「真壁くん、お茶でい───い?」
「ああ。……あ、お茶っ葉とかは、確か……」
「……大丈夫、わかった! 座ってて!」
「……よろしく……」
かちゃかちゃと食器を洗いながら、蘭世は、きょろりと見渡した小さな台所の片隅にある棚に
急須と茶壷らしきものを認め、慌てて立ち上がろうとした俊を制した
いつもなら弁当を届けるだけのところが、今日は、彼の部屋で一緒にごはんを食べた
もちろん彼の部屋で作ったものを、だ
バイトが“急遽”休みになったから……と、俊が今日の予定を伺ってきたのは
ちょうど一週間前のこと
せっかく丸々時間が空いているのだから、たまにはおいしいものを食べに行くとかどうだろう
そう申し出た蘭世の言葉に
じゃあ、いつも以上においしいものをおいしく食べたい 彼はこう返してきた
俊にお弁当を届け始めてから、丸一年と、ちょっと
自分の料理の腕を、身をもって知っている彼が口にすると、それはとんでもない殺し文句になる
結果、それを断る理由などあるはずもないから
彼の部屋の狭い台所で、いろいろ不自由しつつもせいいっぱい腕を奮った
色々気を遣っているつもりでも、やはり、ほかほか作りたての料理にはかなわない
ぱくりと口に含んだ瞬間、彼の顔がふっと綻ぶのがわかった
そして今は、そのあとかたづけ中
あらかた食器を洗い終え、居間でくつろぐ彼にお茶をいれて戻ると
ぼうっと卓袱台を眺め、胡坐をかいていた
「……真壁くん……なんだか、疲れてる……?」
「ん? あ、いや、そんなことねえよ」
「そう……?」
「ああ。……それより、なんか、悪かったな……。却って、手間増やさせちまったというか」
「え! そんなことないよっ。あとかたづけまでがお仕事だし、慣れてるし!」
「そっか」
「うん」
ほっとしたように微笑みながら、俊は、出したお茶をすすった
“おいしいもの”という言葉で、彼が自分の料理を連想したことを思えば
多少の手間なんて、何の問題もない
こみ上げる笑みを落ち着かせるべく、蘭世も同様にお茶をこくんと飲み込む
「…………8時半、か……」
「……う、うん……」
授業を終え、部活をこなし、どんなに急いで帰ってきても7時近く
それからフル回転で料理を作っても、この時間になってしまった
家まで送り届けることを大前提としつつ、10時には部屋を出る それが
昨日になり、改めて口にされた約束
ふたりでいるそのときに、時間が経つのは本当に早い
残りわずかのリミットを思いつつ、蘭世はふうっとためいきをついた
「……なあ」
「!! な、なあに、真壁くんっっ」
しばし、ぼうっとしていたらしい。呼びかけた俊の声がやけに大きく聞こえ
蘭世はびくりと飛び跳ねてしまった(ような気がした)
「……そんなに驚かなくても……。ちょっと、こっち座れ」
「え……」
ん、と指をさしたのは、俊の座る座布団のすぐとなり
「え、え、えっと……。そこに……?」
「……ああ、座布団も持って…………。いや、いいや、おれが行く」
「ええっ!?」
と、言うが早いか俊はすっと立ち上がり、向かい合っていた位置から蘭世の座るすぐとなりへとやってきて
すとんと腰をおろした
思わず振り向いた蘭世の肩をぐっと引き寄せ、背にするりと腕を回す
「ま……真壁くん……?」
「…………」
いっきに鼓動が跳ね上がるのが、自分でも判る
じりじりと身を寄せつつ後ろ髪を撫でる彼が、以前口にした言葉を心から信じているし
あれ以降、彼の自分への接し方には、特に何らかの変化もなかった
だから、夜、この部屋を訪れることに決まったときも、実際この部屋で過ごしたついさっきまでも
妙な心配はしていなかった
けれど、いま自分を抱く腕に込められた力は、思いのほか
少なくともいつものそれよりは、強いものだ
顎に指をかけ持ち上げられ、ぱちりと合った視線は、まっすぐ蘭世の目を見つめていて
その有無を言わせぬ力強さに、蘭世は言葉を失った
ゆっくりと顔が近づき、思わず目を瞑ったその瞬間、唇を、同じやわらかさで塞がれる
次いで侵入してきた舌のなぞる動きに、なぜか、背の中心あたりに震えが走った
俊の唇は、力の抜けてしまった首筋へと移り、浮き出た筋をつかずはなれずで挟み込む
腰を押さえられたまま、ゆっくりとこちらへ傾けられた重心にまかせ、蘭世の背は
とうとう、擦り切れた畳に着地した
たとえばこんなとき、自分はどうするのだろう
それが、つい最近まで自分を悩ませていた問題だった
答えは、ごく簡単なこと
なにも、できないのだ。──────本当に、なにも
首筋に顔をうずめたまま、押さえ込むように重なる彼の手が、額にはりついた前髪を払う
時間にすればほんの二、三分の間に、高熱でも出たかのようにどっと汗をかいて
そのくせ、体は凍りついたかのように、身動きひとつとることができない
「…………」
ふと、首筋から彼の唇が離れていくのを感じた
けれど、依然として体は言うことを聞いてくれない
俊のTシャツをぎゅっと握り、目を瞑ったままの蘭世の目前あたりに気配が移り
すうっと小さく息を吸う呼吸音が響いた
next