雲とピアスとパラダイムシフト
08 夢魔と王
その日サリは王の間に召喚されていた
ここに来る前から用件は分かっていた。最近のシナリオの中で出している食事の数々が微妙な味わいになっていることについて、だ。少し前───あの日以降、その予兆というか自覚というかは多少あって、相棒の羊からついにやんわり遠回しな指摘を受けたのはつい先日のこと
心の乱れは文字へと覿面に表れる。泣き濡れてただ時が過ぎるのを待つだけの日々ではなくなったけれど、未だに不安定なままの心境が、そのまま王の夢に反映されてしまっている……シナリオを表面上うまく仕上げているつもりでも。かつて手跡を褒められ調子に乗って頓挫していた機械化を、本格的に考える頃合いなのかもしれない と、サリは王の前で首を垂れながら思った
「このたびは本当に……申し訳ありません」
「いや、全然謝らなくていいんだけど……。むしろ突然呼び出しちゃってごめんね、どちらかというと、本気であれがおいしいものとして書いてるんだとしたら、ちょっと……大丈夫なのかなって気になっちゃってさ。もしかして具合悪い?」
「…………いえ、そんなことは」
『大丈夫』かどうかでいえば。まあ、死んではいないので生きている、大丈夫。───そんな感じだ。それをそのまま、冗談交じりに伝えるほどの余裕はないけれど
お人払いをしたからとはいえ、あまりにもくだけた口調で話す目の前の王とは、彼が王になる前=王子であったころからのつきあいだった。極めて私的な用途のもと、『目的に沿った能力を備えていた』『種族の中で比較的若手だった』という、偶然の重なりでしかない決め手によって駆り出されたのがきっかけだ。そして用途が私的であろうと何であろうと、サリが選ばれたという事実だけを追う周りからは一躍時の人扱いをされ、またその後のもろもろを経てこの界隈でなんとなく目立つ存在となってしまったサリを、王となった今もなにかと気にかけてくれている。もっとも、いろいろ使い勝手が良いという王側の事情も多少はあるのだろうけれど、それでもありがたいのに変わりはない
「ならいいんだけど……。あっ、そういえばサリさあ、最近、ピアス失くしたでしょ。それ、サンドがもってるよ」
「えっ」
「こっそり渡すよう頼まれたんだって。ジョルジュから」
「…………」
「で、ジョルジュとはどうなってるの」
「どうって……」
どう答えたものか。気を遣っているのか天然なのか読みきれない、穏やかな笑顔で放られた直球に、サリは一瞬うろたえた。とはいえ、隠しだてするのもそれはそれで、要らぬ波紋を作り出すかもしれない。なにより王はジョルジュとも仲が良かった
「お察しのとおり、直接会ったりしたくないような状態ってことです」
「それは……あっ、そうか……ジョルジュ、ふられちゃったのか……」
「……逆です。残念ながら」
「ええっ!?」
王はものすごい声をあげ、まじまじとサリを見た
「ぼくの近くにはさ、なに考えてるか分かんない選手権チャンピオンがいるんだけど……ジョルジュもそっちだったか……」
「それはなんとも……」
「そっか……。ええと……どこまで聞いたか分からないけど……」
と切り出した王によると。当初、江藤一家・真壁一家が魔界に戻ることは、ごくごく一部のみの内密事項にすべきとの話になりかけていたのだという
魔界と人間界とを結ぶ扉の番人。その重大な役職を突然解任したとなると、様々な憶測を呼びかねない。ましてやその娘は魔界の最大の功労者であり、その配偶者は王の兄───王の言葉を借りれば『なに考えてるか分かんない選手権チャンピオン』───そのことをメヴィウスが強く懸念したとのこと
「ぼく的には、変な噂する奴なんていないだろって思うんだけど……まあ、誰かひとりでも不安に思うひとがいるなら、その不安をつぶすのがぼくの仕事だからね」
「はあ……」
ただ、その場にはすでにジョルジュがいた
例の事件は、あれよあれよという間に、当事者間だけで済む問題ではなくなっていた。そのスピード感に追いつくためには、穏便な解決に向けた策を講じるよりも、いっそのこと、関わっている人間達の魂を根こそぎ狩ってしまったほうが早いんじゃないかという結論になりつつあり、前もってジョルジュをその場に呼んでおいたのだった。しかし、それ以上のスピード且つ力技によって事態は物別れに終わる。結果、江藤一家・真壁一家については魔界に即時召還することとなり───
