらっしゃい。──────ん」
「………いってきます………けど…………。なに」

微笑んだまま目を閉じ、すっと唇をすぼめる
わざわざ見送りに来たはずなのに、あえて自分の姿を見ないその意図が読み取れず
彼は訝しげな顔で問いかける

「なにって……“いってきます”でしょ?」
「ああ」
「だ・か・ら! …………ね?」

なにが“だから”なのか
全くもって答えになっていない台詞だけを返し蘭世は口を閉じてしまい
今度は、かすかにその唇を突き出した

「……………」
「……………」
「! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

とある儀式(?)を思い至った彼の頬は一気に赤く染まる

「な……なに言ってんだ、バカ! 朝っぱらからそんなことできるかっ!!」
「ええええええええええ!?」

後ずさりしつつ、会話もそこそこに家から出て行ってしまいそうな彼を
肩から提げたバッグをがっちりと掴み引き止める

「なん……………っっ」
「“なんで”はこっちの台詞です───!! なんでできないの!? 別に誰も見てないのにっっ」
「そりゃ、そうだけど!」
「“それじゃおれは行くぜ、いい子で待ってろよベイベー”って、ちゅってしてくれたら
今日も一日がんばろうって思えるのに!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ。………ああ、もう!」

“今日も一日がんばろう”はともかく“ベイベー”ってのはどうなんだろう
胸のうちだけで突っ込みを入れつつ、蘭世の意外に頑固なところも良く知っている彼は
ぎゃんぎゃん吠えるその唇に、唇をやけっぱちで重ねた



他はよくても朝だけは駄目 そう決めていたのは、こうなるのが判っていたからだ
幾度となく触れ合ったはずなのに、そのたびにこんなにも簡単に
その柔らかさに囚われる

バッグが肩から床へとずり落ちた音が重く響いた
ぐっと引き寄せた細い腰がかすかに震え、力が抜けつつあるのが判る
支えた腕に力がかかり、徐々にずり落ちていこうとするのにあわせて彼も腰をかがめ
ゆっくりとふたりは廊下に座り込んだ



唇を離すと、細い糸がきらりと繋がる
見ないふりをして彼は、蘭世の頭を抱えるように抱きすくめ、深く息をついた

「………家、出られなくなる………だろ……」
「………………っっ」

不用意なおねだりは危険すぎる。その胸に身を預けながら(というよりは、預けることでしか自分を支えられず)
蘭世はただこくこくと頷いた