雲とピアスとパラダイムシフト
10 死神と夢魔 (1)

人様の家の扉に対して行うにはあまりにも乱暴なノックに、驚き半分・迷惑半分な表情を隠さずに顔を出した彼女───サリは、そのノックの主を見てさらに動揺したようだった
ジョルジュがこの家を訪れるのは、それまでの頻度を踏まえると随分久しぶりのことになる。もともと細身であった彼女が、以前よりだいぶ線が細くなったのも大分気になるところなのだが、目下の確認事項はこれだ

「王の第二夫人になるって……ホントなのか」

それはつい先刻、ジョルジュの家の扉をぶち破る勢いで突入してきたルルが運んできたニュースだった。そのときの勢いに比べればいまのノックなど可愛いものだと思ったのだが、実際のところさほど差がないかもしれない。そしてサリは、そのノックよりも、ジョルジュがそのニュースをすでに把握しているという事実に過剰なまでに驚いていた

「……なんで知ってるの」
「ルルが教えてくれた」
「ええ!?」

その反応から察するに、ルルがそれを知っていることすらもサリにとっては驚きの事実であったらしい。家でのいきさつ、そしてその場には俊・蘭世・鈴世も同席していたことまでジョルジュが話したところで、サリはがっくりと肩を落としながらドアにもたれかかった

「ああ、そういうこと……。ルルったら……」
「それで泡食って来ちまったんだけど……。サリ? どうした、大丈夫か?」
「具合悪いとかじゃないから大丈夫。で、あの……そういう噂を流してみようかって王様が仰ったのを、そこだけ聞いて早合点しちゃったんだわ。きっと」
「噂!?」

サリが言うことには。確かにそんな案が王から提示されたものの、それはあくまで噂を発生させる目的の上でのことだった。内容が内容なので、お人払いをした謁見の間で話したのだが、その間、扉の前で待っていたはずのルルが、話を終え廊下に出たところなぜか姿を消していた。同じくその場に控えていた使用人に尋ねると、ルルはおとなしく毛づくろいなどしていたのが、突然なにかに弾かれたように猛ダッシュでどこかへ去って行ってしまったとのこと。サリはサリでしばらくその場で待っていたものの、依然として音沙汰なしなので、とりあえず城を出てたったいま家に戻りついたところなのだという。そう言われてよく見れば、サリは、いつもの見慣れた装いではなく正装を身に着けたままだった

「ええ……。その場でお流れにした話なんだけど。ごめんね、お騒がせしちゃって」
「お騒がせっていうか……なんでまた、そんな噂を流そうだなんて」
「えっ……と、それは……あの……。王様がわたしを心配して」
「心配って、なに」
「…………。あの日以降、わたしの様子が目に見えておかしいからって……」
「……?」
「あっ。ピアス、返してもらったから。ありがとう」

かみ合っているようないないような、微妙な間が空いた会話を誤魔化すかのように、唐突に話題に上ったピアスとは、王の言葉を借りればサリの様子が目に見えておかしくなる原因とされているあの日、ジョルジュの髪に引っかかったままになっていたサリのピアスのことだ。なんとなく直接渡しに行くのは憚られ、かといって、郵便受に投函しておくのもいかがなものかと思い、それなりに信頼できる長年の親友に託しておいたのだが、ようやく本人のもとへ戻ったらしい

それにしても。あの王にまでおかしいと指摘されてしまうほど、サリが公私ともに支障をきたしてしまっていたことに、ジョルジュは臍を噛む思いでいた。たまらず押しかけてきてしまったが、本来であれば自分は、サリと顔を合わすことすら難しい立場だという事実を失念していたように思う。冷静に考えれば、いまきちんと対話できていること自体、とてもありがたいことなのだろう

と、ほっとしながら視線を戻すと、サリの視線はジョルジュの顔とサリの腕をゆっくり往復していた。サリの顔を見た瞬間どさくさに紛れて腕を掴んでしまっていた件について、物申したいのは十分理解できるのだが、離したが最後、ここに来た理由まで手放してしまいそうで、あえて気づかないふりをした

「……あの、そろそろ腕を離してほしいんだけど……」
「やだ」
「やだって、なに……」
「…………」
「……じゃあ、玄関口で話すのも何だから、上がってくれる?」

ここに来なくなった経緯を思い起こすと、かなり図々しい方向に持っていった自覚はあるのだが、この申し出には素直に応じることにした。実際問題、こんなところで大っぴらに話すことでもない








