心の支えの話/第36話のあれ

「寝かしつけてくれたんだね。ありがとう」

その部屋を出たシュタルクが自分にあてがわれた部屋に向かうと、対面からやって来たフリーレンに声をかけられた

もともとフリーレンが薬を用意する間のつなぎのつもりでシュタルクはあの部屋に向かったのだった。気配を消して入室して、なんとなく触れた布巾がなかなかの温さ加減だったので、なんとなく桶の水を汲み直して。黙って様子だけ見ているつもりだったのが結局起こしてしまったのをいいことに、なんとなくいろいろお喋りして。なんだかんだで今の時間だ。随分いいタイミングで彼女と鉢合わせしたものだと思ったのだが、実は結構待たせてしまっていたらしい

フェルンが気にしているほど、彼女がフェルンのことを子供扱いしているとは思わない。ただ時折出てくるような、いまで言うなら『寝かしつけ』とかいう言葉選びのセンスがまずいんじゃないかとは思う。とはいえ、本人を目の前に放った台詞ではないので、あえては触れないでおいた

「薬が効いたんだろうな。調子良くなってた気がする」
「まあね。私がたとえ瀕死の状態になっても金輪際飲むものかと誓った薬とよく似た匂いに仕上がってたから……効いてもらわないと困るよ」
「…………。それ、ホントに人間が飲めるやつ?」
「シュタルクのぶんもあるからね。あとで飲んどくんだよ。念のためね」
「あー……風邪ひいてもひかなくても地獄かあ……」

人生、なにごとも経験だよ とフリーレンはキッチンのほうを指さしながら他人事のように笑った。彼女がそれを言うと説得力が半端ない。ところで匂いと言っていたが彼女自身はその薬を飲んだのだろうか

「じゃあ今度は私が行ってくるね」

と、フリーレンは歩き出そうとする。明日の分の薬と思われる瓶と器が乗った盆を手にしているということは、多分あの部屋で一夜を過ごすつもりなのだろう

「あ、フリーレン。あの部屋、意外と冷えるから……」
「ん?」
「…………あ、の……。毛布被ってたほうがいいと思う」
「そうだね。ありがとう」

もう一方の手に掛けていたブランケットをぴらぴらと振り、改めてフリーレンはフェルンの眠る部屋へ向かっていった。それを見送ったあと、シュタルクは深々と溜息をつく

冷えるから、代わりに俺が夜通し付き添うよ
……とは言えなかった。なんだか、よからぬことをしでかしてしまいそうで

フリーレンに手を握られるのは恥ずかしい。そう言った舌の根も乾かぬうちに、なぜあんなこと───フェルンには手を握ってほしいなどと、よりによって本人相手に口走ってしまったのか、自分でもわからない。そして、鼻で笑われて終わるだろうと思っていたのに、それに乗っかってきたフェルンの気持ちもいよいよ分からない。『自分がして欲しいことをするって言ったのに』。いやいや、そこはスルーして、フェルン自身がして欲しいことを言えよ

がっつりと嫌っているわけではないが、けして恋愛対象として見てはいない。基本的に遠慮は不要・強めの当たりでいく。フェルンからみた自分への総評はそんなところだろうと思う。そしてシュタルクとしてもそれは似たようなもので、あくまで旅の仲間、そういう「好き」の対象ではない。異性として見ていない。そう思っていた。はずだった
戦いの合間に強力な魔法を次々と繰り出しているときの、凛とした、頼もしい姿とは全然違う。いまは特に高熱で弱っているせいもあるが、戦から離れれば、いとも簡単にどうにかできてしまいそうなただの女の子。そんな、分かっていたはずの姿を再確認させられ、外す余裕もなかったのかなんなのか、差し出された腕の定位置で光る腕輪を見た瞬間、くらりと目眩がした

あの手のしっとりとやわらかな感触が、熱が、まだ手のひらに残っているような気がする

いろいろ気づいてしまったが最後、もう、触りたいのは手だけではない。艶めく髪とか唇とか決して淑やかではない曲線を描く胸とかそのもっと下とか足の指一本一本爪先まで、いろいろこねくりたい、なんなら舐め回してみたい。そしたらどんな顔をするのか、どんな声を漏らすのか、どんな味がするのか、全部知りたい
あのときフェルンが目を閉じてくれてよかった。フェルンにとって自分は、隣にいても特に気にせず眠りにつくことができる相手だということだ。安心されているからこそ、もだもだと手を弄る程度で踏みとどまることができた。けれど、もう一度あの部屋に入ってしまったら、どうなるかは分からない

早く治ってもらわないと困る。だが、治ったころに今度はこっちが熱で浮かされて碌でもない言動をかましてしまったら、いろいろ終わる
邪念を吹き飛ばすべくその辺をひとっ走りしてくるか万が一にも風邪などひかないよう鍛錬に励むか暫く悩んだ過程で、シュタルクは、つい先刻提示されたばかりの予防薬の存在を思い出した。そういえばフェルンはその薬を飲んでいたのだ

「……あれ、意外といける?」

シュタルクはほっと安堵しつつキッチンへと向かった。しかし、そのほんの数分後、薬を一気に煽った自分の判断力の甘さに後悔することになる