雲とピアスとパラダイムシフト
09 ある王兄の一日 -昼餉前:死神の家にて-
その日俊と蘭世のふたりは、ジョルジュの家を訪問していた
今朝がた早くからはりきって起き出した蘭世が、山ほどの各種総菜を拵えながら、先日持たせた分(それまたなかなかのボリューム感を誇っていた記憶がある)は、その日のうちに食べ尽くしちゃったらしいのよ と、やっちまった的な顔をしながらもなんだか嬉しそうに話していたのだが、その言葉が示すとおり、まるで自分の家のような顔をしてふたりを出迎えた鈴世の、一時より元気を持ち直した顔色にひとまず俊はほっとする
今日の訪問は、先日の「不幸な親子」騒動で助けを受けたことへの礼として、だいぶ間は空いてしまったものの、改めて皆で食事の席を設けたいという蘭世の要望から実現したものだった
礼というのなら江藤家に招待するのが本筋であろうところだが、そもそもの礼という名目を、大袈裟すぎるから、また騒動を解決した直後に、体調を慮り安静を優先した蘭世以外のメンバーで、既にちょっとした宴となったからということでジョルジュが固辞したのと、居候生活を続けるにつれて足りないものが見えてきた鈴世のこまごまとした荷物の運搬(これは当初自分で取りに行くと言っていたのを止めた)と、どうせ暇だろうしなんら面白味はないとはいえ俊が一度も訪問したことがないこの家に連れて来てみるのもいいんじゃないかというジョルジュからの提案とが相俟って、現在に至る
それにしても多すぎるだろうと思われた総菜も、なるほど、今日以降のことを踏まえてのことだったのだと俊は、開封されることもなく冷蔵庫にいそいそと直行されていく一部の保存容器を眺めながら思った
「いっぱい作ってきたから、どんどん食べてね!」
「おお~、うまそう! なんか、かえって悪かったな。重かっただろ」
と、ジョルジュは蘭世と俊とを交互に見ながら笑う。確かに荷物全般を運ぶのは俊の役割だったが、瞬間移動でやってきたこともあり何ら苦はなかったので、鈴世が出してきた取り皿を受け取りながら、俊はあいまいに笑っておいた
「サリも誘ったんだけど、なんか都合が悪いらしくて……。残念」
「…………」
と、蘭世はちらりとそちらを伺ったが、ジョルジュは穏やかな笑顔のまま眉一つ動かさず、鈴世は微妙な───どこかジョルジュを気遣うような表情をした。その様子に、こいつ何か知ってるな、と俊はピンときたのだが、もしかしたら、何かあったのだと無言で伝えようとしたのかもしれないと思わされたのはもう少し後になってからのこと
それはそうと、前々から思ってはいたのだが、妻は基本的に爆弾投下が早すぎる。しかも以前に一度ふいうちを食らわせた=攻撃パターンを知られている相手なのだから、もっと、こう……違うやりようがあるだろう。軽く『都合が悪い』と言ってはいるが、実際は、ならば皆で集合できるようにと日延べを提案したのを当の本人……サリから断固拒否されたという経緯があるのだから、確実に何かあったこと(だけ)は知っていることを匂わせながら、じわじわと外堀から詰めていけばいいのだ。たとえば、わざとなのか何なのか若干挙動不審になりつつある義弟を攻めてみるとか
と言っても、何だかんだ言ってこの面子の中でいちばん聡いであろう彼が、仮にその何かをくまなく知っていたとしても、おいそれと口を割るとも思えないのではあるが
「なんか、アロンに呼び出されてるみたいなんだけど……」
「………ん?」
と、蘭世が口にしたところで、遠くから地鳴りのような音が響いてきた。魔界にも地震があるのか と意外に思いながらも、妊婦である蘭世を庇うべく椅子から腰を浮かしかけ、その音が、地鳴りというよりも何かそれなりの質量を伴ったものが家主の名を呼びながらこちらに迫ってくる足音なのだと気づいた瞬間、その何かがものすごい勢いで家に飛び込んできた
「ジョルジュ!! いるよねっ!!」
「おわあ!?」
部屋の中央でうごめく、もふもふとした多毛種の……何か
見覚えがあるようで思い出せないその名前を、とっさに腕の中に庇った蘭世が呼ぶのが聞こえた。───ルル。そういえばそれは以前見かけたことがあった。噂をすればなんとやら ということなのか、まさしくいま話題に上っていた相手の、相棒である大きな羊。その大半を豊かな体毛が占めるとはいえ、突撃されたらなかなかの衝撃だろうと思われるそれは、何をそんなに慌てているのか、ジョルジュにのしかかりながら足をバタバタさせていた。突撃されたほうはといえば……それなりに無事ではあるらしい。目を白黒させながらではあるが、ジョルジュはむっくりと起き上がった
「お、おお……どうした、ルル……」
「ジョルジュのばか!!」
「おいおい……久しぶりなのにいきなりバカって」
