雲とピアスとパラダイムシフト
06 夢魔と死神 - ある日の夢魔の日記
◇年◇月◇日
ジョルジュと晩御飯。支度をしている間にルルといろいろおしゃべりしていたらしい。ほかの夢魔たちに倣ってそろそろシナリオを機械で作ろうかと思っていたけれど、やっぱりやめようと思う
「そういえば、ルルが褒めてたよ。サリちゃんのシナリオはおいしいって」
「えっ」
それまで自分のことをおしゃべりなほうではないと思っていたのだけど、そうでもなかったらしい
彼が話し上手・聞き上手だからなのか、一緒にいるとやたらとおしゃべりしたくなる。隔週に一度くらいでなんとなくの恒例となった彼との食事は特にそうで、口がいろんな意味でフル稼働となる。食べて、話して。食後のお茶は、胃を落ち着かせるというより口元を落ち着かせる意味合いのほうが強い。彼が思いだしたように言ったのは、熱いお茶を一口飲んでふうっと息をついたときだった
「確かに、二千年前のあのふたりの話の描写もすごかったよな。情感が」
「あれは、もともとあるものを書き写しただけだから。あの手記が素晴らしかったのよ。だから……」
「またまたご謙遜を。あれを正確に転記しただけでもすごいよ」
彼が例に挙げたのは、すこし前、この世界の存続が危うくなったときに施した術のこと
どうしても読みたい文書があり、しかし、そこに記された文字は現在と異なるもので、自分も含め誰も読めなかった。なので、読めないなりに書き写して、概念として読み込んだ結果できあがる映像を皆で見てみるといういささかアクロバティックな流れを踏んだ苦肉の策だった。褒められるのはこの策の発案者であるべきで、こちらを褒められても恐縮するしかない
シナリオの元となる文書が存在したので、いつもの、いちからシナリオを作り上げる=もっとも苦慮する工程を必要としなかったものの、まったく違う箇所での労苦は確かにあった───ジャン=カルロの手記は、その愛情や動乱、悲劇、そして無念さを込めて切々と書き記されていたのだろうと、読めないながらに、またあの映像を見たうえで、改めて思う。それを示す膨大な量の文字らしきものを、目に見えるままにせっせと模写してやっと書き上げ、その代償として、目と、特に手になかなかの疲弊を伴った
そしてそのとき、いまは目の前に座る彼がこちらにひょっこりとやってきて、「これすげえ効くんだよ」と、マントから取り出した薬草をそっとあててくれたことを思い出した。今にして思えばそれでコロッといってしまったのだ。我ながら、ちょろい……
「文字が綺麗だからかねえ」
「そりゃ……ルルに読み間違いされちゃったら、ぶち壊しだし」
そこは否定しなかった。過剰に恐縮するのは好きではないし、手書きの文字を実際に見たことがある相手がそう言ってくれているのだから、その誉め言葉はありがたく受ける。長い年月を相棒として過ごしてきた羊は、表記の乱れが多少あったとしても自分の文字ならなんとなくで読み取ってくれそうなので、評点が甘いような気がしなくもないけれどそこはご愛敬
そしてその相棒は今日もなぜか外出している。「なぜか」というか……彼を招くと言うといつも、その支度をする直前に席を外すことを伝えてくるので、なんとなくその意図するところに気づきつつあるのだが……一度だけ、もしかしたら万が一の可能性も踏まえて確認したことがある。彼に対して何か思うところがあるのか・もし食卓に同席したくないほど不快な思いをしているのなら、彼を家に招くのはやめると。すると相棒は即答で、ぼくもジョルジュは大好きだよ、ヘタレだけど と応えたのちしばらく笑っていた。その「も」に、相棒のすべての意図が集約されているように思う
「そうねえ……ルルもおいしくシナリオ食って、ついでにアロン王もおいしいご馳走食って……。羨ましいことで」
「あっ、そこまで聞いたの? そうなのよ。王様もむちゃくちゃなこと考えるわよね、夢でダイエットって」
