お題.com 単品お題 手のひらの温もり
「……追い剥ぎにでもあったの?」
キッチンでいっしょに、いつもより豪華な夕餉の支度をしている伯母からは、今日はめでたい日なのだと聞いていた筈なのだが
ボロボロになって帰って来た卓の姿を見たココが、おかえりをいうのも忘れて問いただしたのが冒頭の台詞だ。それなりの生地が使われているはずのブレザーは不自然な皺が寄り、シャツは鎖骨が丸見えになるほど襟元が開いていた。よくよく見るとボタンを引きちぎられたようで、多分そこに存在したのであろう箇所から細かい糸端が飛び出している
「追い剥ぎって……。まあ、そんなとこ」
「ええ……。あっ、これ取れちゃいそう」
「卒業おめでとう」と朱字で書かれたのがなんとなく読み取れるリボンと、たぶん元々は薔薇だったのであろう物体が握りつぶされたような残骸が、胸ポケットに安全ピンでかろうじてつけられているのを、ココはそっと外す
そう、今日は卓の卒業式だった
城にやってくる教師たちから各種教育を受けて育ったココには、学校というシステム自体が縁遠いものだし、卒業するということの意義はいよいよ分からないのだが、わざわざ「式」という形で祝う日を設けるという時点で、本人にとっても周りにとってもそれが特別なものだということは分かる
いつもと違う面持ちでそのセレモニーに列席するのであろう卓の姿をこっそり覗きにいきたい気持ちは大いにあった。というか少し前の自分だったらそうしたかもしれない。けれど、いまは。今日でお別れとなるという友人達との時間を邪魔してはいけないと、「卓の世界」を尊重しようと思える程度には気持ちに余裕がある。なのでおとなしく待機することと決めて、保護者として参列するという伯父を見送ったというのに。実はこんな、バイオレンスなイベントだったとは
「あっ! もしかして、だからおばさまじゃなくおじさまが参戦したの!? 言ってくれればわたしも……」
「……いや、いまのはおれが悪かった……」
言いえて妙だなと思ったので流したのだが、状況からして、また、意外と好戦的なココには、きちんとした説明が必要だったのだと卓は思い直した
かくかくしかじか。卒業式ではなくその後の、生徒同士で名残を惜しむ時間帯における伝統的儀式について、卓はココの誤解を解くべく話し出す。心臓に近い位置にあるというボタンに人気が集中する、例のアレだ。もっとも、くださいと懇願されることは万が一レベルであったとしても、よもや自分が狩りの対象であるかのように、集団で押し寄せる後輩あるいは同輩にいろいろ奪い取られることになろうとは、卓自身、思っていなかったのだが……。つくづく集団心理というものは恐ろしい。下手したら、こちらの名前すら知らないのにとりあえず強奪しに来ただけという輩もいたような気がする、と
そんな、分かったような分からないような……のイベントで、ボロボロのようでも、もみくちゃにされたのは上半身・胸元あたりのみのようで、パッと見で分かるような怪我がなさそうなことに、ココはひとまずホッとする
「はあ……こっちには、変わった風習がまだまだあるのねえ……」
「そうらしいな。……これ、やる」
「えっ」
と、半ば呆れたようなため息をついたココの手のひらに、卓は道中握りしめていたと思われるなにかを転がした
「まあ、もらったところで使い道ないだろうけど……一応、とっといた」
「…………」
仮にも想いを寄せる相手の、その後も思い出として残るであろう制服のボタンを、引きちぎってまでも欲しいと思う・そしてそれを実行する気持ちはココにはピンとこなかった。けれど、それを、本人が自ら、自分のために残してくれたという気持ちは分かる。そして素直にうれしい。使い道がないというのは確かにそうなのだが、そういうことではないのだ
「ありがとう」
「……どういたしまして」
柄にもないことをしたとでも言いたげな顔をして、対してにこにこと花もほころぶ笑顔になったココを見ないようにして、卓は三年間の務めを果たしたブレザーをそっと脱いだ