「ジョルジュが、サリにだけは教えていいでしょって聞いてきた……ていうか、お願いされちゃったんだけどね。鎌片手に」
「………………」
王のあっけらかんと話す口調から、その場の映像がありありと目に浮かぶ。内密に進めようという空気になりかけたところをずいっと王に迫って、震え上がった王から自分が鎌を持ったままなのを指摘されたところで、ようやくジョルジュはその威力に気づいてナハハと笑って、でも主張は曲げなくて。王は王で、おもしろくなるならそれはそれで万事OKとメヴィウスにウインクなどしてみたりして───
知らなかった。そんなことは、なにも
けれど、それでもなお、あの日自分が完全に拒絶され、今に至るという事実が依然としてここにある。そういうことなのだ
「それはきっと……蘭世とわたしが仲がよいことを知っていたから……」
「うん、そう言ってた。喜ぶだろうからって。……蘭世ちゃんが、って意味じゃないよ」
「…………。彼のそういうやさしさを勘違いして、先走っちゃったんです。わたし」
「やさしさ……。やさしさ、かあ……うーん……」
王は腑に落ちないような表情をまったく隠さず、もごもご口ごもりながら考え込む
しばらくして、なにやら新しい玩具でも見つけたようなテンションで唐突な提案をしてきた
「じゃあさ、サリ、ぼくの第二夫人になってみない?」
「…………は?」
なにがどう繋がっての『じゃあ』なのか
「いままで言う機会がなくっていまさらなんだけど、実はぼく、サリにはすごく感謝してるんだよ。あのときぼくの命令に背いてくれたから」
「はい!? あ、あの、その節はどうも……えっと……」
「いや、これは嫌味で言ってるんじゃなくてさ。サリの英断のおかげで蘭世ちゃんを泣かせなくて済んだし、ひいては俊と良好な関係を築けたわけだし、何よりフィラとこうしてうまくいってるし」
「…………そんな……」
『あのとき』とは言わずもがな、例の私的な用途において任務遂行したときのことだ。自らの手落ちで失敗したと報告したまま、何ら沙汰がなかったので放っておいたのだが、やはりというかなんというか、真相はとっくにばれていたらしい……
それはさておき。王の評価は流石に盛り過ぎだろうと思う。彼女が自分の想いを曲げることはどのみちなかったであろうから除外するとして、王兄と打ち解けることができたのも、王妃と今現在仲睦まじく過ごしているのも、ひとえに王の、明るく楽しく誰からも愛される太陽のような人柄ゆえのものだ
「……ぼくが関わってるひとには、無駄につらい思いをして欲しくないんだよね。もちろんそれは、魔界の住人全員そうなんだけどさ」
「………………」
「てなわけで、こんな噂を流せば、ジョルジュもあわてて動いてくるかも って思って」
「うわさ……」
「あっ、それとも手っ取り早く自白剤でも作ろうか? 自分でいうのもなんだけど、ぼくの作った薬はよく効くよ~」
───いずれにしてもそれは、ジョルジュを試すということだ。彼の、他にあるかどうかすらわからない、真意とやらを
「……そのお気持ちはとてもありがたいんですが、ええと……もういいんです。終わったことなので」
「そうなの? 本当に?」
「はい」
「まあ、気が変わったらいつでも言ってよ。ぼくはサリの味方だからね」
「ありがとうございます」
王が特に気を悪くした風でもないことに安堵しながら、サリは深く一礼をした
気に掛けてくれるのはありがたいが、やはりジョルジュを試すようなことはしたくない。この気持ちに決して嘘はない。けれど一方で、試してみたところでなんのリアクションもなかったら───それを思うと息が詰まるほど恐ろしく、そしてそれ以上に、この期に及んでなにかリアクションがあることを期待してしまっている自分自身のあさましさを改めて実感させられて……なんだか、ひどく頭痛がする。もうなにもかもうっちゃらかして、眠ってしまいたい。誰かに対してばかりではなく、自分に対しても。夢を見せることができる・夢を封じることができるこの能力を、今日ほどありがたく思えた日はない
どっと重くなった足を引きずるように進ませ、サリはようやくの思いで王の間を出る
すると、外で待っていたはずの相棒の姿がなぜかそこから消えていた
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