才能の無駄遣いだよなあ、と彼はぼやくように続けた
恒例となった彼との食事会のきっかけは、ある意味王と同じ、ダイエットの話題からだった
いつもは飄々と、陽気な佇まいをしているものの、彼の種族は死神。そしてその仕事は、死者の魂を狩ること。その仕事をふまえて、なんとなく食事の量を減らす、たまに絶食したりするという問題発言を、以前、何かの話題のついでに彼がぽろっと口にしたのだった。甘いもの辛いもの酸っぱいもの、なんでも食べる・食べること自体が大好きな自分としてはちょっとした衝撃だったのでよく覚えている
『雰囲気重視っていうか……狩られるほうも、活力モリモリの死神って、なんかイヤだろ』
『…………』
骨皮筋右衛門っぽいのが理想だよなあ、などと笑いながら続けたところに、持っていたペンを投げつけるのはすんでのところでこらえた。仕事が仕事なだけに、厳かな雰囲気を作り上げたいという気持ちは分かる。分かるのだが……
彼も自分も魔界人。一応、不老不死・永遠の命を与えられてはいるが、それは文字どおり老いない・死なないというだけであって、からだ健やかこころ康らかな暮らしを約束されたわけではなく、不摂生をすればそれに応じた症状が当たり前に発現する。下手に死なない分、いったん出た症状が引かない限り、苦しみが長引くだけだ。それこそ永遠に。それを、よりによって何日も無計画な絶食? は? 見通しが甘い、甘すぎる!
ならば。無茶苦茶なダイエットをするくらいなら、一緒に食事をする機会を設けよう。個人的にも体型の維持は永遠の課題だし、健康的に体を絞れる料理を作るから! と鼻息荒く前のめりで押し売りしたのだった
とはいえ。言ってみてから気づいた……必死過ぎて引く。そして、そもそも人様の仕事へのスタンスに口を出すこと自体、いったい自分は何様なんだってな話だ。魔界の危機にたまたま一緒に居合わせていた仲間。彼と自分との接点はそれだけで、なんの権限もないのに
『……ご、ごめんなさい。立ち入ったこと言って……』
『いや、ありがたいよ。ひとりだとどうしても雑になってさ』
なまじ怒りの瞬発力がある分、反省したときに掘るべき穴も深い。いつも彼は穏やかににこやかにしているが、どちらかというと多分このときは、目に見えてしおしおに萎れていったのであろう自分の姿を見て、その落差に彼は笑っていたような気がする
そしてその日以降、なんとなくの約束がずっと途切れることなく続いている
「……王様みたいに、夢でもっとすごいごちそうを食べてみる?」
「ええ……」
話の流れで、あくまで軽い気持ちで持ち掛けてみただけなのだけれど、彼の反応はあまり芳しくなかった
「そりゃサリ様の麗筆も手腕も認めますけど……こんなうまいメシなんだから、直接食いたいよなあ」
「…………」
料理という行為自体は好きだが、仕上がる品々はいいとこ中の上、驚くほど美味なわけではない。それでもいつも彼はおいしそうに平らげてくれる。いつぞやは無理な絶食だのなんだの言っていた彼もまた、単純に、食べることが好きなのだ。それは何度も重ねた食事のおかげでなんとなくわかった。にも関わらず、なんでもないことのように放り出されるこんな言葉で一気に舞い上がってしまう……我ながら本当に、ちょろい……
□年◯月△日
蘭世たちが魔界へやってきたとジョルジュが報せに来てくれた。なんでも、人間界から追いやられてしまったとか。どういう顔をして会えばいいのか迷ったけれど、あえて明るく突撃してみたら、もっと明るい笑顔が返ってきて、ほっとひと安心する
久しぶりに会った蘭世たちとの会話は思いのほか弾んだ。女子ふたりが客間から蘭世の私室へと移動し盛り上がっている間、男子は男子で積もる話があったようで、彼らふたりが階下で話し込んでいるのを窓からこっそり覗いた蘭世が教えてくれた
