『おまえに頼むのは本当に不本意だが
───ランゼを頼む』

あの瞬間───あの戦いで俊が意識を失くす直前、確かに胸に響いた彼の言葉が
再び聴こえたような気がした





借り物の衣服を身に纏い、借り物の椅子に腰を掛け
立ち居振る舞いすらも彼に似せ過ごしているせいなのか
息苦しさを吐き出すように俊は頭を掻き毟りながらひとりごちる

「……判ってるよ、そんなことくらい……」

そう、判ってはいる。自分が今ここに居ることはともかく
その経緯が彼の遺志に反していることくらい
けれど
特殊な能力も何もかも全て失ってしまった自分にとって
その言葉はまるで呪いの言葉のようで

「───何か、おっしゃいましたか?」

部屋の隅に控えていたベン=ロウが、その様子を見て取り声を掛ける
考えてみればこの男の存在も今の俊にとっては
息苦しさの原因の一つとなっていた
物腰も口調も穏やかだが、こう四六時中行動を監視されているというのは
元々独りが好きという性格も手伝って、かなりの精神的負担であり

「いや、別に………」

この部屋を用意したというのが、本当に彼の遺志だったのかどうか
その真偽を問い正す術はもうありはしないが
いずれにしても、まったくの素人の自分がここに居ることを
すんなりと許容しているこの男自体にも
相当な違和感を禁じ得ないでいた

「……ひとつ、訊いていいか?」
「何でしょう?」
「……おれは、マフィアとかその手の世界のゴタゴタは
よく判んねえし、色々事情があるんだろうとは思うんだけど」
「………」
「なぜそんなにカルロに忠誠を誓う?
おれのような代役を立てなくても、あんたがまとめていけばいいだろうに」

それまで眉根ひとつ動かさず俊の言葉に耳を傾けていたベン=ロウの目線が
すっと俊から逸れて、遠くを見つめる風になる

「……幼い頃の約束のため、とでも申しましょうか」





───ダークを護ってあげてね

いたずらっぽく囁く声と
風に揺れる金色の巻き毛はずっと
ベン=ロウの前を歩くあの人のことを
熱を込めて追いかけていて





「…その約束を果たせなかった私が、おめおめと
生き恥をさらしていること自体許せないでいるというのに
私があの方の代わりなどと……」
「それは……! あんたが悔やむことじゃないだろう?」

俊は思わず立ち上がり、叫ぶように言い放つ
否定したいのは、ベン=ロウの考え方なのか、それともそれ以外なのか

「あんたはあの場にいなかったんだし
あそこにカルロが居合わせたのだってあいつの意思で
あんたが止めたところで、聞くような相手じゃなかっただろう!?
それに……!」

と、その時
二人の居る部屋のドアが静かにノックされ
ふわりと漂う花のような香りとともに一人の女性が入室する

「……あら、おじゃまだったかしら」
「………」
「少しは慣れて? ベンはいつもこの調子だから、ある意味疲れるでしょう?」
「………」
「……『この調子』とはどういう意味だ」
「そういう意味よ。……お茶を淹れたの。よければ二人とも、いらっしゃいな」

蘭世のそれと比べると「妖艶」という形容がよりふさわしく思える微笑をたたえ
部屋を出て行った女性を見送りながら
俊はふと、先ほどの台詞を思い出す

「……その、あんたが約束した相手、って……」

ふ、と息を吐くように小さく笑いベン=ロウは
ドアの方を見やりながら呟くように話す

「……気丈に振舞ってはいますが
貴方が三つ揃えのスーツを身に纏っただけで
あの方を偲び、涙を浮かべてしまうような、弱い女ですよ」
「………」
「あの方を護りきることができなかった以上
あの方がここに確かに居たという事実……それが風化しないよう護るのが
私の努め」
「………」
「折角淹れてくれたお茶が冷めてしまいます。行きましょう」

誰のために、とはもう尋ねることはできず
俊は彼の言葉に促され、部屋を出る





───あいつも、今ごろ泣いたりしているのだろうか
常に頭を離れることがない存在のことを、改めて思う

雪の中置き去りにするような真似をするのではなく
もう少し、何か一言だけでも伝えることができたなら
少なくとも今彼女が涙するようなことはなかっただろう

「………」

約束は時に束縛となる
だから、『待っていろ』と口にすることはできなかった
しかし
約束は時に励みとなり時に支えとなり時に生きる理由ともなる
護るということ、その意味が必ずしも
力を必要とするものではないことくらい本当は判っている





『おまえに頼むのは本当に不本意だが
───ランゼを頼む』





ぐるぐると
彼の言葉が胸の中で響く
それはまるで呪文のように