「ばかだからばかって言ったんだよ! いつまでももたもたしてるから、サリちゃん、王様の第二夫人になっちゃうよ!」
「………!?」
『第二夫人』。聞きなれない称号と、いまこの場にいない相手がなぜここにいないのか。全員がその因果関係を結びつけた瞬間、驚愕の声と視線が一点に集中した。その視線と、ぽかぽかとその胸を叩くルルの拳を受けながらしばらくぼうっとしていたジョルジュがようやく口を開く
「それは……。ええと、めでたいことじゃないか」
しんと静まり返った空気から察するに、こいつは何を言っているんだ と思わされたのは自分だけではないようだった。ルルはジョルジュをぴしゃりと怒鳴りつける
「なにいってんの!? ヤケクソになってるに決まってるじゃん!」
「えっ……ルル、おまえ……」
「なんにも知らないよ! サリちゃんが最近ずっと泣いてたってことしか! でもジョルジュはジョルジュでぱったり来なくなっちゃったし! なんとなくわかっちゃうよ!」
「…………」
「ぼくに心配かけないように、昼間は明るくふるまって、ちゃんとお仕事もして……サリちゃんは……」
声を詰まらせながらルルはうつむいた。そのやりとりをじっと見ていた鈴世は、ハンカチ片手にふたりの傍らにすっとしゃがみ込む
「ジョルジュだっていつも楽しそうにして、あんなにやさしい目でサリちゃんのこと見てたくせに! なんでこんなことになっちゃったのさ!!」
「なんでって……」
その巨体を揺らしながら、とうとう、うわ───ん! と泣き出したルルを、鈴世はよしよしと慰めた。そして、おなじく静観していた腕の中の妻はといえば……驚愕ののちなにかを察したらしく、結果として、結構……かなり怒っているのがそちらを見なくても分かった
「ジョルジュ!! なにぼうっとしてるの!! 早く行って、止めなきゃ!!」
「…………」
「そんなことになったら、もう……満足にお話もできなくなっちゃうじゃない! ホントにいいの!? だって、サリは……!」
「ジョルジュ」
至近距離で放たれたその声に俊の耳がキンキンと痺れる。身重である今の身体のことも踏まえ、少し落ち着くよう促してみたものの、興奮度レベルMAXに振り切っている蘭世が聞く耳など持っていようはずもなく、違う意味で聞く耳を持っていないような素振りのジョルジュに対してなおも続けた。それを遮って静かに鈴世が口を開く
「サリさんにとってなにが幸せなのかは、サリさんが決めることだと思うよ」
「…………」
「サリさんのためとか言って勝手に線引きして、ジョルジュの本当の気持ちを話さないままでいるのって、そもそもの選択肢を歪めてることにならない? それはちょっと違うんじゃないのかな」
それは決して自分に対して言われた言葉ではなく、けして攻撃的な物言いではなかったのに、なぜか俊の胸がちくりと痛んだのだが、それはさておくとして
俊がジョルジュと「雑談」をしたのはほんのひと月ほど前のこと。その後のジョルジュとサリ、ふたりの間に何があったのか詳細は分からないものの、少なくとも今の状態を看過するのは確かに違うように思われた
自分にはできなかった言語化を鈴世が容易く行ったこと、そしてそれは意外と汎用性が高い発言であるということにある意味感心させられながら視線を移すと、うつむき垂れた髪に隠れてその表情までは見て取れなかったが、ジョルジュの肩がぴくりと揺れたのが分かった。鈴世以外の全員が息をのみ、誰ひとり動くことすらできなくなった中、ジョルジュは意を決したようにふうっと大きく息をつき、少し落ち着きを取り戻したように見えるルルの頭を撫でた
「ありがとな。知らせに来てくれて」
「う、うん……!」
「───鈴世」
と、ジョルジュはマントからなにかを取り出し、立ち上がりながら鈴世の手元に落とした。受け取った鈴世の顔がふと綻んだのは、それ───この家の鍵を、ナイスキャッチで落とさず済んだことへの安堵からではない
「戸締まりよろしくな。ああ、もし家に帰るようなら、適当にポストにでも」
「うん。うまくやっとくから心配しないで」
「いろいろ持って来てくれたのに、うまいうちに食えなくてごめんな」
「大丈夫! また今度、一緒に食べましょ。……次は、みんなで」
急ぎ足で歩みを進めながら、蘭世の言葉にジョルジュは大きく頷く
ルルが飛び込んできたまま開けっ放しになっていた扉から庭を見やると、所有者の意思を汲んでやって来たということなのか、その直前まで存在しなかった筈の飛行雲が待機しているのが見える。それはジョルジュが乗り込むやいなや、弾丸のようなスピードでそこから飛び去っていった
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