結局、王家の歓迎ディナーに参加するための準備作業ぎりぎりまでなんだかんだと居座る迷惑な客となってしまい、ふたり揃っておいとまするころにはすでに夕暮れ時だった。だからということなのか、彼は意外な提案をした。───雲に乗って帰らないか? と
「えっ。……もしかして、疲れてる? 夜勤明けだったりした?」
「いやそういうわけじゃないんだけど」
あわてて確認した顔色は悪くないのでまずそこにほっとする
往路は歩いてやってきた。位置関係としては、彼の家と蘭世の家(が今日から設置された場所)の間に我が家がある。我が家からそれぞれの家との距離はそれなりだが、蘭世の家から彼の家との距離を通算するとなると、そこそこの距離となる。それを見越しての提案だと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。じゃあどういうわけなのか、の提示はないまま彼はひゅうっと短く口笛を吹き、愛雲(?)を呼びよせた
「……えっと……。心の清らかなひとしか乗れないとかって……」
「そんな、どこぞの筋斗雲みたいなシステムはとってないんだわ……第一、そんなんだったらおれも乗れないでしょ」
「そうよね」
「いやその返しもおかしいだろ」
苦笑しながら彼は雲に乗り込み、ゆらゆらと揺れながらこちらに手を差しのべた。雲全体の大きさと、彼の座る位置からみて、こちらが座ると想定される位置は
「えっ、前!?」
「前のほうがいろいろいいでしょ。はい、お手をどうぞ」
「あっ」
というが早いか、ぐっと手を引き上げられ、彼の前に座らせられた。自然と彼の胸に背を預ける格好になり、逆に言えば後ろから抱き留められているような体勢となり───こんなことで簡単にドキドキしてしまう自分が嫌だ。ごく自然にそんな体勢を選ぶあたり、もしかしたら彼の方はこちらのことをまったく意識していない、まさに『友人の友人で仲間』でしかないのかもしれないのに
「これから……早く帰りたいとか、帰ってからなんか急ぎの用事あったりするか? ちょっと遠回りしていきたいんだけど」
「え? 特になにもないけど……」
「いいねえ。じゃあ、しゅっぱーつ」
穏やかに空へと滑り出した雲はぐんぐんスピードを上げながら進み、水面に夕陽がきらめく泉と周辺の森一帯を望む高さまで一気に昇った。ぐるりとひと回りするその眺望の美しさに興奮しながら風になびく髪とベールを押さえつつ振り返ると、仕事帰りとかモヤモヤしてるときとかにここから一帯を眺めるとなんかスカッとするんだよな と、同じく髪とフードをひっ掴みながら彼は笑った。モヤモヤというフレーズが引っ掛かり尋ねてみても特に何があったわけでもないらしく、単純にこの景色を見せたかったのだという。秘密の場所をふたりだけで共有したようで、なんだかとても嬉しくなった
蘭世は彼と自分とが今現在どんな状態なのか尋ねてきた。楽しい報告はできず、今後の目標としてふたりの関係の進展を掲げてはみたものの───ただの友達ではないかもしれない、恋人ではない、ときにドキドキする これくらいの曖昧な状態でいるのがいちばんいいのかもしれないと思っていたりもする。もちろん、はっきりさせたくないわけではないけれど、先のことは分からない───良くも悪くも平等に。彼との間にそびえ立つ壁は高くて、雲のように風のように飛び越えていける保証はない。なにより、誰に対しても穏やかでやさしい彼の、本当の気持ちは分からない。はっきりさせてしまって、なにもかも失うくらいなら、いっそ、願わくばずっとこのまま───
□年◯月▽日
蘭世が危ないと聞いて駆け付ける。俊くんに蘭世の意識の中に入ってもらってなんとか解決して本当に良かった。
その帰り道は最悪だった。やっぱりやめておけばよかった。けど言わずにいられなかった。もうなにもかも終わり
・・・・・・
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