それ以前のやりとりで人柄を知っているからとはいえ、こっぱみじんにフラれた相手を自然に、ある意味なんの警戒もなく家へ招き入れてしまうのだから、習慣というのはつくづく恐ろしいものだと思う。それは彼───ジョルジュも同じということなのだろうか、あの日以降、彼がこの家を訪れることはなかったとはいえ、それまでの訪問時に彼が座っていた、そしていまは指定席のまま空いている椅子を、特に勧めたわけでもなかったけれど、やはり彼は自然な動きでそこへ腰を下ろした。そして差し出したお茶をとてもおいしそうに飲み干した。茶葉はたくさん取り揃えているけれど、自然と手が伸び淹れたのは、少し前に彼が気に入ったと言っていた銘柄だ

「あの……この際だから言いたいこと言わせてもらうけど、そういう思わせぶりなことをするのって、あまりよくないと思うわ」
「思わせぶりって……どのへんが?」

彼は誰に対してもオープンな姿勢のようでいて、その核には薄いベールを被せたまま、誰にも触れさせてはいない。そう気づいたのは、ずいぶん前のことだった
誰も知らない彼の真実を見てみたい そんな単純な好奇心は、彼との時間を重ねるごとに少しずつ方向を変えていく。やさしい彼には自分が泣きたいとき・甘えたいときはないのか。人に与えるばかり与えて、結果、彼自身はひとりになってしまっているのではないのか、そんな彼の孤独は誰が癒すのか。そんなとき彼に望まれるたったひとりになりたい───思慕と名付けたそんな気持ちはぐんぐん膨らみ続けた。そんな役割を彼は、少なくとも自分に対しては1ミリも求めていなかったというのに

告白なんて。余計なことをしてしまった そう思わなかった時はない
でもあの日は。異種族間の結びつきで発生した問題に立ち合い、それを解決したことによる高揚感からなのか、自分たちの間にそびえる問題もすべてクリアしたような気になってしまったのだ。そんな錯覚というか驕りというかは多分、彼に見透かされていたのだろう。想いを伝え、関係の進展を望んだ瞬間に見つめた彼の目に、驚きの色は浮かんでいなかった。どちらかというと、なにかの審判を下されたときのような、なんともいえない表情で、あの日彼はこちらの言い分を明確に拒絶したのだった。───なのに、なんで

「どのへんがって……。分かってないようだから順を追って話すけど、なんとなく気づいてたでしょう? わたしがずいぶん前からあなたのことを、その……好きだったこと」
「うん」
「うん ってなんなのよムカつく。あのね、分かってるならなおさら、その気もないのに相手が舞い上がっちゃうようなことをするなって言ってるんですけど。今だって」
「…………」
「なんで、このタイミングで会いに来たりするのよ」

はたして、期待をしてしまうのは本当にこちらだけのせいなのか。なぜ、寝ろと言った本人が、結局寝れないまま悶々としている子を叩き起こすような真似をするのか。拒絶した以上、どうでもいいという以上、なにがあっても放っておいたらいい。あの日こちらを拒絶したのも、会いに来なくなった=ただの友達にも戻れないと示したのも彼のほう。なのに、いまこの瞬間に放っておいてくれないのは、むしろとても残酷なことだ。『その気』がないのであれば
もう、泣くのは嫌だ。そう思いながらも、虚勢を張る間もなく繰り広げられる会話の軽妙なリズムはやはり心地よくて、ほんの少し喋っただけで、以前のように楽しくなってしまっているというのに

「それって全然『やさしさ』じゃないからね? そっちがそんなだから、こっちはどんどん勘違いしちゃうのよ……この期に及んで……」
「勘違いじゃない」
「そうよ、勘違いじゃなければ全然いいのよ……。ん?」

───いま、なんて言った?

「こちらこそ、この期に及んでの話で申し訳ないけど、おれもサリのこと好きだから、勘違いではない」
「えっ」
「好きだ」
「…………は?」
「あ、すごい顔。まあまあ茶でも飲んで」

ジョルジュはカップをこちらに寄せながら、なんでもないことのように笑った。反射的に飲んではみたものの、直前の爆弾をさらりと受け入れられるほどの鎮静効果はなく、問いただしたいことが次々と溢れてくる。再度目が合うと、うって変わって彼は真剣な表情になった

「……ごめん」
「え?」
「なんか普通に喋ってくれたから嬉しくて……いまのは調子に乗ってたわ。そんな顔したくもなるよな。すこし説明させて」
「説明……」
「説明っていうか、ほぼほぼ言い訳でしかないけど……ええと、あのときはまだ覚悟ができてなかった」
「…………」

『覚悟』。なるほど、考え無しの自分はあの日の時点で解決済みカテゴリとして位置づけてしまっていたけれど、種族が異なるということはやはり難しく、まだまだ重い覚悟を伴うものなのかもしれない。こちらの返事を求めずまず説明というのは、やはりそういうことなのか───心なしか重苦しくなった空気に負けないよう息を詰め、サリはジョルジュの『説明』を待った



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